第14話 後日談:「二つの贈り物・一つの感謝」

 次第に風も涼しくなってきた頃合いの、とある日。

 少女は、先日に描き上げた絵を持って、連合国の、さるやんごとなき人物の屋敷を訪れていた。

 使用人の女性の案内で応接間に通された少女は、何処か居心地の悪い様子で屋敷の主を待ちつつ、提供された紅茶を楽しんでいた。濃いオレンジ色の液体がカップの中に波紋を描く様や、口に含んだ時に広がる紅茶特有の甘味が、少女本人の居心地の悪さを誤魔化してくれている。

 少女は、ビアンカのペンネームで活動する風景画家だ。自分にとって未知であったり、心動かされたりした景色を記録する事を己の使命と位置づけ、旅をしていた。

 旅の資金は全て、途中で描いた絵を売却したり、依頼を受けて絵をかいたりしながら稼いでおり、今回の屋敷訪問も、受けた依頼の品を届けるためだった。

 待つこと数分。徐々に空気にも慣れ、近くに飾ってある絵を見ようと徐に立ち上がった時、不意に出入り口の扉の向こうで話し声のような音が聞こえ、ノックの後、開かれた。

「ああ、そうだ。君。紅茶とお茶請けの追加を頼むよ」

「はい、畏まりました。旦那様」

 その声が聞こえてきたあと、開いた扉の向こう側から身形の清潔な男性が一人、姿を現した。この人物こそ屋敷の主人、モンターニャ伯爵である。

 少女は、幸いにして立ち上がった状態なのを利用して伯爵に向き直り、上流階級に対する礼式をとった。

「ああ、ビアンカさん。お待たせしました」

 少女の礼式に応えるように、伯爵も礼を返す。その上で近くへと歩み寄った。

「いえいえ。お忙しい中、時間を割いて頂き、有難う御座います」

「いや、こちらこそ。急な依頼を持ち込んでしまい、申し訳ないです」

 そして、互いに挨拶代わりの握手を交わした後、ソファに座る。

「さて、早速ですが、絵の方は…?」

「ええ、問題なく仕上がっていますよ。ご依頼の品は、こちらに収めてあります」

 そう言うと、少女は絵を保管するための筒を取り出し、示した。

「それは良かった。最近、良からぬ噂も耳にしたもので心配していたのですよ」

 少女の言葉と、示された筒を見た伯爵は、胸を撫で下ろすように息を吐いた。

「ああ。あの、魔物との小競り合いが始まったと言う噂ですか。旅人仲間の間では、光仁回帰派による悪質なデマだとされていますよ」

 少女は、筒の中から一枚の、筒状に丸めた絵を取り出す。

「そうですか…。旅人さん達がそう仰っているのでしたら、そうなのでしょうね」

 少女の言葉に苦笑しながらも、伯爵は眼鏡を掛け直し、絵を見る態勢を整えていく。

「ですので、ご心配なく。では、こちらが。ご依頼の品になります。ご覧下さいませ」

 少女は、取り出した絵を広げ、精方術による、丸まりへの修正を施してから伯爵へと差し出した。これは、いざ額縁に収めるとなった際に、余計な手間を掛けないようにするための配慮だ。

 伯爵は、丁寧に絵を受け取り、ゆったりとした姿勢で鑑賞し始める。

「おお、これは…!」

 そして、程なく感嘆の声を上げた。

 少女が手渡した用紙には、幾何学模様浮かぶ球形の障壁に守られながら湖上に浮遊している、今では数少ない、魔法の遺るある都市と、そこに接近していく飛行船の絵が描かれていた。

 流れるような流線型の障壁もそうだが、何より都市の理路整然とした山岳構造と、その頂点に鎮座する紅の塔が目を引く構図となっている。

「これは、あの有名な「空中山岳都市」ですな?」

「ええ。ご依頼の内容から考えて、やはり雄大な都市を題材にするべきだろうと結論付けまして、足を運んで参りました」

「良いですなぁ…。このロマン溢れながらも、現存する都市としての質実さが融合した風景は。これならば、きっと息子も喜ぶことでしょう」

 そう言い、伯爵は絵を大切にテーブルの上へと置いた。

「それは良かった。それにしても…。絵画を好むとは、こう言っては何ですが、大人びた趣味をしておられるのですね。伯爵のご子息は」

「ははは。あ、いえ失礼。つい先日、妻も同じような事を言っていたものでしてね。どうにも私達の息子は、同年代の子と趣味が違っているようで。流行りの玩具よりも絵具が欲しいと口にするのですよ。将来の夢も画家だと」

「なるほど…」

 苦笑する伯爵に、少女は朗らかな笑顔を向ける。

「ああ、いや。このような事をお話しても、詰まらないですな。どうでしょう、ここはゆっくり旅のお話でも。こう見えて私も、十代の頃は、よく旅に出ていましてね?」

「それは意外ですね。モンターニュ家と言えば、連合国でも指折りの資産家でしょうに」

「はは、いやなに。自分の世間知らずを荒療治するための方策でしてね。両親の手前、あまり遠くまでは行きませんでしたが、それなりの期間、外に出ていましたよ。あれは実に楽しかった」

 そう話す伯爵の顔は、何処までも優しげだ。

「私の話でよろしければ、お付き合い致しますよ。まだ故郷を出て四年程度ですが」

「四年ですか。お若いのに随分と早くに出られたのですな。これは良いお話が聞けそうです」

 そして、二人が話の態勢に移ろうとした時。応接間の扉がノックされた。

「旦那様。ビアンカ様。紅茶とお茶菓子をお持ちしました」

 ノックの後には、使用人の女性の声。

 その声に、実に最高のタイミングだと伯爵は気分よく笑い、卓上に置かれていた銀のベルを取り、鳴らした。

「入りなさい!ちょうど良かった。楽しげな話は、美味しい紅茶を味わいながらに限る」

「確かに。美味しい紅茶は会話を弾ませる素材に最適ですね」

 そう言って、少女はにこやかに頷いた。

 少女はコーヒーも紅茶も美味しく味わう人間だが、この地域では、どう言う訳かコーヒーの受けが悪く、この手の話題に下手に触れれば、紅茶好きとコーヒー好きによるちょっとした喧嘩が起こるほどだった。一説によると、この確執は、もう数百年ほど続いているらしい。

 そうして、使用人達の手際により、テーブルの上には数々のお茶菓子が並び、ポット、カップの紅茶を合わせて、ちょっとしたお茶会の状態となった。

「さて、と。では、始めますかな」

 こうして、紅茶の甘い香りに包まれながらの、優雅な旅物語が開始されたのだった。

 一時間半後。

 少女は、屋敷の正門で、使用人の女性と伯爵の見送りを受けていた。

「本当は、数日後の息子の誕生会に是非とも招待したいところなのですが」

「お誘い頂き有難う御座います、伯爵。とても心苦しいのですが、どうしても外せない用事がありまして。明日にでも出立しなければいけないのです」

 少女はそう言い、一通の封筒を鞄から出して示した。宛先には、少女の絵師としての名前であるビアンカの名が書かれてある。

「なるほど、そうみたいですな。本当に残念です。また機会があれば、いつでも遊びにいらして下さい」

「有難う御座います。それでは、私はこれで」

「ええ。またいつか」

 それだけの挨拶を交わし、少女はモンターニャ伯爵の屋敷を後にした。

 少女は、今いる都市の象徴である、瑠璃色の外壁を持つ巨大な城型中央会議場を視界に収めつつ、街路を歩いていく。その途中で、少女は公園のベンチに座り、先程伯爵に示した、自分宛の封筒を取り、中身の便箋を取り出して広げた。

『誕生パーティ開催についてのお知らせ』

 便箋の頭には、そのような文字がきれいに書かれており、お決まりの出だしと、自分の名前から始まる文章には、少女の幼年学校時代の友人数人で集まって盛大にパーティを行おうという提案と、開催場所についての詳細が書かれてあった。

「私の誕生日、覚えていてくれてたんだね…。ふふ。まあ、本当の誕生日がいつかは、覚えてないけどさ」

 文章を読むうち、少し昔の事を思い出すように空を見上げた少女は、しかし、直ぐに頭を振って立ち上がった。

「おっと、いけない。思い出に浸っている場合じゃなかった。馬車の時間と、パーティ参加表明の手紙と、宿の手配のための予約郵便を送らないと…」

 便箋を封筒に丁寧に戻し、大切そうに鞄にしまうと、いそいそと街路を歩いていくのだった。

 その顔に、実に楽しそうな笑みを湛えながら。

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