第2話「名前おぼえました」
どれくらい月日が流れたかわからないが、言葉が聞き取れるようになってきた。
言葉が聞き取れるようなっても、しばらくは言葉の意味までは分からなかった。
ここは日本ではないらしい。
それはある程度感じていた。
生まれ変わったとして、日本なんていう極東で生まれ変わる確率なんてそうそう高くないだろうと。
アンビリーバブルな番組では、だいたい母国と違う場所に転生していた。
そして、習ったことも行ったこともない前世の母国語をぺらぺら話して周囲を驚かしている。
それに、母親は金髪だ。
前世の親も金髪だったが、今世のほうは天然物だろう。
容姿が日本人離れしている。
透き通る白い肌、高い鼻、パッチリとした目、限りなく透明に近いブルーの瞳、長いまつげ、キューティクルな髪。
人形のようだ。
世界で一番有名な水死体、オフィーリアを思い出す。
部屋の雰囲気を見る感じ、ヨーロッパ圏のような感じはする。
海外旅行に行ったことはないから分からないが。
もしかしたら、時代も違うのかもしれない。
やけにレトロチックな部屋だが、まさか過去の世界に生まれ変わった……?
生まれ変わるのは自分の死んだ後の時代というイメージだったが。
時代をさかのぼって生まれ変わるということもあるのだろうか。
お金持ちが、趣味の一環でこしらえた部屋というほうが確率は高いと思うが。
…
……
………
乳児の学習能力とはすごいもので、誰からも授業を受けたわけではないのに、言葉が分かるようになってきた。
前世でも、英語がこんなふうに学べたらよかったのに。
これで俺も晴れてバイリンガルだ。就職が有利になるかもしれない。
どこの言語かわからんけども。
英語ではないのは、さすがの俺でも分かる。
フランス語だろうか。
「ノワ、赤子はもっと泣くものだと思ったわ。それに、いやにキョロキョロしているし……。何か病気をもっているのではないかしら?」
母親の言葉を日本語訳するとこんな感じで、隣の女性に話しかけた。
「心配いりません、奥様。人には個性があるように、赤子にも個性はあります。泣かないと言うことは辛抱強く、キョロキョロするというのは観察眼があるということかもしれません」
ノワさん。この人は乳母?みたいな人だ。
母親と分担して俺の育児を担当し、母親へのアドバイスもしている。
この会話だけ見るとノワさんはだいぶベテランそうだが、かなり若い。
若く見えるだけかもしれないが、20代前半くらいに見える。
そもそも母親がかなり若いのだ。前世の俺と変わらないか、年下だ。
なんだか、とてもムズムズしい感じだ。
前世の俺の母親も16歳で兄貴を生んだというし、そうおかしなことではないのだけども。
俺と同年代の女子に育てられている感覚はなんとも変な感じだ。
育てられているといえば、俺は母乳を飲んでいる。
当たり前と言えば、当たり前なのだが……。
生まれてこのかた、女性の胸を見たのは初めてだ。
映像とかではそれなりに見たことあるけども。
少しは欲情してもよさそうだけど、あるのは食欲だけだった。
ちょっともったいない気もするが、よく考えたら性欲があったら困るな。
乳児期、ずっと性欲を持てあます。
完全に修行だ。
…
……
………
順調に乳児期を過ごして、離乳食になり、ようやくハイハイができるようになった。
仕事をしなくても、誰ともケンカしたり怒られたりしなくても、飯が食べられる生活。
これはこれで良かったが、何もしない生活はやはり退屈だった。
そういう日々を送っていると、あんなにつらいと思っていた仕事と学校の日々が懐かしくすら感じる。
ハイハイができるようになって、そんな退屈な生活も終了。
と、思いきや、そうでもなかった。
家には常に誰かがいて、部屋から出ることができない。
与えられた木のおもちゃで遊んだり、母親やノワさんに遊んでもらったりして、長い1日が過ぎていく。
うん……、つらいな。
しかたないので、調度品を愛でる。
このベッドについている金色のライオンの彫刻なんて、素敵じゃないか。
彫り込みも細かいし、威風堂々たる顔つき、金色の輝きも見事だ。
……いやいや、たかだか赤ん坊のベッドに、お金かけ過ぎだろう。
それに人。本来なら1人でやる家事を何人でやるつもりなんだ。
洗濯の人とか、さすがにこの部屋専属ってわけではないだろうけど、人件費がおそろしいことになってるんじゃないか。
それに、余剰人員なのか、そうなるようシフトがくまれているのか、常に俺への視線がつらい……。
赤子からは手を離すな目を離すな、という言葉はあるけど、俺にもプライバシーはあるんだぜ。
そんなこと思いながら、回りに遠慮しつつ周囲を物色していると、ようやく興味をもてるものが見つかった。
本!
児童書とおぼしき本が、小さな本棚に収められていた。
このわき上がる感情はなんだろうか。
何ヶ月も前から発売を待ちに待って、お金を必死に貯めて、ようやくスマホを手に入れた時の感情と似ている。
俺はここまで本に飢えたことがあったろうか。
むしろ本は嫌いだったが……、今の俺は知識を欲している。
俺は側にいる母親に訴えかけた。
だぁだぁとしか発音できなかったが、熱意は通じるだろう。通じてくれ!
「あら、ジャン、まだそれは早いわよ」
持ち上げられた。
遅ればせながら、俺の名前はジャンです。
「もう少し大きくなってから読みましょうね」
本棚から引き離される。
そんな! ようやく見つけたユートピアが!
遠くなっていく本棚。
俺は泣きわめいた。
ここで使わなかったらいつ使う!必殺!駄々をこねる!
「こら! 王の子がなんてはしたない!」
王の子だろうがなんだろうが、赤子が泣くのは当然だろうに!
いや、ちょっと待て、王?の子?
どういうこと?
どこかのフィギュアスケートで4回転半しちゃうような王子様のこと?
俺って、王子様だったの?
「王妃様、そろそろ時間でございます」
従者らしき男が、膝をついて申し上げている。
「分かりました。今まいります」
そうして、王妃様なる母君に抱きかかえられてきた場所は……、
民衆がゴミのように小さく見える、ほどほどに高いお城のバルコニー。
俺が育てられた部屋はお城の一室、お城の全体像はすごく……大きいです……。
「我が民よ! よくぞ集まってくれた!」
父親と思われる王様が、遠くまで通る、そして重く威厳のある声で民衆に語りかける。
すごい声量だ。どっから声が出ているんだ。
「また1人、この国を支える子が我が王族に加わった! 第3王子、ジャン=ジャック・ド・アトランスだ!」
王子様バンザーイ! ジャン=ジャック王子バンザーイ!
キャー王子様ー! おめでとうございまーす!
野太い声もあれば、黄色い声もある。
それら全てが仕込みなのじゃないかと思わせられるほど、熱烈な歓迎を受けている。
今までの人生で、こんなにも誰かに、しかもこんな大勢の人に好意的に受け入れられたことがあっただろうか。
いや、ない。
人が多すぎて顔も覚えきれない人たちが、一人一人俺のために祝ってくれている。
これが王子!
これが権力!
なんという素晴らしい境遇を与えられてしまったのだろうか。
明るい未来しか感じられない。
これは、あまりに前世苦労しすぎた俺にくれた神様とかからのご褒美に違いない。
ごくりと、まだ赤ん坊ののどが音をたてて鳴った。
俺は決めた。
前世のことなど忘れて、今の人生を謳歌してやると。
この国民を幸せにし、良き王となり、かわいい王女を迎え、酒池肉林の宴をして暮らし、札束のお風呂入って、キングサイズの高級ベッドで眠りにつく日々を送ってやる!
遅ればせながら、俺の名はジャン=ジャック・ド・アトランス。
アトランス王国の第3王子だ!
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