第2話 東京時代の夢
「あなたの夢は何ですか?」
「ボクの夢は他の14人より先に漫画家になることです」
年号が令和に変わった今年は二〇一九年だから四十年以上も前の話である。
ボクは高校を卒業して就職したが、三ヶ月で離職。
東京へ行けばきっと何かいいことがあるだろうという儚い夢を抱いて上京した。
ボクは親の仕送りでアパートを借り、専門学校に通い始めた。
東京と埼玉の県境にある寿荘という名のアパートだったが、改築したばかりだったので、住人は同期の大学生がほとんどだった。
それと管理人夫婦がとても世話好きで、みんなを自室に呼んでは茶話会を開
いたから、すぐに学生寮みたいになった。
十二部屋あるアパートのどの部屋にも、なんだかんだと集まっては、トランプをしたり、大橋さんのギターでフォークソングを歌ったりした。
その大橋さんという人が切れ者(賢いという意味の方)で、最初、七並べとかのトランプゲームから始めて、いろんなトランプゲームを皆に覚えさせてから、実はトランプゲームよりもっと面白いゲームがあると言い始めた。
それが当時、大学生の間で大流行していた麻雀だった。
トランプゲームの一つが麻雀のルールに似ていたというか、似ていたから、大橋さんはそのトランプゲームで麻雀の基本をレクチャーしていたものだから全員、大橋さんの思惑通り麻雀に嵌まっていった。
ボクも見事に嵌まり、挿絵も描ける小説家の夢はどこへやらになってしまった。
そんな東京寿荘生活も、三年が過ぎると大橋さんをはじめ。同期の大学生達が一斉に就職活動を始めた。今と違って大卒の就職率はほぼ百パーセントだったから、みんな、あっという間に就職先を決めてしまった。
目的もなく漫然と専門学校内のあちこちの専門学科を渡り歩いていたボクだけが取り残された。それでボクも就職活動をすることにした。ボクが通った専門科目は電気科、デザイン科、漫画科だった。
数字に弱いので電気関係は無理目。デザインのセンスもいまいち。消去法で漫画関係の就職先を選ぶことにした。
その頃は漫画なんて一度も本気で描いたことがなかったから、漫画家になるって事は全く考えていなかった。だからアシスタントでいいやと思っていた。
ただ、どうせなら有名な漫画家のアシスタントになろうと思いつつ食堂でラーメンを食べながら少年チャンピオンのブラックジャックを読んでいた。
脚注に手塚治虫先生のアシスタント募集が記載されていた。
ボクは、背景の絵とデザイナー学院のデザイン科と漫画専科卒業の履歴書を同封して応募。
一次は突破。 二次の面接となった。
面接にはボクも含めてなんと十五人も来ていた。
ボクは面接の順番待ちの間に隣りにいた男子に応募理由を聞いてみた。
「漫画の神様、手塚先生と仕事が出来たら最高じゃないですか、君もでしょ」
彼の目はキラキラ輝いていた。
取りあえずアシスタント志望のボクとは大違いのテンションで少し気後れした。
その後、また会おうよという話になった。
それで「ボクの電話番号はこれだよ」と言ってボクは寿荘の玄関の下駄箱の上にあるピンク電話の電話番号を書いたメモを彼に渡した。
すると彼を含めて、他の一次通過者全員の目の色が変わった。当時は家庭に黒電
話一台の時代。個人で黒電話を持ってるなんて贅沢だったから、彼は勘違いしてボ
クを金持ちの息子だと思ったのだろう。
「ゴメン、《ボクの》じゃなくて、《ぼくのアパートのピンク電話》の番号や」
当時、喫茶店やアパートでは街頭用とは別に、お店等用にピンク色の公衆電話がよく使われていたのだ。
彼および周りの一次通過者の目から異様な嫉妬心が消えた。
で、面接の結果だが、ボクは不採用。彼は採用となった。
彼との情熱の差。そこが合否の分かれ目となったとボクは思った。
結果が出たあと、約束通り、アシスタントを始めた彼と会うことになった。
今度はボクが嫉妬する番だった。
§2§
彼の部屋の電気コタツの上に、デーンと黒電話が置かれていたのだ。
「手塚先生、超忙しいでしょ。だから、いつでも呼び出せるように、アシスタント全員に黒電話を手配してくれたんですよ。いいでしょ」
幸せオーラを放つ彼がさらに言った。
「あ、そうそう、アシスタント落ちたの、君一人だけだったよ」と。
ボクは彼のその一言で「お前ら十四人より先に漫画家になってやる!」
と決心したのである。
作り笑顔で彼のアパートを出てからすぐに寿荘に帰り、漫画を描き始めた。
狙いは当然、手塚先生の名前を冠した手塚賞である。
手塚賞で受賞して、手塚先生と握手をしながら『実は手塚先生のアシスタント募集で一人だけ落っことされたんですよ』と言ってやるのだ! と意気込みは凄かったのだが、漫画科では落書き程度の漫画、今回初めて本気で描く漫画である。
高校時代、美術部だったので写実的な背景は何とかなるが、漫画独特のアレンジがあるキャラ顔が描けないのだ。主人公もヒロインも格好良く描きたいのだが、いくら頑張っても悲惨な下手くそ顔にしかならないのだ。
だからさすがにストーリー系の手塚賞でリベンジを果たすのは無理だと思った。でも、手塚先生を見返してやりたい。
当時、手塚賞と赤塚賞はセットになっていて、受賞式は同時に行われていた。
だから赤塚賞を受賞できれば受賞会場で手塚先生の所に押しかけて、イヤミを言うことができるはず。そこでボクは絵が下手でもアイデア次第で何とかなるギャグの赤塚賞ゲットに狙いを変えた漫画を描くことにした。
四畳半の部屋の真ん中に電気コタツ。アシスタントになった彼と部屋の構造と同じ。違いは黒電話の有る無しだけ。
ボクが電気コタツの天板で漫画を描いていると寿荘住人の谷さんが入ってきた。
「お前、漫画描いているんやてな。どれ、オレが見てやろう」
谷さんは一応、描き上がって、電気コタツの横に置いていた一発目の漫画を読み始めた。
あぐらをかき、煙草をくわえながら、原稿用紙を一枚一枚めくって読んでいく。
時折、口元に笑顔がよぎる。目元も笑っているように見える。それとも煙草の煙が目に入ったからなのか。谷さんは読み終えると言った。
「面白いやん。このオチ最高」
「ホンマにホンマ?」
「オイルショックの今なら絶対受けるわ。キャラも今までにないタイプやしな」
「お世辞やなく面白いで。持ち込みにいけば?」
ボクはその言葉を信じて手塚賞、赤塚賞をやっている少年ジャンプに持ち込みに行くことにした。
ボクは原稿を入れた茶封筒抱えて、お茶の水で降りた。
お茶の水駅から少年ジャンプ編集部までの信号は全部青。幸先がいいと思った。
ちなみに当時の少年ジャンプ連載作品は、サーキットの狼、ドーベルマン刑事、包丁人味平、プレイボーイなど凄いメンバーだったが、まだボクの人生を左右した漫画は登場していない。
初めての持ち込みである。おそるおそる編集部のドアをノックしてから入った。
若手編集者の堀内氏が応対してくれて、自分の机の所までボクを案内して自席に座り、ボクに隣の席を勧めてから原稿を読み始めた。
同じ読んで貰うにしても谷さんとは大違いである。緊張感でコチコチになった。
読み終えた後、堀内氏は言った。「もう一度、描き直してみませんか? 取りあえず、この作品は預かっておきます」
「はい。分かりました」
ボクには堀内氏の反応が読み取れなかった。けれども描き直してこいということは、少しは脈があったのだろう。
一週間後、ボクは描き直した原稿を持っていった。
堀内氏は不在で描き直した原稿を机の上に置こうとしたら、警官ネタのギ
ャグ漫画の生原稿が置かれていた。
見たことがないキャラだけど、ペンネームがふざけていた。
山止たつひこ……がきデカの作者、山上たつひこ氏のマッチ棒一本クイズのようなパロディネームである。
がきデカは少年警官と名乗っているだけで警察とは無関係だけど、変にリアルタッチだから掲載されても警視庁からクレームが来て打ち切りになるだろうと思ったが、ライバルはライバルである。
ボクはその原画の上にボクの漫画を乗せて帰った。
その後、堀内氏から連絡は来なかった。処女作で掲載なんて所詮、夢だったんだと思った。
一九七六年になった。
冬が過ぎ春になった。寿荘の連中も居なくなるし、ボクも田舎に帰ろうかなと思
った時に堀内氏から電話があった。
「赤塚賞、準入選しましたよ」
「はあ? 赤塚賞に出してないんですけど」
「あの原稿、私が勝手に応募しておいたのですよ」
唐突に夢が叶ったのだ。
その時では準入選がトップだったので受賞者代表でスピーチもした。
受賞式後、立食パーティとなった。なんと、大勢の人に取り囲まれていた手塚治虫先生が、その人垣をかき分けて、わざわざボクの方にやってきた。
§3§
ボクの傍流漫画歴四十年史 天派(天野いわと) @tenpa64
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