第1話「生きてました」
長い夢を見ていた。
暗い場所にいた。でも温かい。
何にも煩わされることのない、安らぎを感じる場所。
時々、さえずるような女性の歌が遠くから聞こえた。
ここがどこか疑問を持つことはなかった。
ここにいたときは、自分が死んだことすら忘れていた。
ただ、ここにずっといたいと思った。
急に意識がはっきりした。
夢から目が覚めたように、夢の世界から日常に引き戻されたように。
生きている……!
ここはどこだろう、俺は、どうなっているのだろう。
そう思って見渡してみるが、視界は白くボンヤリもやがかかっているようで何も見えない。
急に、事故で鉄板の下敷きになったことを思い出した。
視力をやっちまったか……。
それに首が回らない。
もしやと思って手足を動かしてみる。
手足の感覚はあるようだ。よかった。
でも、寝返りを打てないほどに力が出ない。
死んでもおかしくない事故だ。手足があるだけ、奇跡か……。
安心したせいだろうか。
尿が漏れた。
下半身にぞわっという不快感が襲う。
マジかよと思った。漏れそうと思う感覚すらなく、自然と垂れ流していた。
これから、トイレも人に頼るような生活を送らないといけないのだろうか。
わきあがる感情と不快感に、俺は泣き叫んだ。
自分の泣き叫ぶ声に、自分は驚いた。
そりゃ、めちゃくちゃ悲しいけど、この年になってこれくらいで泣きわめいてどうする。
声帯も異常なのだろうか、赤ん坊のような甲高い声が出ている。
すぐに女性が駆けつけてくれたようだ。
輪郭と髪型しか認識できないが、きれいな女性なんだろうなというのはなんとなくわかった。
こういうときに、なぜ若い看護師さんが来るんだ……。恥ずかしすぎる。
「・・・ぁ・・・・・lm・・・」
女性が何を言っているか聞き取れない。
耳までいかれてしまったのか。
オムツのようなものをはがされる感覚があった。
おまたがスースーする。
下半身は見事に露出されているのだろう。
もうお婿にいけない。
ともかく、オムツを取り替えられたことにお礼を言わなくてはと思った。
言葉は出なかった。
あーあーって…、言葉すら言えないのか。
そんな俺に、女性は俺の背中に手を差し入れた。
床ずれしないように寝返りさせてくれるのかなと思った。
ひょいと、浮遊感。
俺は抱きかかえられていた。
こんなかよわそうな女性に。
本当にどうなってしまったんだ俺の体は。
完全に自分のミスによる事故だったけど、労災はおりるのだろうか。
俺の保険ってどうなってる?
親は保険なんて入ってないだろうし、会社の保険頼みだ。
労災認定されたとして……、それで生きている意味はあるのか。
何もしないで生活費もらえるなら、障がい者にでもなろうかと思っていた自分を思い出した。
今思うと、なんて想像力のないことを考えていたのだろうか。
今なら、そんなこと言うやつを有無を言わさず殴る自信がある。
生きててよかったと思ったけど、これからもそう思い続けることができるのだろうか……。
…
……
………
俺は赤ん坊に生まれ変わったのだ。
その事実が飲み込めるまで、そう時間はかからなかった。
前世の記憶を所持したまま生まれ変わる。
そんなアンビリーバブルな番組で取り上げられてる内容が、まさか事実とは……。
俺はやっぱり死んだのか……。
少し複雑な気持ちだが、今は生きている。それは素直にすごくうれしい。
赤ん坊のせいなのか極度の低視力だし、まだ首もすわらないから動けないので少々退屈だ。
だが、これから五体満足な体になると思えば、そんなことは些細なことだ。
…
……
………
幾月か経ち、少し視力があがって顔がわかるようなり、人を識別できるようになった。
最初おむつをかえてくれた看護師と思っていた女性は、母親らしい。
らしい、というのは、母乳をくれる人が2人いて、多い方がその看護師さんだった。
だからその人が母親なのだろう。たぶん。愛情を感じるし。
父親はわからない。
男の人は何人か来たが、どの人も年配だしそんなにしょっちゅう来ない。
母子家庭なのだろうか。
生まれ変わっても母子家庭か。これが因縁ってやつなのか。
それにしても、みんな身なりが煌びやかだ。
家族が多いのかと思っていたが、どうもそんな雰囲気ではない。
社交辞令的な雰囲気を感じる。
家事をしてくれる人たちは、仕事です感が出てるし、たまに来る人は、挨拶に来ただけだよ感がある。
これだけメイドや挨拶に来る人がいるってことは、かなりいい家に転生してきたのではなかろうか。
これはかなり期待が持てるぞ。
…
……
………
期待がもてるどころの話じゃなかった。
視力が上がってきてわかった。
ここは半端じゃない金持ちの家だ。
鑑定団に出したら値が張りそうなレトロちっくな中世ヨーロッパ的な骨董品、
やたら角が長い鹿の剥製、真っ赤な絨毯、やたら高い天井、
そして、俺は金色のベッドの中でシルクの布団に包まれている。
俺は確信した!
これからの幸せの人生を!
勝ち組を宿命づけられた己の人生を!
きっとお金なんてトイレットペーパーと同じくらいの価値の家庭で、札束のお風呂に入って酒をもって池と為し、肉を縣けて林と為し、女をして裸ならしむる、そんな日々が俺を待っている!
前世で苦しんだ分、贅と欲にまみれた人生を送ってやる!
俺はそう決意した。
今思うと、この時が人生でもっとも幸福な時間だったかもしれない。
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