第23話 旅人の休日と旅人街道の日常

 ある日の昼前。春の音もまだ遠く、流れる風も、肌に程よく冷たいころ。

 旅の少女画家ビアンカは、久々に画材と最低限の携帯食糧と水筒、そして精方術の触媒だけを持ち、拠点としている旅籠街を出ていた。ちなみに、ビアンカと言う名前は彼女の本名ではなく、画家としての名前である。

 彼女は最近、依頼などの関係で遠くに足を延ばすことも多く、近場でゆったりとした時間を過ごすことが少なくなっていたからか、旅先から戻ったある時、馴染みの深くなった光景を見に行きたいと、ふと思い立ったのだった。

「我ながら、何て感傷的な話だろうね。日記帳に書いといて絵の題材にしてやろうか」

 旅籠街から続く街道を歩きながら、自分の行動に向けて楽しげにツッコミを入れる。

 画材を収めた鞄が揺れるたびに、横に挿し込んでいる筆や、引っ掛けている小型画板が音を立てた。

 この街道は、旅籠街も含めて、人々からは「旅人街道」と呼ばれている。

 その名の通り、ここを通行する人々には旅人が圧倒的に多いから、と言うのがこの通称の由来なのだが、この街道が、そう言う呼び方をされるようになった元々の理由があることは、全く知られていなかったりする。

 この近くの旅籠街をよく利用する人や、歴史研究を齧ったことのある人であれば知っているかもと言う程度の浸透度ゆえに、それも当然なのかもしれなかったが。

「さて、もうじきかな?」

 画材達の奏でる音に耳を傾けながら、ビアンカは屋根付き待合所が点々と見える主街道から外れた、小高い丘へ続く脇道へと足を進め始めた。その先には、手入れされた様子のある一本の太い木が生えている。

「ふぅ…」

 その木の脇に、置きっ放しになっている綺麗なベンチに鞄を置き、腰かけた。

「……」

 ちょうど木陰と日向の比率が半々になる位置にある為、吹いてくる風との取り合わせが実に心地良い。手軽ながら、休息の黄金比と言うものを実感させられる。

「……おっと、眠りそうだった」

 一瞬、心地良さに引かれて暗転しそうになった意識を、首に力を込めることで強制的に引き戻し、風景へと目線を向けるようにした。

 ただ、このままで居ると本当に眠ってしまいそうになるので、早速と鞄を開けて鉛筆と用紙、仮色入れ用の粉薬が入った小瓶を取り出す。

 そして画板を鞄から外して用紙を挟み、絵を描く準備を進める。

「よし」

 両頬を軽く叩いて気合を入れ、鉛筆を握った手で測量のような動作を始めた。

 景色の遠近、色の濃淡、存在している動植物の判別、視覚の端々に見える雲や風の動きなどなど、注意を払わなければならないものは意外と多い。

 やっている事は測量の真似事のようなものだが、精確に物事を捉えようとする一点においては、ほぼ同じだろうと思う。

「ふぅむ…」

 鉛筆を滑らせて、街道、屋根付きの待合い場、草原、行き交う人々や馬車の輪郭を、用紙の上に写し取って行く。黒の線が白の更地を形あるものへと開拓していく。

「人と馬車は、もう少しはっきり描くかな…。草原と山は、少しぼかして遠く」

 黒い線が白紙を開拓した後は、只の線の集合体に意味を付与していく。

 線を人へ、馬車へ、風景へと変えて行く。

 そして、その様な一種魔法めいた作業を始めて、幾らか時間が過ぎた頃。

「ふぅー…。ちょっと休憩ー」

 鉛筆と画板とを横に置き、愛用の水筒に入れて来た紅茶と、お茶請けとして持ち込んだスコーンで一息入れていた。

「ん?あれは…」

 ベンチの背もたれに体を預けて何となく風景に視線を向けていると、待合場の二台の馬車が停まり、中から、白い装束に身を包んだ人間がそれぞれから五人ほど降りるのが見えた。

「あれ?今日だったっけ?教会の巡礼日って」

 その集団を観察しつつ、ビアンカは濃いオレンジ色の紅茶を口に含んだ。

 この白装束の集団、白光教の巡礼者達こそが、街道の呼称の元々の由来だった。

 この大陸には、大きく分けて二つの宗教が存在している。

 長い歴史と伝統を持つ白光教と、その白光教から独立した闇の聖母修道会である。

 これらは、元は一つの思想集団だったが、内部の見解の相違から、人間に魔法をもたらしたと言われる光の始祖「織り手」を信奉する白光教と、光を得る前の人々の源流とされる「原初の闇」をこそ聖母であるとして信奉する闇の聖母修道会とに分かれたと言われている。

 なお、この二つの派閥は見解の相違こそあれ、武力による宗教闘争と言う事態には奇跡的に陥っていない。一部派閥を除けば、だが。

 さて、これが「旅人街道」の由来とどう関わってくるのか。

 それは、白光教の聖典において、巡礼者の事を「光に導かれた闇からの旅人」と呼称する事に端を発している。

 この街道の待合場で降りた巡礼者達は、旅籠街の南に位置する小規模集落に存在する白光教の教会に礼拝し、カハールと呼ばれる儀式のあと、司祭によって祝福或いは洗礼を受けるのだと言われている。

 そのような事情から、この街道には多くの白光教巡礼者が集まるので、いつしかここを白光教信奉者達が「旅人街道」と呼称するようになった、と、そう言う事である。。

 ただ、ある旅雑誌会社の取材の影響で「旅人街道」と言う呼び方のみが広く浸透したために、いつしかこの由来は陰に隠れてしまったのだった。

「まあ、私には関係ないけどさ…。よっと!」

 ビアンカは、紅茶を注いだ愛用のカップとスコーンを包んでいた布を脇に退けて、再び画板と鉛筆を持つ。街道をゆく人々の風景と、その十人の巡礼者を急いで絵に記録するために。

「ふむふむ、この装束はこうかな?」

 そして、巡礼者達を他の旅人と隣り合わせの位置に描き加えていく。

「ふー…、これでよしっと」

 終わった後、ビアンカは鉛筆を置き、再び道行く人々へと視線を向ける。

「これも、風景画の醍醐味だよね。きっと」

 その上でそう呟き、笑うのだった。

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