第2話 スタント馬鹿
「恐怖を教える、って、お化けでいいの?」
「いやもう、なんだってかまいません。あの馬鹿に、怖い、ってことを教えてやってほしいんです。
あいつがどんな危険なスタントも躊躇なく引き受けるのは、度胸があるんじゃないんです。あいつは、怖いって感情を、知らないんです。
あいつは、本人の便によれば、生まれながらのスタントの天才、ってことで。
あいつは、3歳の時に、当時住んでいたマンションの5階の部屋のベランダから落下して、地面に落ちたんですが、かすり傷程度で、けがらしいけがをしなかった、というのが自慢なんです。
眉唾物に思うでしょうが、どうやらこれは本当らしいです。奇跡的な無事ということで新聞記事にもなってます。ふつうの土の地面で、クッションになる草が生い茂っていたというようなこともなかったそうです」
「ふうん、それは、まさに奇跡ねえ」
紅倉も感心したように首をうなずかせた。
「ええ。それで奴はすっかり調子に乗ってしまってましてね…………
今度、湖西監督が大型のアクション映画を撮る予定になってまして」
湖西はスピード感溢れる描写を得意とする、海外でも評価の高い映画監督だ。
「ハリウッドにも負けない超本格アクションをやろうと、高速道路で大型タンクローリーを、大爆発ででんぐり返しさせて、その運転席から飛び降りて脱出するというスタントを、翔矢に打診してきたんです。一歩間違えば命の危険に直結するスタントですから、無理ならCGを使うが、ということなんですが、翔矢は、CGなんかつまらない、本物の生身のアクションを見せてやりましょう! と、すっかりやる気でして。まあ、日本じゃとても撮影許可が下りないでしょうから海外にロケ先を探すことになるでしょうが、わたしは正直なところ、中止になってほしいと思ってます」
武田哲章は自分も若い頃はアクションスターとしてバリバリに危険なスタントをこなしてそれを売りにしていたが、今は一線を退き、脇を締める渋い俳優として様々なドラマ映画に出演する一方、スタントコーディネーターとして制作に参加し、事務所幹部として経営に携わり、後進の育成も熱心に行っている。
一本道翔矢も武田のかわいがっている生徒の一人なのだろうが。
「そのスタントをやったら、あいつは死にますよ」
武田は気弱な目をしながら、確信めいて予言した。手を開いて、閉じて、し、
「そういう嫌な予感がするときはね、必ず当たってしまうんですよ。それでわたしも大けがしたことがあるが、今度の予感は、間違いなく当たると、思います」
ぎゅっと拳を握りしめた。
「母親が死んでるんですよ、翔矢の。
あいつが5階から落ちて、奇跡の生還をして、けがらしいけがはなかったが、大騒ぎになって救急車が呼ばれて、数日間入院することになった。その時は何ともないと思われても、頭や内蔵に出血があって、容態が急変するというのはよくあることですからね。その入院中に、事故の3日後、マンションへ着替えなんかを取りに戻る途中、母親は交通事故にあって、死んでしまったんです。即死だったそうです。
せっかく息子が奇跡的に助かったのに、母親が死んでしまうなんて。悲劇ですが、母親が息子を救ってくれた奇跡の代わりに自分の命を差し出したんだろうと美談として語られたようです。
翔矢は、幼くてよく覚えてないようですが、絶対に心の傷になってますよ。
あいつが命がけの危険なスタントを率先してやるのは、自分の命を試してるんですよ。
あいつはどんなに死に近づいても必ず生還して、自分が助かったせいで母親が死んだなんて話を否定してるんです。
しかしねえ、わたしも経験してきてるから分かるんですが、危険というのは累積していくものなんですよ。大きな危険を乗り越えたから次はもう大丈夫かっていうと、ほんの小さな不注意で、どうってことのない危険につまずいて、命を落としてしまう、ってことがね、往々にあるんです。
あいつはもう持って生まれた運を使い果たしている。
今度のどでかい特大スタント、あいつは、100パーセント、不慮の事故で死にますよ」
武田はそれを信じて疑わず、ひどく落ち込んでいたが、顔を上げると、紅倉に頼み込んだ。
「先生、お願いです。あいつに恐怖を教えてやってください。でないとあいつは、死んでしまいます」
「まあ、いいですけど」
紅倉は武田を通して既に一本道翔矢を霊視しているようで、すぐに引き受けたが、
「でもそうなると、翔矢さんはもう二度とスタントはできなくなると思いますが、それでもかまいません?」
武田はうなずき、願ってもないというように言った。
「かまいません。むしろそうなってほしいと思います。あいつには華がある。スタントにかまけて演技の修行はさぼってばかりだが、身を入れて修行すれば、あいつはちゃんとした俳優としても成功します」
「分かりました。じゃあ……」
紅倉はニヤリとした。
「思いっきり怖がらせちゃおうっと」
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