第16話 密やかな女の子のお茶会

 ある日、少女は大陸の東方に向かう途中の木陰で、休息を取っていた。

 鞄を下ろし、水筒を取り出して茶を一服。

 その日の水筒には、アーグレーと呼ばれる紅茶が入っており、カップに注がれたオレンジ色の液体からは、柑橘系の香りが放たれている。

「やっぱりフレーバーティーは、休憩には最適だね。この香りだけでも癒される」

 嗅覚と味覚を介しての癒し効果を感じながら、少女は木陰から空を見る。

 時期のせいか、雲が高いところを流れているように見える。風は心地よく頬を撫で、清々しさと共に紅茶の香りもまとめて運んで行った。

 そういう自然の抱擁を肌身で感じつつ、今後の事を考えていく。

(街までは、もうちょっと掛かるかなぁ。この分だと。さて、飛ぶべきか、飛ばざるべきか……。悩ましいね)

 今、少女は、とある交易街を目指していた。目的は、最近、その街に持ち込まれたと言う新型の大型絡繰り機械を見て、絵として記録することだ。


 少女は、ビアンカと言う名前で活動している流浪の絵描きで、自分の感動した風景等を絵に記録することを使命と勝手に設定し旅をしている。知名度はそこそこ。

 そうして旅先で描いた絵を、個展を開いて披露したり、需要ある人に販売したりしながら旅をしていた。

 そういう意味で、今回の大型絡繰り機械来訪の情報は、胸が高鳴るに充分な魅力を持っていた。それでなくとも、そう言った絡繰り機械が、中央や一部大都市以外に存在すると言うのは非常に珍しい事なので、このような機会は願ったり叶ったりだった。


 さて、そんな風に休息と些細な悩みとを挟みつつ空を眺めていると、一つの影が少女の方に向けて降下してくる様子が見えた。

「うん? あれは……」

 その影は、飛行のために必要なのか、何かに跨っている様な前傾姿勢のまま、高度を下げているようだ。その周囲では、覆うような形で軽い風の渦が起こっているが、高度の下降と共に霧散していく様子が見えた。

 影はそのまま下降を続け、最終的に少女の居る場所の近くに、無事着陸。覆っていた風も、完全に周囲に散った。

「ふぅ……」

 そうして降りてきた人物は、大きめの革製の鞄を提げた、少女と同年代な女性の郵便配達員で、綺麗に整えられた箒型の触媒に跨っている。こんもりと盛り上がった胸元や袖には、公選の長距離郵便配達員であることを示す徽章を付けていた。

「ああ、あれは。誰かと思えば」

 そう言って、少女は微笑し、頷く。


 実は少女には、その配達員に見覚えがあった。前に幾度となく手紙の受け渡しに関わったこともある、有り体に言えば顔見知り以上の知り合い、要は友人だった。

「おや? ビアンカさんじゃないですか! これは奇遇ですね」

 箒から降りた配達員の少女は、綺麗に纏めた長髪を揺らしながら、いざ自分の休憩場所と定めた木陰に向けて歩き始め、その時点で、先客が居た事に気が付いた。

 同時に、その先客が見知った人だと言う事にも。

「ブラウ。久しぶりだね。そっちも休憩?」

 少女の方は特に立ち上がると言う事もせず、そのまま木陰から様子を見ていた。

「ええ。担当の仕事が早くに一段落したので、十時のおやつでも頂こうかと。そちらは、何処かへ向かう途中ですか?」

 ブラウは、荷物を抱えたまま木陰近くまで歩いた後、適度に離れた位置に荷物を下ろした。

「まあね。ほら、この近くの街に絡繰り機械が運び込まれたって話、聞いてない?それを見に行こうかってね」

 少女はカップを下ろし、腰を下ろそうとしていたブラウの方を見やる。

「ああ、あの精方術補助型の、防壁形成用の実験機ですか! あれ気になりますよね。これからの対魔物戦略の主戦力になるかもしれないって話ですし。休暇中なら見に行くんですけどねぇ」

 ブラウも腰を降ろし、鞄から水筒とカップを取り出した。


 このスタイルは、わざわざ自前のカップを用意すると言う一見不便な手間がお洒落さを演出すると言う事で、最近流行りの紅茶の飲み方だった。


「何なら、今度の休みにでも行ってみたら?もうすぐ長期休暇期間だよね?」

「そうですねぇ。年末年始期間直前までは休めますが、雲行き怪しいんですよねー、どうにも」

 ブラウは、何処か気だるげにカップに紅茶を注いだ。濃い茶色の液体が動くたびにラベンダーを中心とした複数の果物の香りが、風に乗って少女の下に届く。

「……どういうこと?何か、事件でも起こった?」

「それが、不毛な事なんですけど、宗教法人を母体にしている評議員派閥が小競り合いを始めまして。その影響の余波で、そう言う所属の公務員への風当たりがきつくなっているんですよ。確かに、宗教信者さんも一定数勤務していますが、郵政公社自体は中立のはずなんですけどね」

 カップに注いだ紅茶を、一気にのどに流し込むブラウ。

「それは、光仁回帰派の?」

「ええ。白光教の光仁回帰派系の評議員と、闇の聖母修道会の闇楽浄土派系の評議員が、最近の対魔物政策と魔物事件を巡って、責任追及の政争を次々と」

 実に面倒臭そうに、そう口にする。

「白光教も修道会も、それ以外の派閥を母体にしている評議員や信者さん達は、良い迷惑でしょうね。過激な人々は、何処か他所でやってほしいですよ」

「なるほどなぁ。それは、ご愁傷様だね」

 そう言って、少女は自分から距離を詰め、カップを軽く差し出す。

 ブラウはふっと笑い、合わせるようにカップをそっと差し出した。

「今更ながら。空の王、大地の王、そして……」

「旅の神に乾杯、と言う事で」

 互いにそっとカップをぶっけ、音を鳴らした。


 そのまま二人は世間話を続け、ブラウ視点で見た最近の中央の様子や、配達先で仕入れた面白そうな噂話、或いは実際に自分の目で見た情報などを、少女の旅先での話と交換で収集していく。

「なるほど。それは面白そうな遺跡ですね。行ってみたいですけど、少し怖くもありますね。興味は凄く惹かれるんですが」

「面白さは保証するよ。特に、絡繰りが好きならね」

 身を乗り出しそうな姿勢になっていたブラウが、軽くではあるが、本当に身を乗り出す。

「止めて下さいよぉ。行きたくなっちゃうじゃないですか」

「ははは。それはもう、行きたくなるように言ったんだから、当然だよ」

「まったく意地悪ですねー。色々と旅した人が面白いって言ってたら、気になるのは当たり前じゃないですか!」

「まあ、暇がある時にでも声を掛けてくれれば、連れて行ってあげるよ。その時はね。それよりも……。少し、頼まれて欲しいことが有るんだけど」

 そう言いつつ、少女は自分の鞄から、絵を収めている筒状の入れ物を取り出し、シュポンと言う空気の抜ける音を立てながら、蓋を開けた。

「ん、何でしょう? 配達ですか?」

 ブラウは、少々出鼻を挫かれたような表情を浮かべつつ、興味深げに筒を見る。

「そうだね。これの配達を頼みたくて」

 少女は、筒から丸めた一枚の絵を取り出し、広げて見せた。

 そこには白光教とも、闇の聖母修道会のものとも違う、全く異なった象徴が描かれたステンドグラスがはめられた、美しい教会の内装が描かれている。意匠を例えるならば、白と黒を象徴する女神に挟まれるような構図で立つ、一人の、人間の英雄だった。

「凄い……。これ、何処かの遺跡ですか?」

「まあ、そんなところ。この教会の周辺には集落があったんだけど、何処も彼処も崩落してて、まともに描けそうなのが、この教会くらいだった」

「それで、これを何処まで?」

「私の故郷まで。前に教えた、教会兼孤児院に務めている修道女の長に、届けて欲しいんだ」

「ふむ……」

 ブラウは、じっと絵を見つめ、少しだけ考え込む。

「唐突の依頼ですが、分かりました。手続きは、あとで私の方でやっておきます。料金は、通常通り頂くことになりますが、大丈夫でしょうか?」

 そして、微笑した。

「そこは大丈夫。最近、依頼による臨時収入もあったからね」

 そう言って、少女は公共で定められている料金を、きっちりと現金で差し出した。

「確かに受け取りました。配送は、お任せください。あと、ここにサインをお願いします」

 代金を受け取ったブラウは、郵政公社の規定通り略式の書類を取り出す。少女も、慣れた手付きで記名する。


 この書類は、略式ではあるが複製不可能な特殊加工が施されており、長距離配達員のみが使用できる仕様となっている。

 加えて正式に法的拘束力を有する公文書でもある為、この書類を交わすこと自体が、既に郵政公社の長距離配達員に対する信用の証となっている。

 その仕様の詳細は公表されていないが、何らかの形で精方術の術式が応用されているだろうことは、術師たちの間では有名な話だった。


「有難う御座いました。必ず、この絵は届けて見せますので!」

「お願いするよ」

「はいっ!」

 そう言い、互いに笑い合った。

 それから数分後。

「さて、そろそろ私は、行くかな。名残惜しいけどね」

 水筒やカップを片付けた少女は、鞄を担いで立ち上がる。

「そうですかー、残念です。では、私もっ!」

 ブラウも、片付けを終え、立ち上がった。

「それじゃあ、またいつかね」

「ええ。その時まで、お元気で!」

「そっちもね。空の旅、気を付けて」

「はい!」

 それだけ会話を交わした後、少女は特に振り返る事もなくその場を後にした。

 涼やかな風に背を押されるように。吹くままに、向くままに、少女は再び、旅路へと戻って行ったのだった。

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