第15話 グラス・フィールド・レガシー

 全身を防寒用の外套で包んだ一人の人間が、しんと静まり返った街のような場所を歩いていた。随所の特徴から、その人間は歳若い女性であることが分かる。


 その周辺には、雪が降って霧のようになっており、視界が殆ど利かず、どこか遠くで風が吹き抜けていく妙にリズミカルな音はすれ、獣の声一つ、虫の声一つ聞こえない。目の前には、ただただ白い空と、白い地平と、いつの間にか目の前に現れて行く手を遮る白い壁のようなものが広がるばかりだった。

 そこは、つい六年前までは有名な観光地だったのだが、ある災害を切っ掛けに地図から抹消され、多くの人々から「白尽地帯」などと呼ばれている場所だった。

 その名称は、起きた災害の原因となった「白塗」と呼称される強大な「魔神」に由来している。

 大昔に魔法なる超技術を以て栄え、魔法もろともに滅びた文明の、その遺跡から現れた正体不明の敵対生物である「魔物」の中でも特に強大で、他と一線を画す能力を有する「魔神」は、この世界の人間には災害にも等しいものだった。

 ただ「魔神」は本来、座する遺跡からは移動しないので、こちらから接触しない限り危険は少ないはずだが、この「白塗」と言う魔神は、突然空から舞い降り、力を揮い、そして姿を消したと言われている。

 加えて、その際に残した置き土産によって、この一帯は切り取られたように、気候に合わない雪に一年のその殆どを閉ざされることになってしまった。

そう言う事情もあり、地図の登録を抹消されてからは、ここには殆ど誰も近寄ろうとはせず、今やかつての面影は何処へやら、一部の旅人や武者修行の人間と言った物好き達が、たまに訪れるくらいの場所となっている。


 ただ見てみたいと言う理由だけで、このような曰くつきの場所を訪れている少女もまた、そんな「物好き」の一人だった。


 その少女は、ビアンカと言う名前で活動する旅する風景画家で、そのペンネームは、西方において白を意味する単語だった。無論、あくまでペンネームであって、彼女の本名ではない。

 彼女は、風景画家兼冒険家として旅をし、自分の感動を絵として描き、記録として残すことを目的としており、時たまその絵を個人に販売したり、まとまった数の絵で個展を開いたりもしていた。

 そのお陰か、知名度はそれなりにある。


 そのまま、少女は白い壁のようなものに接触しながらも、少しずつ、少しずつ、歩を進める。さふり、さふりと、雪を踏む足音と、自分の呼吸の音。そして、遠くを吹いている風の音だけが耳に心地よく届く。ただそれ以外には、相変わらず何の音も気配もしない。

 ただ、何の気配もせず、見えにくい壁がある割には、白く彩られた建築物だけは何故だかはっきりと見分けられるので、茫漠とした白一色の砂漠に、逃げ遅れた自分だけが独り取り残されたかのような、如何ともし難い感覚だけが強く想起された。

 出自ゆえに仕方がないとはいえ、実に荒涼としている。

(本当に、真っ白だなぁ…。誰も居ない。白以外の色が殆ど見えない。美しく幻想的だけど、この感覚は、絵に起こす時に苦労しそうだ)

 そんな感想を胸中で呟きつつ、再び、さふり、さふり、と雪の降り積もりつつある道を歩く。境目などとうに見えなくなっているので、道と呼んで良いのかは微妙なところではあったのだが。

 そのまま、白一色の街を散策していくと、視界の開けた大きな広場らしき場所に辿り着いた。

 中央には噴水の形がそのまま残されており、噴き上がる水は凍りついて、当時の姿のまま放置されていた。雪が、その表面に付着して樹氷のような状態になっていることから、この場で何が起こったかは容易に想像がつく。

 少女は、噴水の脇を歩いて抜け、その先に隣接している児童公園へと歩を進める。足の感覚が、石を踏んだ時のものから、芝生を踏んだ時のものへと変わり、この場所に公園を築く際の地質の吟味が丹念になされていたことを窺うことが出来た。

 しかし、その事よりも少女の興味を引く存在が公園にはあった。

 それは、児童公園中央に配された、恐らく数百年は時を刻んでいると推測出来る程に大きく枝葉を広げた大樹である。今はもう根までもが雪に埋もれ、その影響か何もかもが真っ白に染まってこそいるものの、この大樹が有していただろう力強い生命力は、その見た目から感じることが出来た。

(これは絵に使えそう。書くとしたら、この周辺かな?)

 少しだけ離れた場所からその光景を眺めていた少女は、絵を描く時の要領で敷地内の状態を確認に赴いた。

 雪の積もったベンチ。遊ぶ者の居なくなった遊具。光を失って久しい街灯等々。公園にお決まりのものがある事を確認して回り、ぎゅっぎゅっと言う足音と共に、そこに数年前まで在っただろう風景を幻視する。間も無く、休日を楽しむ家族連れや旅人、或いは足を運ぶ街の住人達が歩く姿が想起された。

 しかし、その賑やかさも直ぐに、白一色に染め上げられる。

 災害当時、ここで何が起こったのかは、実は詳しく知られていない。

 生き残った人間で、事情聴取が可能な状態だった人々が、精方術の防護術式で咄嗟に身を守ったか、力の炸裂した現場から離れた位置にいたと言うのが主な理由だが、それ以上に、その生き残りの人々が、ある日、突然錯乱したかのように飛び出して次々と失踪。そのまま消息不明になったことが最大の理由だと言われている。その理由についても不明不可解で、この災害の謎をより深める原因となった。

 魔神の概要についても、国による騎士団派遣による調査でこの街の惨状がある程度明らかにされた後も、生存者への事情聴取時に集まった断片的な情報から構築されたもの以上の情報が出てこなかったために、こちらもまた詳細不明のままだった。

「ふぅむ…」

 白い息を少しだけ外に逃がしながらも、少女は少しでも多くの景色を記憶に刻み付けようと、辺りを見回す。

 謎が多いと言うのは、探検家としてはとても魅力的ではあるのだが、感動を記録したいと言う目的で活動する芸術家の端くれとしては、その謎を自らの目線で見詰め、作品として落とし込まなければならないと言うような義務感に駆られてしまうのだ。


 さて、そうして景色を見つめ歩いて十分ほど。

 少女は、手首に装着している精方術の触媒を通して暖を取るイメージを具現化し、明かりにもなる小さな光球を生み出しつつ、散策へと戻った。魔法は確かに大昔に滅びたが、その残滓から復元された一部は、今もこうして脈々と人々に受け継がれ、役立てられていた。


 再び、さふり、さふり、と雪を踏む音が小さく響き始め、少女は少しずつ街の奥へと歩を進めていく。

 すると、その時だった。

「……?」

 少女は、ある違和感を覚え、その場で足を止めた。そして、注意するように耳を澄ます。

 原因は、直ぐに判明した。

(風が、止んだ?)

 遠くで聞こえていた、吹き抜けるような風の音が止み、それどころか、しんしんと降り続けていた雪も、ぱたりと止んでしまったのだ。

 違和感は、それだけではなかった。

 風が止み、雪も止んでいると言うのに、雲だけは勢いよく流れていたのだ。

(あれ?もしかして、これ…不味い?)

 少女は、その違和感の正体に大よその察しがつき、同時に、それが意味する事実は、少女の背に冷や汗を流させた。

 そして、その直感を裏付けるかのように、再び遠くから風の吹き抜ける音が響き始めた。しかし今度は、最初と違い、少しずつその音が自分の方向に近付いて来ていた。

(この音…間違いない!「風の壁」だ!)

 そう直感した少女は、すぐさま近くにあった、扉が開けっ放しになっていた家屋の中へと潜り込む。


 風の壁とは、風の流れがまるで迫りくる壁の如く、平面で吹き抜けていく強力な突風の事である。しかも吹き抜けた後、数時間は、その地域で一切の風が吹かなくなると言う、自然現象とは思えない特異性を有した気象現象である。

 しかし、そのような客観的な事項は、今の少女には関係が無かった。何しろ、これからその只中に突入しようとしているのだから、目の前に見えているものが事実かどうかだけが、問題だった。


 少女は、手際よく屋内で行えるつむじ風対策を整えた後、頭の中で、身体防護のための術式イメージを組み上げていく。そのうえで、手首の触媒から浮かべていた暖房用光球を変形させ、自分の体を包み込める程度の広さを持つ結界へと変化させた。

 精方術とは、体力の変換によって体内で生み出した術力を、効果のイメージに合わせて成形し、触媒を通して具現化すると言う技術なので、効果を安定させようとすると、どうしてもイメージの精確性が求められる。それ故に、緊急時であっても焦りは禁物である。

 逆を言えば、触媒を持ち、イメージさえ構築出来るならば誰でも扱えると言う点が強みだが、前述したように、自在に使いこなすには慣れを要するため、一筋縄ではいかない。

 少女の場合は、絵を描くのは得意分野なので、緊急時であってもイメージの具現化に苦労することはない。懸念があるとすれば、具現化させた術が期待通りに機能するかどうかと言う一点に尽きる。

(ああ、どうしよう。緊張で膝が笑っちゃいそう…。この家、保ってくれるといいけど)

 屋内で最も風の被害を防げるだろう場所に陣取りつつ、家屋内を見る。周囲が異様に暗いせいかよく見えないが、取り敢えず食器が飛来してくるようなことはなさそうだった。

(あとは、この防護術が保ってくれるか、だけれど…)

 考えている間にも、強烈な風の接近を知らせる、地鳴りにも似た振動と轟音が近付いてくる。家屋の壁が小刻みに振動し、音が反響し、どうしようもなく本能的な不安を煽ってくる。

 少女は考えることを止め、術の維持に集中することにした。


 数分後。

 猛烈な風の音が、すぐそこにまで近付き、見える範囲の表通りは、まるで猛吹雪のような様相を呈していた。家屋の振動はさらに強まり、びりびりと不吉な音を立てている。

 少女は、耳が詰まりそうになる感覚と体が浮き上がりそうになる感覚とに耐えながら、じっと、風が通過するのを待った。

 そして、風の壁がいよいよ少女の居る近辺を飲み込み、その猛威を揮わんと襲い掛かった、まさにその時だった。

(え?)

 風の壁の中に突入し、轟音は最高潮に到達。さあ、これから絶望の中へ、と考えていた少女を迎えたのは、その印象からは遠くかけ離れた音だった。例えるならば幼い女性の歌声のような、明るい旋律。

 最初の轟音は何処かへと消え去り、ただその歌声のみが少女を包み込んだ。


『Rii……Ryuuu……Sii……nyeaa……』


 それは、少女が未だ聞いたことのない、不思議な色を持つ言語だった。

 単調な音ばかりでありながら、耳に届く音の雰囲気からは豊富な感情表現が読み取れ、言葉そのものの意味が理解出来ずとも、どの様な意味の言葉を発しているのかは想像することが出来た。

 ただの音にしか聞こえないそれが、言語として認識出来てしまう。

 だからこそ、少女は余計に気を取られてしまった。


『Rii……Ryuuu……Sii……nyeaa……』


 その歌声は、そのまま表の通りを通過していき、そして、少女が先程立ち寄った公園の方へと消えて行った。

 その次の瞬間だった。

 周囲の暗闇が一瞬で払われ、まるで屋外に居るかのような光が、上から少女を照らし始めたのだ。

「え!?」

 少女が思わず天井を見上げると、そこから奇妙に歪んだ、太陽のものと思われる色の光が差し込んできていることが分かった。

「……これは、ガラス?」

 その光の歪み方から、直ぐにそれがガラスで出来ているものだと察することが出来たが、何故そうなっているのかは分からなかった。何故、晴れているのかも。

 そして、何気なく身を隠していた部屋へと視線を戻すと、もう一つの衝撃が少女を襲った。最初が異様に暗かったために見えなかったと言うのもあるが、身を隠した部屋には、まだ人間が残っていた。


 美しい、物言わぬガラスの彫像として。


 その彫像たちは、一体一体が、階段を下りようとしていたり、食事を運びながらテーブルに付こうとしていたりと、数年前当時の生活をそのまま保存しているかのような状態で、直ぐにそれが装飾ではなく本物の人なのだと、想像が及んだ。

 少女は、部屋の全てがガラスだったことも含めて軽く困惑したが、一先ず外に出てみようかと結界を解き、立ち上がる。そして透き通った玄関口から通りへと出ていく。

「こ、これは……」

 外に出た少女は、飛び込んで来た景色に、思わず言葉を失った。

 外の雪がほぼ全て吹き飛ばされ、先程まで厚い雪雲立ち込めていた空が、雲を一部残すだけの一面の快晴だったことと、それ以上に、今まで自分が通過してきた場所にあった建築物、構造物が、全てガラスによって出来ていた事に、驚愕したのだ。

 透過率がまちまちのせいか、透明度にはばらつきがあるが、全てが陽光を受けて透き通り、輝いていた。

「そうか……。だから見え難い壁がったり、白一色だったりしたんだ……。でも、何でこんな。まさか、先の災害の「白塗」のせいで?」

 少女は先程とは様変わりした景色に驚嘆しながらも石畳を歩く。今まで雪に埋もれていたのか、所々にガラスに彫像と化した人間や、猫、犬、鳥等が、当時の生活そのままに遺されていた。

 中には逃げようとしているものもあり、その彫像が災害当日と同時に生まれたものだと理解できた。


 さらに歩き、少女は、先程寄った児童公園へと足を運ぶ。

 そこもまた大きく様変わりしており、今まで雪に埋もれていたと思われる遊具は全てガラスに、遊んでいただろう子ども達やその両親も、また同じくガラスになってその場に存在していた。

「……」

 中央の大樹は、根の少し上辺りから端々の枝葉に至るまで、ガラスのオブジェとなって鎮座していた。その威容は美しくもあり、儚くもあった。

 すると、その時。

『Si Ru hera?』

 唐突に光が、空から少女の近くに降り立った。

「へ?」

 その光は、地上に降り立つと、そよ風と共に光を解除。中から、白いワンピースのような服に身を包んだ色白の童女が表れた。耳は少々尖り、瞳と髪は透き通るような紺碧。加えて、流れるように色の濃淡が変化すると言う、摩訶不思議な容姿をしている。

『Si Ru hera?』

 その摩訶不思議な童女は、ふわりと少女に歩み寄り、そして、先程聞こえた歌声と同じ声、同じ言語で話しかけ、見上げて上目遣いで首を傾げた。

「えっと、その」

 一つ咳払い。

『あ、貴方は?』

 少女は、少々困惑気味ではあったが、通じるかどうか判断はできないものの、古代の、魔法文明時代の言語であるヘーリニック言語を用いて、会話を試みる。

 すると、童女はパアッと顔を輝かせ、少女の手を握った。物凄くひんやりしている。同時に、その体内に強大な力の気配を感じることが出来た。

『Si Sie Nixie er!』

『……貴方の名前は、ニクシー、で良いのかな?』

 まくし立てるような勢いで話しかけられ、少女は少し驚いたが、どうにかこうにか感じたままを言語に落とし込み、会話を試みる。

『Si Sie Nixie er! Ru hera?』

 とても喜んでいるように童女は握った手を揺すり、その上で、最初に発した言葉を問いかけるように向けてきた。

(これは、私の事を聞いてるのかな……?)

『……私は“白”と言う名前の絵描きです。名前らしくはないかもしれないけど』

 少女は、最初の言葉はこちらの名前を問うものだと推測し、ヘーリニック言語で答える。

 名前を色で答えたのは、ヘーリニック言語圏でのマナーに準拠すると同時に、本名を名乗ると自身の身に危険が及ぶ可能性を考慮した結論だった。

 魔法には、そう言った本名を起点として発動し、犠牲者を術者が操るといった術式があると言う伝承が存在し、万が一を回避するにはそれしか方法が無かったからだ。


 この童女がどのような存在であれ、古代語であるヘーリニック言語が通じている以上は魔法文明に深く関係していることは明白だった。加えて、先程の風の壁の中で聞いた声と同じものを発している相手なので、慎重を期しても間違いはないだろう。

『Si Ru Nive Ru occu Pintor er!』

 童女は、やはり嬉しそうに少女の自己紹介に応え、手を揺する。その仕草や様子は、まさに年相応の童女そのものだった。

『貴方は、ここで何をしているの?散歩?』

『Si Sie andi paseo er! Ru gio Sie eria?』

(今度は長いなぁ。えっと、これは多分……)

『君はガイドさん、なんだね。それなら、街の案内をしてくれる?』

 少女は、童女の機嫌が良いうちに、街の中を色々と案内してもらおうと考えた。間違いなく、現在一番安全な場所に居ることは確実だからだ。

『Si Sie andi guida er!』

 すると、童女は誇らしそうに胸を張り、少女の手を引いて街の案内を始めた。


 幸い、突然飛行するとか、超高速で動くと言うようなことはなく、通常の、と言うよりも、少し背伸びしたい年頃の子どもが喜んで案内するような雰囲気で、街の中を歩いていく。

(それにしても…。これじゃあ、のんびり絵を描くと言うわけにもいかないかなぁ)

 童女の嬉しそうな観光案内に耳を傾けながら、行く先行く先に広がる儚くも美しいガラスの軒並みや、横たわるガラスの彫像を、在りし日の活気を想像しながら、複雑な心境で見て行く。

 そのまま、童女に案内されるままに街の中を巡り、そして、最初は真っ白で見えなかった街の奥地、つまり災害の起点に足を踏み入れることになった。

「おお…!?」

 そこに広がっていたのは、程よい冷気が緩く渦を巻く青白い結晶の花が咲き乱れる平原だった。

 その平原の中央には祭壇のようなものがあり、蒼い光球と、それを包む蒼い光の渦が、そこから空に向けてゆっくりと昇って行く様子が見えている。

 また、その場所を囲むように広がっていた森は、その全ての木々がガラスに置き換わって、透明感による輝きを放っていた。

『Si Qualu Sie Casa et!』

 童女は、中央の蒼い光球を指さし、自慢げに胸を張って見せる。

(不味い。特有の表現を使われると、何を言ってるか全く分からない!ここは無難に……)

 分からないなら分からないなりに、出来ることはある。

『貴方は、あそこに住んでいるの?』

『Si Sie liv er!』

 少女の言葉に、童女が嬉しそうに答え、こくこくと頷いた。どうやら間違った問いかけではなかったことに、少女は胸を撫で下ろした。

 そして、それから十分ほど、無言で平原観察目的の散歩をしていく。

 周囲の不思議な雰囲気や、手を引く童女の得体の知れなさ、そしてここにも存在している、えらく能動的な躍動感を、もっと言えば、中央の祭壇に向けて突撃しようとしている人間のガラス像が、実に奇妙な親和を見せていた。

(これは、街の公園と、平原だけを描いた方が良さそう…)

 手を引かれて歩きながら、少女は今後の事について考え始める。この時点で、目的は既に達成していると言え、それ以上の収穫も得ている。

 すると。

『huu……mu……』

 不意に童女が足を止め、繋いでいた手を放し、少女に向き直るように立つ。

『ん、どうかしたの?』

 少女は、突然に引いていた手に掛かっていた力がなくなって躓きそうになりながらも、疑問を返す。

『Si Sie le Ru li arriv eria?』

 童女は後ろ手に組み、上目遣いでおずおずと、どこか寂しそうに話しかけてくる。そしてそのまま、視線を街の外へと向けた。

(これは……別れを惜しんでいる……のかな?)

『寂しいの?』

 少女は問う。

 童女は、無言のままこくこくと頷いた。

(なるほどねぇ。さて、どう答えようかな)

 少女は少し考える。童女は無邪気さを見せてはいるのだが、下手な答えを返しでもすれば、その辺りに転がるガラスの彫像の一体に仲間入りさせられる危険性もある。ここまでついてきた時点で、後の祭りでもあったが。

 そのまま二分ほど考え、少女は、ある提案を童女に持ち掛け、手首に着けていた触媒の腕輪を外した。

『Si Ru le Ver eria?』

 童女は、少女のその提案に驚いた顔を見せ、そして、小躍りするように喜び始め、心底嬉しそうに少女の手を握った。

 その後、少女は童女に別れの挨拶をし、にこやかにその場を立ち去るのだった。


 十数分後。童女と別れた少女は、街の玄関口に当たる大門の前まで戻っていた。そこは少しだけ高台になっており、街を見下ろすことが出来る。

 なお、この元は石材製だったのだろう大門も、例外なくガラス化していた。

「ふむ。何とかなったけれど。そのうち、またここに来る必要は、ありそうだね」

 そう呟きつつ、少女は街の方向を振り返った。

 最初とは違い、ほぼ全ての雪が取り払われて全容を露わにしたガラスの街は、ただ静かに、陽光に照らされるままに、そこにあった。その虹色を所々に現出させる光景は実に美しく、どこまでも幻想的ではあったが、そこは紛れも無く、滅びを迎えた冷たい死の街だった。

 ふと、足元に違和感を覚え、視線を足元へと移す。するとそこには、何故かこの地域特有のリスが居り、少女の顔を見上げていた。

「どうしたんだい?君。餌は残念ながら、こんなものしかないよ」

 久しぶりに既知の生き物を見たような安心感を覚えた少女は、そっと手袋を取った後、ポケットからナッツを取り出してリスに与えた。

 その時にナッツを握った手には腕輪を着けておらず、代わりに、ここに来る前にはなかった銀の指輪がはめられていた。その頭に付けられた深い青色の宝石が、差し込む陽光を受けて蒼い輝きを放っている。

(…それにしても、互いに物を交換して思い出の品にしようって提案は成功したけれど、ある意味で失敗だったかも。こんな貴重な触媒、手に余る予感しかしない)

 その指輪をまじまじと見つめ、少女は苦笑した。

(でもまあ、良いか。あの子もなんか喜んでくれてたし。絵のネタも提供してくれたしね。街の状況は、予想以上だったけれど…)

 手袋をはめて立ち上がり、街に向けて祈りを捧げる。せめて災害の犠牲者達が、祝福された地へ旅立ったことを。

 そして、大門に背を向けて歩き始める。その背を、最初と同じような冷たい風が押し、少女の歩みを速めさせた。


 さふり、さふりと、雪を踏む音。後に残るのは、少女の足跡のみだった。

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