第17話 鏡の湖畔にて

 ある日の昼下がり。その旅人の少女は、とある地域を訪れていた。

 そこは、一つの地域が丸ごと魔法文明時代の戦場跡として認定された場所であり、今もなお、当時の戦の跡が残る危険な地域でもあった。

 そもそも何故、そのような場所に足を運んだかと言われれば、その場所にまつわる、ある噂に、好奇心をくすぐられたからである。


 そこに足を踏み入れると、まず少女を迎えてくれたのは、通常では考えにくい色に変色した木々と、草花だった。

木々は、外観から活力は感じられないが枯れたと言う風情ではなく、それでいながら、葉の一枚一枚がまるで花弁のように鮮やかな色つやを放っている。

 草花は、爛々と咲き誇っているにもかかわらず、まるで木々のような赤茶けた色に染まっており、風に揺れていなければ木造の彫刻ではないのかと錯覚してしまう程に、不完全な形で完成されていた。

(……)

 少女は、事前に仕入れた情報に従って、指に着けた精方術の触媒に注意しながら歩を進める。

「えっと…。ここか」

 時たま、その触媒から小さな光球を生みだして探査させるように辺りに飛ばし、その光球が霧散しなかった方角に向けて歩く方向を変えながら、奥へ奥へと向かっていく。


 不可思議な森を抜けた。

 次に少女の目の前に広がったのは、時が止まったように凪いで居る湖と、その中に道を作るように配置された岩々と瓦礫のような物体、そして、湖の中に別々に配された三本の、一部が崩壊した小さな塔だった。

 少女は、鞄の中からスケッチブックと、無限に塗料を補充できると触れ込みの細筆を取り出し、せっせとその風景を線画として収めていく。

 湖。岩場と瓦礫。三本の崩壊した塔。その湖の外縁部を囲う変色した木々。さらにその外周を囲う小高い山。全てをありのままに描き、封じ込めるような趣で筆を動かす。


 彼女は冒険家であり、同時にビアンカと言う名前で活動する風景画家でもあった。知名度はそこそこ。こうして旅先の絵を気の向くままに絵に収め、希望する人に販売して収入を得ている。


 そのまま三十分ほどで線画を完成させた少女は、手慣れた動作で画材を片付けると、早速湖へと足を運んだ。

「……」

 軽い段差を下り、岩場が始まる位置まで歩み寄る。その上で、目の前に広がる湖に滑らせるように視線を動かした。

 そのまま遠くまでを見渡してみると、波紋一つない透き通った銀色の水面が、鏡のように映した高い空が、青く、白く、時に光を弾きながら、まるで空を封じ込めているように見えた。

(まるで、空そのものみたいだね。湖に飛び込んだら空に向けて落ちてしまいそう)

 そのような錯覚を楽しみながら、少女は岩場へと足を踏み出した。


 空を蹴るように少女は岩場を歩く。

 向かいからは風が吹き、頬を撫で、そうありながらも同時に背中を押すように、目の前の塔へと誘われていく。

 塔は、苔生した金属質な建材で造られており、手で触れて撫でると、そこから熱を奪われるのでは無いかと危惧してしまう程に冷たい。

 そこから塔の入口を探すために周囲の石畳を歩き、そして、塔に巻き付くような形で掛けられた階段を見つけ、少し上に造られていた出入り口めがけて上って行く。


 塔の中へ。

 内装は至ってシンプルで、木造の棚、机を基本に、ランプのように見える物や、遠望鏡のように見える小型の道具、老朽化した書物など、居住、或いは利用していた人物の趣味や生活が垣間見ることの出来る物品ばかりが転がっている。

 少女は、何気なく書物に目を落としてみた。

 そこには、掠れてもなお美しいと感じる程の達筆さで、ヘーリニック言語圏の文字が書かれている。

 その内容も至ってシンプルで、複雑な何かが書かれている訳でもなく、日常の彼是を記録した、有り体に言えば日記だった。

「……は、今日もまたこの監理局に……の命令で訪れたと語り、この塔で保護している歌の紡ぎ手ラーゴゥが時に奏でる歌唱術がもたらす具象化能力を求めて?」

 掠れていない一部分を口に出して読み上げ、少女はうんうんと頷いた。

(噂の発生源と思しき物自体はきちんとあったみたいだけど、こう崩壊した状態じゃあ、聞こえて来なさそうだなぁ……)

 頷いた後で、残念そうに頭を掻きながらその場を出て行った。


 そのまま、空を蹴るように岩場を渡って第二、第三の塔へと向かうが、内装などに特に変わり映えはなかった。目を引くものはと言えば、日記と、不思議な形をした機械式甲冑くらいであった。

(うーん。魔法の古歌が聞こえてくるって噂は、確認出来ずかぁ……。残念)

 少々拍子抜けした様子で第三の塔を後にした少女は、第一の塔の前を通り過ぎ、岩場を歩いていく。

「まあ、この物凄く不思議で美しい景色が見られただけでも収穫だったけどさ。塔から見下ろした湖とかも最高の眺めだったし」

 噂の真偽を確かめられなかった残念さはすぐに表情から消え、空を歩くが如き周囲の風景を瞳に映しながら、微笑を浮かべた。


 岩場を渡り湖から出る。

 少女は、外縁から三本の塔と湖の景色を振り返り、再びその空気感を目に焼き付けるように見据えた。雲が多くなってきたからか、最初ほど眩しくはない。

 その時。

「……ん?」

 風が一瞬止まり、周囲の音の一切が何処かへと置き去りにされた様な静寂が場を包み込む。

(音が、消えた?)

 次の瞬間だった。

 崩壊して、苔生していたはずの三本の塔の頭頂部が蒼く淡い光を放ち始め、それぞれを光の線で頭頂部同士を連結させ、光の三角形を形成した。

「こ、これは……!?」

 突然に始まった現象に驚いた少女は、只真っ直ぐにその経過を眺めるしかなかった。

 そのまま、さらに現象は続く。


 光の三角形が場に現れ、完成した直後。三本の塔から何かヒトのような声が聞こえ始める。

『―――――――――――』

 その声は、少女には理解出来ない言葉を紡ぎ出した。

 その声は、少女には理解出来ない言葉で音を奏でた。

 ただ、その声が歌を歌っていると言う事だけは、理解出来た。

「……!」

 歌が聞こえて、磨かれた鏡のようだった水面に初めて波紋が広がり始めた。

 歌が聞こえて、揺るがぬ鏡のようだった水面に初めて歪みが生まれ始めた。

 風はない。だが水面は揺れ続け、波紋は広がり続ける。


「これは、ちょっと危ない?」

 流石に、現状に一抹の不安を感じた少女は、急いで近くの木の後ろに避難して防護術を展開。何が起きても問題ないように構えた。

 その直後だった。

 塔の、光の三角形の中心から、まるで爆発する様に光の波動が拡散。湖全体に大きな波紋を、波を、発生させたのだ。

「わっ、まずいっ!?」

 少女は、防護術のイメージをより強固にし、複数枚の壁を重ね合わせるように構築し直す。

 しかし、光の波動本体や、波動によって発生した波は湖の端に到達した瞬間に砕けたが、少女の居る外縁に上る事は無く、幸いにして防護障壁が機能を発揮するような事態にはならなかった。


 それから数分後。全ての光が過ぎた後。

 少女は防護術を解除したあと、未だに歌が聞こえている湖を見据えながら、唖然とした様子で外縁に立っていた。

 湖は、三本の塔が光の三角形を構築していること以外は最初の凪を完全に取り戻しており、波紋一つ広がる事は無かった。

 雲一つない空を映す湖は、何処までも、いつまでも蒼く。その鏡のような歪みの無さを当然のように見せている。

「魔法文明時代の、魔法の古歌」

 そう呟き、少女は空を見上げた。そこには。


 水面に一切の雲が映らないように、湖の上だけ器用に晴れた空があった。


「青空を具象化する歌か。はは、そうだね。曇り空は気分が沈むもんね」

 空を見上げながら微笑を浮かべ、再び呟いた少女は、それ以上何も言わずにその場を後にした。

 彼女が去った後には、晴れ空が喜ばしいと歓喜するように、明るい旋律の歌を響かせ続ける三本の塔と、一切揺れる事の無い湖の、晴れ空を映し込む磨き抜かれた鏡のような水面だけが残されたのだった。

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