1歩目:港町ウルブス・デ・ナーデにて・Ⅲ
しかし、ビアンカの思惑に反するように船旅は少々険しいものとなっていく。
窓から見えていた海は最初こそ穏やかだったが、道のりの三分の二を越えた辺りから、まるで激流や渦潮にでも入ってしまったかのように船の鼻先が目的地からずれ始めた。
加えて、その流れに合わせて船を動かしているからか、外に見える景色が飛ぶように後方に流れていく。
「ヴィオラ、しっかりクッションに体を伏せて。なるべく体を揺すられないように」
「もうやってます。気のせいなのでしょうけど、外部から圧のようなものを感じて酔いそうですわ……」
水のぶつかる音や、船の外装が軋むような音を聞きながら、ヴィオラは顔をクッションに伏せ、ビアンカがそれを庇うように寄り添っている。
そこから、危険を感じる音が何度か繰り返されたあと。船は静かに光のヴェールを失って停まった。
「……?」
二人が窓から外を見ると、海は、先程までの荒れ狂い方が嘘のように凪ぎを取り戻し、目の前には目的地の島『海神王の神殿』が見えている。
「着いた?」
「みたい、ですわね?」
おずおずと部屋から外に出る。
「わぁ……!」
「はあぁっ……!?」
ドアを開けた次の瞬間に、二人の視線は目の前に広がった景色に釘付けになった。
周囲を見渡せば、サファイアブルーの水面を誇る海が。
見上げれば、どこまでも広がるように視線を受け入れる青空が。
そして、誰も近付かないという孤島に存在している、透き通るようなエメラルドグリーンの輝きを秘める神殿建築が。
ただあるがままの姿で、二人の目の前に広がっていたのだ。
「驚きました? 中々綺麗でしょう?」
ぼうっとしている二人の背後から、モーレの声が聞こえる。振り向くと、そこには海や神殿と同じような色でグラデーションされた、光のようなものを帯びた髪と瞳のモーレが微笑を浮かべて立っていた。
「これは絶景ですわ。最近試作された射影機を持ってこなかったことを後悔するくらいには」
「後で描いてあげるから。ところで、その外見の変化は。もしかして」
感動に打ち震えているヴィオラを余所に、ビアンカはモーレの姿に向けて、先程ヴィオラに言いかけた疑問を投げようとする。
「いえ、皆まで言う必要はありません」
しかしモーレは、既に全てを察しているように笑うと、それを手で制した。
「ええ。私がこの神殿の祭司を受け継いでいる守護者ですよ。加えて、この神殿を造ったという一族の、末裔でもあります」
「末裔……。古代文明人の血を引いているという事ですの!?」
ヴィオラは驚きを見せ。
「いやぁ多分、祭司の守護者なんだろうなぁとは思っていたけど、まさか古代人の血を引いているという事まで打ち明けて貰えるなんて」
ビアンカはそれ以上に驚きを見せていた。
「あー、その。確かに血を引いてはいますけど、魔法文明の事や魔法の事は、記録として残っている以上の事はよく知らないので。資料集の協力は出来ないですけど」
二人が余りにも驚きを見せたからか、モーレもまた驚きと申し訳なさそうな苦笑でもって反応しつつ、船を係留するための器具を固定しに向かう。
「いえいえ! むしろ古代文明人の血を引いている人が現存しているというだけで、私のような研究者には大きな発見ですので!」
「ヴィオラ、落ち着いて……」
その後をついていき、鼻息荒く詰め寄っていったヴィオラをギリギリで制して引き戻しつつ、ビアンカは彼女より体を前に出した。
「それにしても、どうして血を引いていることを教えてくれたんですか? 街の人々も知らないのでしょう?」
「ええ、街の誰もそれを知りません。私のことは祭司・灯台守の一族としか知らないと思います。んで、ここで血の事を教えたのは、貴方がたが信じるに足る人だと感じたからです。あのグリージョアの紹介ですしね」
係留用のロープと重しを固定し終わったモーレは、そう言いながら、桟橋に渡るための足場を設置していく。
「えっと……。育ての両親が流布したでっち上げの伝承のおかげか、あそこの灯台周辺には誰も近付かないので、この奇妙な光を帯びた姿でも安心して暮らせます」
そう言って、モーレはにっこりと笑った。
「その光や色は、古代文明人特有のもの、なんですの?」
程なく、どうやら落ち着きを取り戻したらしいヴィオラが静かに前に出て、質問に参加する。
モーレは頷く。
「ええ。育ての親の話によれば、この光や色は、体内に流れる『ルナミス』が表面に出てきたときに出るそうです。ただ血が少し薄いので、それだけで終わっているようですが」
「濃ければ、魔法が使えるということですの?」
「えー、多分?」
「なるほど……」
いつの間にか取り出していたのか、ヴィオラがメモ帳に聞いた話を記録している。
「あー、あと、その。これはお願いなんですけど……」
すると、その様子を見ていたモーレが申し訳なさそうにヴィオラに言葉を投げる。しかし、それを聞いたヴィオラは二度頷き、メモ帳を閉じた。
「この事実は口外無用。ここだけの話にする。情報を使う時は協力者として紹介する、ですわよね?」
「……助かります。ああ、もう渡れますから。どうぞ。上陸してください」
そう言い、互いに安心した様子で笑ったあと、ビアンカ達はモーレの導きに従って孤島の神殿へと上陸していった。
専用の桟橋を軽やかに渡り、純白の美しい土を踏んだ。
その色に怪訝な表情を浮かべつつ足に力を込めて進むと、その度にざらりとした軽い音が二人の耳に届いた。
「この島って、もしかしてサンゴ礁で出来ていたりします?」
「おー、流石鋭い。その通りです。ああ、正確には海底にあったサンゴ地帯が海底火山の活動で隆起して、水上に出てしまったという具合ですけど」
「か、活火山のある地域に神殿を建てましたの? 古代文明人たちは度胸があると言いますか。何と言いますか……」
「はは、豪気だよねぇ」
質問に答えるモーレの微笑に向けて、ビアンカは楽しげに、ヴィオラは苦笑気味についていく。
そこからは、神殿の外縁部に造られている柱の回廊を通り、本堂と回廊の中間を埋めるように造られているガラス張りの通路の下を水が流れる構造、通称「流水の庭」を歩いて。
「さあ、着きましたよ。ここが神殿の中心部です」
そして、少しの回り道による散歩の後で、目的地である本堂の前に到着した。
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