《詳細不明》

 2


「ギッギヤァァア」


 喉が破れんばかりの奇声を迸らせる緑色皮膚を持ち、凶悪な顔をしているのは亜人種の小鬼、ゴブリンだった。

 その手には小さい斧が握られている。


 姫宮雫/シズクと岩田羽咲/ハズキは運良く《セブンスエンドオンライン》の初回限定盤を入手する事が出来た。

 サービス開始と共に異世界へと踏み入れる。

 まず、驚いたのはその現実と見間違えるようなリアルな風景だった。

 視界にはゲーム的な数値が表示されている。けれど、限りなく現実に似た環境を作ろうとしているようだった。


 つまり、この世界にも現実にある絶対不変のルールに縛られるという事でもある。

 この世界でのHP全損=死はそのキャラクター情報の損失を意味している。

 そういう意味ならば、この世界で生きていると言っても過言ではないであろう。

 これらの理由によって、戦闘には緊張感が醸し出されていた。


 シズクはゴブリンの攻撃を避けて、右手に持つ短剣を力一杯振り下ろした。

 短剣は軽装近接武器の一つだ。

 初速はかなり早く出せる為、ゴブリンに避ける隙を与えず、肩を貫いた。

 短剣の特性上、攻撃速度は早いが、一撃の重さや鋭さには難を残す。

 ゴブリンのHP──ヒットポイントを削り取るには至らない。

 一人であれば苦戦を強いられる戦闘だろう。

 だが、シズクは一人ではない。


「シズク、避けろよ」


 後方に待機していたハズキは腰のホルスターから銀色に輝く自動小銃タイプの拳銃を取り出す。銃口をゴブリンの頭に合わせ、躊躇なくトリガーを引いた。

 生じた爆発の衝撃によって、鉛玉が真っ直ぐと排出される。その弾は的確に敵の頭蓋骨を貫通させた。

 苦しみもがく声を上げながら、頭上にHPが表す横線が減少し、数値を全て削り取る。


 ゴブリンの身体が霧散し、消えた。


 最初はこのゲームの売りであるリアルさに敵を斬る事に躊躇があったが、人は慣れる生き物だ。一時間もすれば敵を屠る事に抵抗は無くなり、幾度と繰り返した。


 この世界は従来のゲームには必ずと言っていいほどあったレベルや職業システム等は全て取り残されている。

 あるのはスキルという概念の各種熟練度という数値のみだ。

 その数値的な上昇も例外を除いては微々たるものだ。


 開始されたばかりの現在では、スキル熟練度が百を超えている猛者は極一部であろう。

 ハズキは片手銃をメイン武器としている。

 遠距離型の武器に必要な【遠距離索敵】というスキルを習得した。

 意識を集中させて、半径百メートル範囲に敵の反応があるかを確かめる。


「どうやら、もう辺りにはいないようだな」


 ハズキは声に出すと右手に持つ銃を腰のホルスターへと戻した。

 シズクも安全なのを理解すると警戒を解く。


「それにしてもハズキが銃なんて意外だなあ」

「そうか?」

「絶対近接系の武器にすると思ったのに」


 ハズキは剣道有段者であり、剣道部に所属しているのをシズクは知っている。少なからず現実の能力が影響を及ぼすこの世界ならば、近接型の職業を選ぶと思っていた。


「普段出来ないことを出来るから、ゲームは面白いんだ。そう考えれば、私が選ぶのはそっちではないだろう」

「そんなものなんだ」

「そういうならばシズクだって、人の事を言えた義理か?」

「うーん、そうかなあ? 私なりには自分を分かってるつもりだけど」

「そんな訳あるか。運動神経も良くないのに、手数で攻める短剣なんてな」


 短剣やナイフは手数で攻めるタイプの武器だ。

 その為、一撃の重さよりも俊敏性や弱点部位を的確に狙う精密性が必要となる武器種だ。

 しかし、アタッカーとしては中途半端と言わざるを得ない。


「……ハズキ、そろそろ戻ろうか?」


 シズクはアイテムの量と武器の耐久値を確認し、そう提案した。

 武器の摩耗は深刻な問題だ。

 そのまま使い続ければ、いずれ武器破壊という現象が起きる。

 そうなると素手で戦闘をしなければならなくなる。それは自殺行為に等しい。

 武器を失うとはそれ程のことだ。


「そうだな、私も弾を補充しないといけないしな。戻るか」

 その提案には反対なく、二人はマザータウンへと帰還する。



 《央都セントリア》。


 大層な名称が付いたこの場所は冒険者──つまりプレイヤーが数多く集まる大規模な拠点の一つだ。

 この世界に降り立った時に最初に訪れるのも此処だ。それ故に現状では最も人口が多い一つでもある。

 それらの特徴があるが故にこの辺りの狩場となる圏外エリアのリソースは常に枯渇状態だ。

 シズク達は道具屋で必要アイテムを補充すると、人通りの少ない裏通りへと逸れた。

 そこから五分程歩くと、古びた看板が立て掛けられた家屋が見えた。


「腕の良い鍛治職人がいるのは此処か?」


 街中でそんな噂があり、探しに来たのだ。

 呟きながら扉を開くとギギギッと立て付けの悪い音が響く。中は陽光すらまともに当たらない立地なようで昼間にも関わらず、薄暗さを感じさせる。


「すいませーん、誰かいませんか?」


 一向に姿が見えない店主を呼ぶように言った。


「何の用だ?」


 ガコンッと物音を立てながら、奥の工房から姿を見せたのは髭面で無愛想な男だった。


「あの、武器の調整をお願いしたいんですけど」


 男の放つ近寄り難い雰囲気に呑まれそうになりながらもシズクは要件を伝える。


(この男は、強いな)


 ハズキは武道を嗜む者として、その男が強者である事を感じ取った。


「ふんっ、出せ」


 鼻を鳴らし、淡々と要件のみを伝える様はお世辞にも客商売をしているようには見えない。

 シズクから短剣を布状の入れ物ごと渡されると抜き、刀身を鋭く尖らせた眼差しで見る。

 刀身は刃毀れを起こしている。その状態はかなり深刻だ。


「酷い有り様だ。どんな使い方をすればこうまでボロボロになるのか」


 武器は所詮消耗品だ。使い続ければ劣化しているものだ。


「あの、直りますか?」


「無理だな、短剣自体に深刻なダメージを受けている。直したところでまたすぐに壊れるだけだ」

「そうですか……」


 そんなに乱暴な扱い方をしているつもりはなかった。けれど、専門家が見ればこんなにも簡単に扱い方が見えてしまう。


「とは言え、無ければ困るだろう。コレを持っていけ」


 工房から持ってきたのは柄から刀身に至るまで真っ白に染まった短剣だ。

 シズクはその美しさに目を奪われている。


「こっ、こんなもの貰えませんよ」


 高価な代物に見える。シズクはその申し出を断ろうとする。


「なに、若い頃に作った粗末な一本だ。価値はない。受け取らないのなら捨てるだけの逸品だ」

「本当に、良いんですか?」


 鍛治屋の男はその申し出を引かず、真っ直ぐとシズクを見据えている。


「くどい、俺はしつこいのは嫌いだ」

「なら、頂いていきます。でも、どうして私に……?」

「理由はないが、ただコイツがお前さんを選んだ様な気がした。それだけだ」


 それだけを言うと男は、用がないのなら出て行け、というように睨みながら奥の工房へと戻っていく。


「本当に良かったのかな?」


 鍛治屋を後にしたシズクは大通りへと戻る道で訊ねるように呟いた。


「まったく、人の好意は素直に受け入れるものだ。あの鍛治屋がそうしたくてしたんだろ」

「うん、そうだね。それじゃあ、どうする?」


 シズクは切り替えて、訊ねた。


「ギルドにでも行ってみるか?」

「そうしようか」


 央都中心部には一際大きな家屋がある。

 そこはギルド兼酒場としてこの街で最も冒険者が集まる場所だ。

 ただ、依頼を受けに来るものだけではなく、擬似味覚エンジンが搭載されているこの世界だ。依頼そっちのけで飲食に時間を割く者も少なくはない。

 シズク達はアルコールの匂いのする酒場の中を通り抜けて、ギルド受付の方へと行った。


「それで、何を受けようか?」


 依頼が一覧で書かれている分厚い書籍をペラペラと捲りながらハズキに訊ねる。

 一言で依頼とは言ってもその種類は豊富だ。

 討伐依頼もあれば一定時間の店番など様々。


「おっ、コレなんかどうだ?」

「えっ、どれどれ?」


 ハズキが選んだ依頼は討伐依頼だった。

 《大樹の森》の主であるオークキングを討伐してくれ、と書かれた依頼だった。


「キングって付いているくらいだから強そうだけど、私達二人で大丈夫かなあ?」

「強そうではあるが、序盤で討伐不可能な依頼が出ている訳もないだろう。それにより強い者と戦ってみたいというのが正直なところだしな」


 少し考える素振りを見せるが、ハズキの考えも解らない訳ではない。

 誰よりも強くいたい。高みへと登りたい。それらは当然のものだ。さらに興奮していれば尚更に人は冷静に物事を考えられなくなる。


「じゃあ、受けてみようか」

「よし、手続きをしてくるから、待っていてくれ」


 ハズキは分かり易いくらいにテンションが上がっていた。それをみてシズクは思わず苦笑を零した。


「まるで子供みたい」


 ハズキの後ろ姿を微笑ましく見ていた。


「よし、手続きしてきたぞ」




 《大樹の森》はセントリアからおよそ十五分程度の場所にある樹林帯だ。

 このエリアには冒険者は少ない。

 その理由は単純明快だ。序盤にも関わらず、高難度であるが故だ。

 敵単体ではそこまでの脅威ではないが、中心部に入る頃には辺りに数十体の敵影が見える。

 無理ゲーと言われても仕方がない程の難易度だ。序盤で好き好んでこんな死地に赴くのはごく一部の物好きだけだ。


「なんなんだ、此処は?」


 だが、そんな情報を知り得ないハズキは苛立ちながら呟いた。

 二人は身を屈め、敵の視線の合間に縫うようにしながら、中心部へと向かっている。

 幸いだったのは、敵の身長が高く、小柄な二人は視覚の範囲外である事が多かった事だ。

 どうやら、ここのmobは視界に捉えた者にしか反応を示さないようだ。

 存在を認知されれば生き残るのは難しい。普段の戦闘以上に緊張が走る。

 呼吸が早くなる。心臓の音が加速して、辺りの音を掻き消してしまいそうだ。


「ハズキ、少し落ち着こう」


 シズクはこの状況下でも冷静に辺りが見えている。それは一種の才能とも言えるだろう。


「あっああ、すまない」


 ハズキは大きく深呼吸し、空気を循環させる。

 辺りを見渡し、打開策を探す。

 徘徊しているのはオークだ。

 堂々たる体躯を持つ。


 しかし、その反面俊敏性には課題がありそうだった。

 幸い二人は俊敏性に秀でる職種だ。数は多いが、駆け抜ければ何とかなる可能性は高い。


「シズク、此処を一気に駆け抜ける」


 言葉は出さず、コクリと頷く。


「よし、行くぞ」


 その掛け声とともに大樹の森中心部へと走り出した。

 立ち上がった瞬間から、敵愾心が集まるが、それらを無視して縫うように走る。

 オークの俊敏性に関する数値は低めに設定されているようだった。懸命に追うも二人に追いつく事が出来ない。

 スタミナの限界に差し掛かるまで全速力だ。


「ハァ……ハァ……なんとか……撒けたみたい、だな」


 息を切らしながらも呟いた。どうやら一定距離以上中心近くに入ってしまえばオークの索敵範囲外となるようだ。

 呼吸を整え、辺りを見る。

 相変わらず似たような景色が広がっているだけだが、右上に視覚上に見えているマップを見ると中心部に近づいている事が解る。


「大丈夫か、シズク」

「うん……なんとか、だけどね」


 シズクは苦笑しながらも答えた。


「なら良かった。奴らに行動制限があって、助かったな」

「けど、次に来てこんな暴挙に出たら確実にゲームオーバーになりそうだね」


 今回はたまたま運が良かったに過ぎない。

 だが、元来ゲームとはそういうものだ。


「たしかにな。ならこの運が尽きない内にオークキングを倒しに行こうか?」


 オークキングがいるのは中心部に見える悪神を祀った礼拝堂の中だ。そこは悪魔召喚に使われたという設定がされた場所だ。

 敵の本拠地というのもあり、二人は警戒心を強め、身を隠すように中へと侵入する。


「礼拝堂か、それなりの雰囲気はあるな」

「元は凄く綺麗な場所だったんだろうね」


 その場所は控え目に言っても不気味さを醸し出していた。本来は神を模した石像があった台にはタコのような触手のモンスターの銅像が置かれていた。

 台座には【水神】と書かれている。

 その奥に全身が黒に染められた騎士甲冑で包まれた約二メートル程ありそうな人影が佇んでいる。

 物陰に隠れて、それを見ている。

 ポタリッと地面に雫が落ちた。そこで初めて尋常ではない量の汗が溢れ出している事に気づく。

 これは恐怖だ。本能がシズクへ伝えているように、その黒甲冑が危険だというサイレンを鳴らしている。


「ねえ、ハズキ。此処は街に戻った方がいいんじゃないかなあ?」


 一刻も早くこの礼拝堂、もっと言えば、大樹の森から離れたかった。


「折角、ここまで来たんだ。それに、あんなところに無意味にあんな物が立っている事を疑問には思わないか?」


 しかし、ハズキはその黒甲冑に興味を向けているようだ。無理矢理その場を離れるのは簡単だ。

 けれど、シズクにそれは出来ない。


「じゃあ、危険だと思ったら直ぐにこの場所を離れようね」

「ああ、なら少し近づいてみよう」


 いま、ハズキを突き動かしているのは圧倒的 その存在の正体にまで辿り着いてはいないが、これ以上はシズクが限界だった。


「……そうだな、戻ろう」


 正直なところ、ハズキはその正体を確かめたいという想いはあるのだろう。

 けれど、辛そうなシズクの表情を見て、冷静になる。

 友達としてこれ以上シズクに無理強いをさせるのは憚られる。


 安全圏内である《央都セントリア》に戻る道中に会話は無かった。

 拠点に辿り着き、緊張していた身体が弛緩していくのが解る。ここまで来てやっと安心出来る。


「一体アレはなんだったんだろうな?」


 ハズキはそんな疑問を口にした。

 冒険者ともmobとも思えない異様性を感じさせる存在。確かめたいと思う反面、これで良かったのだとも思う。


 考えてみれば危険な状況下に置かれていたのは否定しようのない事実だ。

 所詮、仮想世界だとしても自分が見ている景色は本物だ。


「アレが何かは分からないけど、私、今日はもう、落ちるね」


 シズクはかなり疲労を感じているのだろう。何度も戦闘を繰り返し、最後に得体の知れない何者かによる不安心を煽られる。


「そうか、なら学校でだな」

「うん、じゃあね……」


 そして、シズクがこの世界からログ・アウトしたのを待って、ハズキも現実へと帰還した。


 ◇◆◇


 幾つものモニターが置かれた一室では研究者然とした白衣の男が二人いる。


「真壁、例のやつはどうなってる?」


 中老の男はまだ二十代の部下、真壁に声をかける。


「そうですね、ぼちぼちってところですよ。それにしても良いんですか本当に、こんな事して。上層部が黙ってる訳ないと思いますよ。鬼崎さん」

「だろうな。だが、このゲームを作ったのは俺で、アイツらにこれを止める方法はない」


 鬼崎と真壁。二人の研究者は《セブンスエンドオンライン》という世界で何かをしているようだった。


「アレ?」

「どうした、真壁?」

「いや、例のアレを保管してた《大樹の森》にプレイヤーのログが残ってましてね」

「なんだって、あそこは序盤で入れるような難易度じゃねえだろ。それは俺らの方でも調整している筈だ」


 ギロリッと睨みながら鬼崎は真壁に詰め寄るように訊ねる。けれど真壁は飄々とした態度は崩さない。


「どうやら、俊敏性に物を言わせて、敵対範囲内から出たようですね」

「そうか、絶対に倒す為に狭めた事が裏目に出たか。真壁、範囲を通常通りに戻せ」


 モニターには《大樹の森》に侵入した二人のプレイヤーが映し出されていた。

 鬼崎はその内の一人。小柄で短く切り揃えられていた少女を見ていた。


「玲奈……。真壁」

「はい、なんですか?」

「計画を決行する」

「おっ、ということは見つかったんですか?」

「ああ、短い髪のほうだ」


 鬼崎は愛娘の名前を呟く。


「では、次にその少女が入ってきた時に仕掛けますね」

「ああ、頼む」


 こんなにも早く計画を始められるのは鬼崎にとって僥倖だった。

 真壁は一度モニター室から出て行く。


「玲奈、待っていろ。必ず……」

 

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