第24話 遺跡研究都市ルイーナ・クラスターナにて:前編
大陸のそこかしこが春を迎えようとしている頃。少女は必要な荷物のみを持ち、一人の連れ合いと共に、純粋な旅目的で、ある街を訪れていた。
街の名は、ルイーナ・クラスターナ。魔法文明時代の遺跡の上に存在する研究都市である。
しかし、特段街そのものが古いわけではなく、実のところ、数十年程の歴史を有しているに過ぎなかった。通常であれば、数十年と言う時間は非常に重く、長い意味を持っているものだが、遺跡そのものの歴史と比較すると、その積み上げは、まだまだ浅かった。
その街は、遺跡への入り口を中心に円形になるよう構成されており、中央から軍事部門施設、研究部門施設と続き、そこで一度、外部と中央とを区切るように壁が建設されている。そして、その壁の外側に観光及び商業部門が配置され、街の産業の一翼を担う。
さらに、その外側。観光及び商業部門区画とその外側の居住区画とを区切るように壁が建設されており、そこから二つ目の軍事部門施設がある場所に存在している城壁まで遮るものは何もなく、平和な街並みが広がっている。
少女は、連れ合いと別れ、一人その街の観光区画に居た。
石畳の通路を歩き、商店や名所を巡り、愛用しているスケッチ道具で人々の絵を描いている。
少女は旅人であると同時に、ビアンカの名前で活動している商業絵師でもある。知名度は、たまに依頼が舞い込む程度。
「ふぅ…。よし、こんなところかな?色付けは後でゆっくりやるとしよう」
描いたスケッチをいつもの鞄にしまい、その上で、近くに出店していた出張カフェで購入したコーヒーを一口飲む。
微妙にぬるい、芳醇な香りを放つ液体が彼女の喉を潤す。
「…冷めちゃったなぁ。まあ当然か。後でもう一杯買おう。この様子だと、ヴィオラを迎えに行かないといけないしね」
呟いて一息つき、カップ片手に人間観察に戻った。
目の前には実に多くの、外来と思われる人々が居り、各々手に飲食物やガイドブック、土産物を持って散策している。街の住民と思われる人々もそれなりに多く、実に賑やかな風景が広がっている。
ビアンカは、クッと一気にコーヒーを流し込み、立ち上がる。そして、急ぎ近くに出店している出張カフェの場所へと向かう。宿の主人から、そのカフェは人気があり、コーヒーや軽食が早期に売り切れると聞いていたからだ。
人混みを適当に避け、一本路地を入ったところに出店していた件の出張カフェへと向かう。
「いらっしゃいませ、絵描きさん。良い絵は描けましたか?」
そして、何事も無く出張カフェに辿り着いた彼女を、休憩していたらしい店員の男性が笑顔で迎えてくれた。
「さっきぶりです。まあまあ良い絵が描けましたよ。色付けはまだですけど。えっと、もうでしたか?
「いえいえ。客足が一度切れましたから、一息ついていただけですよ。何かご入用ですか?」
「コーヒーを二つ下さい。砂糖入りで。あとはサンドイッチを二人分」
「畏まりました。どなたかと待ち合わせですか?」
店員は、コーヒーを保管容器からカップへと注いでいく。
「ええ、ここに一緒に来た友人と。研究部門に用事があるそうなので、広場で待ち合わせの予定でした」
「おや、ご友人は研究者さんなんですか。この街は遺跡の上に建っていますからね。はい、出来ましたよ。コーヒー二つと、サンドイッチ二人分です」
そう言って、店員はカップと、弁当用に作ったと見られる箱に入れたサンドイッチを差し出した。横にはカップを挿し込む部分が用意されており、携帯に便利な仕様となっている。
「有難う御座います」
ビアンカも鞄から財布を取り出し、代金と引き換えにそれらを受け取った。
つい先ほど味わったものと同じ芳醇な香りが、包みから漂っており、嗅ぐ者の心を惹きつける。
「お買い上げ、有難う御座いました。是非、またお立ち寄りください」
「ええ、是非そうさせて頂きます」
今すぐにでも味わいたいと言う欲求を抑えつつ、ビアンカはその場を後にした。
そのまま路地を出て、最初の広場に戻り、相変わらずの人出の多さに苦笑を浮かべつつも宿屋のある大通りへと向かう。
この街の構造は、ある事情から複雑ではあったが、道と案内板に従って蛇行する様に通りを進むと、観光・商業部門区画と研究部門区画とを区切っている壁に円滑に辿り着くことが出来る仕様になっている。
この仕様となっている理由は色々とあるが、中央の研究部門へと通う人々にとっては煩わしい仕様となっていた。
「…あの道の構造、あの旅籠街を思い出すなぁ。まあ、良いか。門の絵柄は…うん、合ってる」
そして、壁に四ヵ所だけ設けられている門の前に立ち、ビアンカは記憶を引っ張り出した。
事前にヴィオラに聞いていた情報と照らし合わせ、潜るべき門かどうかも確認する。
「次は詰所の場所かな…。普通なら柱の根本にあるけど…」
辺りを見回す。
よく整備された草むらや用水路、跳ね橋と順番に見て行き、最後に門を支える太い柱へと目を向けた。すると、そこで話をしている衛兵の姿を見ることが出来た。
「基本は、何処も同じと言う所かな?分かりやすくて良いけどさ」
ビアンカは一つ頷いたあと、歩き、跳ね橋を渡り、守衛詰め所へと歩を進める。
「すみません、この先に向かいたいのですが、ちょっと宜しいでしょうか?」
そして、守衛詰め所前で話をしていた衛兵の一人に話し掛ける。
「うおっと!これは申し訳ない。通行ですね?どうぞ、こちらへ。帳簿への記入と証明書の提示を願います」
ビアンカに話しかけられた衛兵は少しだけ驚いた後、恐らく、勤務時の調子に戻り、彼女を詰め所の横にある受付らしき場所へと案内する。
窓口には一人の女性が控えており、そこに設けられたカウンターには開かれた一冊の本と鉛筆が置かれている。
「こんにちは。ようこそ、クラスターナ研究所へ」
「こんにちは。あ、これが通行許可証と、許可証発行証明書です」
営業特有の明るい笑顔を浮かべた受付嬢に迎えられたビアンカは、早速、ヴィオラから事前に受け取っていた、中央学術院発行の書類と許可証を取り出して提出する。
許可証は紋章の刻まれた精方術の触媒となっており、指定された人間が所有し、発行証明書に刻まれた精方術式と組み合わせることで確度の高い保証としている。
「では、確認のため、少々お待ちください」
両方を受け取った受付嬢は、一度奥に下がり、何やら棚から取り出した書物と書類を照らし合わせ始めた。確度の保証は有るものの、最後の確認手順は必要で、ここで提出者と証明書に記された人物とに間違いがないかを調べるのだ。
そして数分後。
「お待たせいたしました。ヴィオラ博士のご友人、ビアンカ様ですね。お疲れ様です。ではこちらの書類はお返ししますので、大切に携帯しておいてくださいね」
確認を終えたらしい受付嬢が窓口に戻り、書類をビアンカに返却する。
「有難う御座います」
書類を鞄にしまい、帳簿に指名の記入を行った後で門をくぐった。
十数分後。職員に案内されたクラスターナ研究所第三研究棟の一室にて。
「それが、予想以上に順調に進みまして。加えて、持ち帰ることが出来た情報の数も多く、やはり皇都に籠っていては、こう言った貴重な資料は得られませんわね!」
「そ、そっか…。まあ気持ちは、分かる気がするかな?旅の絵描きとしては」
興奮気味に話す、眼鏡に白衣姿の友人ヴィオラを前に、ビアンカは無難な相槌を打っていた。
広い部屋には今は彼女たち二人だけしかいない。確か他の研究者も居たはずだが今は出払っているようだ。
「それで、どんな発見があったのかな?聞いている限りだと、魔法文明時代の資料みたいだけど」
流石にペースを一方的に握られると会話が成立しづらくなるので、ビアンカもまた話題を選びつつ、逸れない範囲で話を繋げていく。
「そうですねぇ…、得た物は色々とあるのですが、遺跡内部に置かれていた新品同然の古代の魔導甲冑を運び出せたことが一番の収穫でしょうか。現在、皇国で稼働している機甲人形はどれも燃費が悪く大型ですから。今回の資料で、或いは小型化が進むかも知れませんわね」
やはり何処か興奮気味にそう話すヴィオラに、ビアンカは苦笑し、頭を掻く。
楽しそうな友人の姿を見るのは喜ばしいのだが、勢いに置いて行かれている感覚が、ビアンカに苦笑を浮かべさせていた。
「ちょっとした技術革新でも起こりそうだね。アルフレッド辺りが騒ぎそうだよ」
「ええ!これは学術院の歴史に名を残すチャンスかも知れません。これは早めに中央に帰って煮詰めたい案件になりそうですわ!」
「……いや、良いけど、今回の主目的は観光だってこと、忘れてないよね?許可証を取ったのも、そもそも遺跡観光を円滑に進めるためだからね」
興奮し過ぎて、心を何処か明後日の方向、恐らく輝かしい未来へと向けながら、手に持つ資料へと熱いまなざしを送っているヴィオラに対し、ビアンカは至って冷静な突っ込みを入れた。
「う…も、もちろん忘れておりません。大丈夫です…ええ、大丈夫です…とも」
ヴィオラは、指摘に一気に口調から勢いが消え、声量も小さくなっていく。
「思いっ切り、今日は広場で合流する予定だったこと、忘れてたよね?」
一方、ビアンカは、にこにこと笑っている。
「……はい、調子に乗り過ぎました。申し訳ございません」
「まあ…別に良いけどさ。待つのには慣れてるからね。取り敢えず、頭を上げて、表の庭でコーヒーを飲もう。サンドイッチもあるよ」
申し訳なさそうに頭を下げて小さくなっている友人を見下ろしながら、ビアンカは持ってきていた包みを机の上から取り上げる。
少し時間が経ってしまっているものの、未だに芳醇な香りを放っている。
「それはもしかして、今朝のホテルで聞いていた、あのカフェの?」
匂いに気付いたらしいヴィオラが、勢いよく顔を上げて表情を明るくする。
「もちろん。美味しい食事とお茶、コーヒーは、旅の楽しみの一つだからね。味は確認済み。美味しさは保証するよ」
実は、ビアンカが研究室を訪れた時から匂い自体は漂っていたのだが、熱中し過ぎていてどうやら気付いていなかったようだ。
「さて。なら外へ出ようか。フィールドワークでも、一度、ゆっくりと外の空気を吸う事には意味があるからね」
「…そうですね。その通りです」
そのような会話を交わしながら、二人は、何やら忙しなく行き来している研究者達を余所に庭へと向かうのだった。
十数分後。クラスターナ研究所の中庭にて。
「ふぅ…。このコーヒー、当たりですね。実に美味しいです」
「このサンドイッチも良いね。新鮮な野菜とハムの組み合わせは、やっぱり良いものだよ」
二人は、ビアンカの持ち込んだ軽食とコーヒーで一息つきながら、この後の予定を話していた。
中庭は、所長の意向によって、周辺地域の気候をも計算に入れた造りになっており、屋根付きのテーブル席と花壇、そして芸術的に配置された噴水が、憩いの場として訪れた人々を迎えてくれる。そのお陰か、二人ともコーヒーとサンドイッチの味をより堪能することが出来ていた。
ビアンカはガイドブックとメモを交互に見て、何かを確認している。
「まずは商店巡りだね。仕入れた情報によれば、質の良い小物や触媒、それに絵具も扱っているって話だったから」
メモ代わりに使用している紙束を捲りながら、ビアンカは自分の顎に手を当てる。
「絵具と触媒は、専門店で購入するのが確実ですからね。私としても、質の良い触媒が手に入ると言う事実は見逃せないですし」
「研究者として?」
「ええ、研究者として」
そう言って、ヴィオラはにこりと笑う。
「なら、飛び切りの逸品を探さないとね。長く使えそうなものならば、なお良し」
「旅人として、ですか?」
「うん、旅人として」
そして同じように、ビアンカも笑顔を浮かべた。
「…と、なると、幾つかルートを追加する必要がありそうですね。夕飯は如何しましょうか?」
テーブルの上に広げられたガイドブックを指さしながら、ヴィオラは何かを探すように地図をなぞっていく。
「なら、途中で商店街から宿屋街に入れば、色々ありそうだね。まあ、情報が少ないし、出たとこ勝負かな」
それに合わせて、ビアンカが鉛筆で丸と線を付けて、見やすく手を加えた。
「あら、珍しいですね。こう言う時の情報は、貴方が大体収集していると言うのがお決まりでしたのに。と言う事は、思い掛けない出会いが待っているかも知れないと言う事ですね」
「そう言う事。たまには良いでしょ、こう言うのも。さて、と。そうと決まれば善は急げ、なんだけど…」
そう言って立ち上がるようなそぶりを見せて、ちらとヴィオラに視線を送るビアンカ。
ヴィオラは、一瞬さっと視線を逸らした後。
「ま、まあ、持ち帰る資料を纏める作業自体はすぐに終わりますから、その、ええ…」
椅子から立ち上がりつつ、少しだけ恥ずかしそうに口にした。
「…うん、まあ、私も手伝うから、手早く終わらせよう」
「有難う御座います」
ビアンカも、今度はしっかりと椅子から立ち上がり、テーブル上の片付けに取り掛かる。
ガイドブックの開けていたページに自分の書いたメモ用紙を栞代わりに挟み込み、閉じ、鞄にしまう。
そうして、カップなどのゴミ類も袋に纏めて片付け終え、いざ休憩場所を離れようとした、その時だった。
「ん?」
実に唐突ではあったが、ビアンカは今居る場所に、ある種の違和感を抱く。
「どうかしましたか?ビアンカさん」
中庭の中央に配置されている噴水周辺に視線をやり、そのまま動きを止めた彼女にヴィオラが訝しげに声を掛ける。
「いやあ、うん…。何というか…」
ただ、その感覚は違和感と言うよりは、現況と自己認識の間に何か、大きなズレがある様に感じられたと表現する方が正しいのかも知れない。
そしてそれは、一度認識してしまうと如何にも拭い去り難いものを心に残していく。
「今気が付いたんだけど。中庭に人、誰も居ないね。勤務時間中でも、少しくらいは息抜きに来ていそうなものなのに」
話に夢中になっていたせいで気が付くのが遅れたのか、或いは自分達が訪れる前から誰も居なかったのか、中庭にはビアンカとヴィオラの二人だけしか存在していなかった。
噴水の水の音、風に揺れる木々の音が、疑念を生みつつある心にすき間風を吹かせて行く。
「え?ああ、そう言われてみると確かに。何かあったのでしょうか…?」
「何だろうなぁ…。物凄く嫌な予感がするんだけど」
ビアンカは、嫌な予感がすると言っている最中に、既に精方術の触媒である指輪をきちんと装着しているかどうかの確認を、慣れた手付きで始めている。
精方術と言うものが、触媒を通してイメージを具現化させる技術である以上、危機的な状況に陥ってから触媒を用意していたのでは、手遅れになるからだ。
これは彼女の、旅人としての経験の為せる技である。
「奇遇ですね。私も嫌な予感が致します」
ヴィオラもまた、彼女の動きに倣うように、常に持ち歩いている精方術の触媒を確認し始めた。
触媒が用意出来なければ火の粉を振り払えない。これは術師全員に共通する理だった。
そして、二人ともが一先ずの迎撃態勢を整え、周辺の警戒に意識を移した、次の瞬間だった。周囲の風が止み、音が消えた。
しかし、それを訝しく思う時間など与えられなかった。
中庭中央に配されている噴水の向こう、研究棟と研究棟の間に、一戸建ての家屋に匹敵する程の大きさの術方陣が出現。そこから、人間より二回り以上も大きな何者かが、姿を現したのだ。
その乱入者は、外見を例えるならば、甲冑で全身を包み込んだ巨大なケンタウルスか、それを模した機械と言うところだった。それが、金属質の蹄を鳴らしつつ石畳の上に着地する。
余りにも突然に出現した乱入者に、ほぼ脊椎反射で垣根裏に身を隠すビアンカとヴィオラ。
「あれは、一体何?」
こっそりと隙間から乱入者の姿を観察しつつ、ビアンカが呟く。
一方で、ヴィオラは信じられないと言う雰囲気を醸し出す表情を浮かべていた。
「まさか、あれは…。いえでも、そんな事って」
「……一つ、聞いて良い?」
その顔になにかピンときたビアンカは、率直な疑問をぶつけることにした。
「さっき、魔導甲冑を遺跡から運び出したって、話してたよね。もしかして…?」
するとヴィオラは顔に冷や汗を垂らし。
「ええ、その様です。信じられませんが…」
素直に疑問の正しさを認めた。
ビアンカは大きく溜め息を吐き、周囲の状況を確かめ始める。そして、状況が予想以上の速度で悪化している事を知った。
なんと、先程展開した術方陣から、甲冑のケンタウルスが二体ほど出現。最初に姿を見せたケンタウルスとは別の方向へと移動を始めたのだ。
それを見て、再び身を隠したビアンカも、ヴィオラと同じように冷や汗が頭から垂れてくるのを感じていた。
「…逃げようヴィオラ。これはどう考えても不味い」
「そうですね。そう致しましょう…」
互いに顔を見合わせ、肯き合い、そして隠れている垣根の高さから身を乗り出さないようにひっそりと、しかし出来る限り急ぎ足で、その場を離れて行く。
こうして、二人の思わぬ逃走劇が、始まった。
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