第11話 東方のとある森にて
ある日、少女は大陸の東方にある、魔法文明時代末期の遺跡と目される場所を訪れていた。
それは、深い森の中にある古い建築物群で、珍しく宗教色の濃い施設が表に出ている街構造を採っており、白い石材や大理石をふんだんに用いた美しい造りをしている建物も、その多くが残っていた。
少女は石敷きの通路を歩きながら、左右に配された一部崩壊している家屋を見て回っていた。
家々の向こう側にはすぐに森が広がっているが、何故か崩壊している家屋にはツタが絡まっているだけで済んでおり、比較的、保存状態のいい資料となっている。
「さて、と。大教会は何処だろう…?」
その保存状態を不思議に思いながらも、目的地への道を歩く。
幸いにも、道の途中には、東方の古語による看板らしきものが立てられており、経年劣化による掠れで文字や記号が分かりにくい事を除けば、迷う事はない。
今回、少女は、この遺跡に建立されていると言う、あるものを見て、絵にする事を目的として訪れていた。それが、この遺跡にある白光教の大教会である。
白光教とは、二千数百年以上も昔から東方中に信仰拠点を築き続けた一大宗教で、光の御使いと呼ばれる存在を象徴とする、一神教である。
ある神学研究者の論文によれば、この宗教の母体を探ると、遥か数千年もの過去にまで痕跡を遡ることが出来たため、魔法文明時代には既に存在していた信仰だったのではないかと推測されている。
この遺跡が、魔法文明時代末期の遺跡ではないのかと言われているのも、その辺りが理由だった。
また、白光教は信仰上の理由から、教会の一部を美麗に作り上げる習慣があったことでも知られており、現在も残っている白光教の古い教会の何れもが、辛口の芸術評論家ですらも舌を巻くと評される程の芸術性を秘めているらしいことを、少女は知り合いの旅人仲間から聞いていた。
少女からすると、評論がどうであるとかは関係がないが、舌を巻くほどに美麗であるというただ一点に興味をそそられた。
そして、一度そう言う興味が鎌首をもたげてくると、絵描きの端くれとしては、是非とも絵に描いてみたいという欲求がどうしようもなく沸き立ってしまい、到底抑えきれるものではなかった。
つまり、その欲求の前には、もはや魔神と言う危険が待ち構えていることなど、些細な問題でしかなかったのだ。
そんな少女は、人々からは風景画家のビアンカと呼ばれていた。知名度はそこそこ。ただ、この名前は、少女が自分自身に与えた画家としての名前であって、当然、本名ではない。
また、彼女は冒険家でもあった。そうして旅先で興味を引かれたもの、未知の景色、感動した出来事や風景を絵として描き、記録することを自分の使命と勝手に設定して旅をしていた。
そうして、二十分ほどの道のりをやや早足で歩き、目的の大教会前へと辿り着く。
「だいぶ早く着いたなぁ。まあ良いか」
周囲を見回して一息つくと、期待に満ちた表情で建物の中へと入っていく。
建物は、何らかの要因で一部が崩落していたが、大部分は綺麗なままで残されており、白磁の色合いが眩い神々しさを、玄関口のシンボルと共に放っていた。
「おお、ここかぁ…」
画材の支度を手早く済ませ、早速、教会の中へと足を踏み入れる。土の匂いや草の匂いの混ざった自然な埃っぽさを含んだ空気が、少女を包み込む。
次に少女の感覚に飛び込んで来たのは、広大な空間に並ぶ長椅子、身廊。そして、その奥に見える祭壇が織りなす静謐な空気だった。
美しいステンドグラスのはめ込まれた天井は、残念ながら一部が崩落しており、しかし、そこからは陽光が差し込んで祭壇のシンボルを照らしていた。
少女は、神妙な面持ちで、長椅子の埃を払ったあとに腰かけ、画材を広げた。
他に誰も人がいないので、悠々と描画に集中することが出来ると喜んだ少女は、まず鉛筆を取り出し、線画から取り掛かった。
鳥の声。小動物の声。木の葉を揺らす風の音。環境の音が少女の耳を心地良くくすぐり、少女の集中力を更に高めてゆく。鉛筆を走らせる音が、それら環境の音に溶けて消える。
目の前に見えている特徴的な全てを、白と黒の線で白紙の上に再現し、風景の記録として紙媒体に封入していく。その作業は、一種神聖な儀式のようにさえ感じられ、少女はとある創世神話の文言を思い出しながら、鉛筆を走らせ続けた。
それから一時間程の時が瞬く間に過ぎ去り、少女も一度、休憩に入ることにした。
「ふぅ…。取り敢えず、こんな感じかな」
画材を纏めて横に置き、鞄から黒い筒状の水筒を取り出す。
それは先日、少女が友人の発明家から贈られた試作品で、その友人曰く、内部に入れた液体の温度が長時間維持されるという画期的な構造をしているらしい。
つまり、温かいものはそのまま温かく。冷たい物はそのまま冷たいままで、長時間持ち運ぶことを可能とする、と言う事だ。事実、効果は出ていた。
「本当、便利だよね、これ。魔法瓶って言うネーミングにも納得だ」
少女は、水筒の効果に満足げに微笑を浮かべながら、中身を愛用のカップに注ぐ。
今回はカンニャムと呼ばれる南方の茶を淹れて持ち運んでいた。芳醇な香りが特徴で、美しいオレンジ色の水色を持つ紅茶だ。特にミルクなどの追加は無く、ストレートで飲む。
「ふぅ…。これは、やっぱり味がしっかりしているね。高価だったけど、買って良かったかも」
長椅子の背もたれに体を預けながら、改めて周囲を見やる。
相変わらず、崩落した場所から差し込む陽光が、祭壇上のシンボルを照らしており、実に視界映えしている。ステンドグラスも凝った作りをしており、東方特有の曼陀羅のような装飾の中央で、一人の聖母らしき人物が祈りを捧げている図を描き出している。
どうやら、この大教会はステンドグラスに重きを置いているらしい、と言うことが、そこから窺えた。
「昔の人は、ここで何をお願いしていたんだろう……?」
少女は想像を巡らせる。
とある教会を自分の故郷としている少女は、実家と言えるその場所では、常に自分の健康や、立ち寄る旅人達の無事を祈っていた。
では、かつてここに居た人々は、信じるものに一体何を願っていたのだろうかと思いを馳せるのも、自然な流れだったのかも知れない。結局は想像するしかないのだが、それでも考えてしまうのだった。
すると、その時だった。
「おや、珍しい。この場所で、剣士ではない旅人と出会うとはのぅ」
「?」
少女の背後。つまり大教会の玄関口から異様な気配を感じると同時に、年若く、それでいて雅な、趣のある女性の声が聞こえたのだ。
少女は、カップを持ったまま、ゆっくりと振り向く。
そこには、艶やかで長い黒髪を後ろに纏め、これまた雅な装束に身を包んだ少女剣士が一人、立っていた。背には、少し長めの、刀と呼ばれる刀剣一振りと、通常よりも若干短めの刀一振りとを負っている。
少女剣士はゆっくりと歩きながら少女に近付き、画材などを避けるよう、人二人分くらいの距離を離して、長椅子前に立つ。
「近く、座って良いか?」
「良いですよ、どうぞ」
「すまぬな」
少女から許可を貰った少女剣士は、背負った刀を降ろしたあと、ゆっくりと、深く座った。
「絵描きの、邪魔をしてしまったかの?」
少女剣士は、少女の横に広げられた画材の数々を見て、少々申し訳なさそうに尋ねる。
「ちょうど終わって、休憩中ですよ。ついでに、お茶を飲んでいたところです」
「それはそれは、間が良かったようじゃの。いや、休息の邪魔をしてしまったと言う見方も出来るな…うぅむ」
「お気になさらず。あ、お茶、如何です?」
そう言いながら、水筒を示した。
「おお?わしも、頂いて良いのか?」
少女の言葉に、少し驚いたように少女剣士は目を開いた。
「どうぞ。少々の余裕はありますからね」
「では少しだけ、頂くとしようかの。この椀に、注いで貰って良いじゃろうか?」
そう言うと、少女剣士は腰の袋から黒塗りの小さな木の椀を取り出し、ゆっくりと差し出した。見るからに高級そうな逸品だ。
「さ、どうぞ」
ただ、少女は特に椀について気にするでもなく、水筒の注ぎ口を椀に合わせると、程よい量を注ぎ入れる。
「有難う」
注ぎ終わった椀に口を付け、少しずつ味わうように飲み始めた。
「ふむ…。馴染み薄いが、実に薫り高い茶じゃな…。美味い」
「それは良かった」
「ふぅ…。しかし、こんな所に旅人とは、久しい。しかも絵師とは」
「絵師…と言うほどのものでも無いですがね。趣味と実益を兼ねた旅をしてるだけですし。それはそれとして。貴方は、ここにはよく?」
「うむ。まあ、修行じゃの。ここには色々と、魔物が出てくるからの。武者修行には持って来いじゃ」
「豪気ですねぇ。この周辺は“魔神”の領域でもあるんですが、そこは大丈夫なんですか?」
「はっはっは、何を言うか」
少女の言葉に、少女剣士は豪快に笑った。
そして、少しずつ笑いの音量を下げつつ、向き直る。
「それを言うたら、それは其方とて同じじゃろうに!」
「ああ、まあ、それは確かに! ははは!」
互いに、互いの言葉に笑い合う。
魔神とは、簡単に言ってしまえば、非常に強力な魔物の事を指す名詞である。
魔法文明時代の遺跡には、たまに得体の知れない生物が生息していることがあり、稀にだが、遺跡から外に彷徨い出てくることもある。
加えて、魔物の大半は人類に敵対的であり、危険な存在である。これらは、街の近郊に出現した時には、騎士団のように、一定の軍事力を有する組織に討伐依頼が通達されることになる。
その中でも特に強力無比な力を持つ魔物達を、人類は独自に魔神と呼称し、これと遭遇した場合には、即座に逃げる事が推奨されていた。
幸い、魔神と呼称されるような強力な魔物は数が非常に少なく、大抵の魔神は、何故か遺跡の中からは出て来ようとしないので、こちらから接触しない限りは、これと言って問題はなかった。
そして今、少女達の居る遺跡もまた、魔神の出現が確認されている場所であり、有望な史跡であるにもかかわらず人が極端に少ない理由も、それが原因であった。
さて、そのような場所なのだが、少女と少女剣士は、平常時と何変わらぬ様子で世間話や、旅の話、身の上話を交わし、打ち解けてゆく。
すぐに、互いに砕けた調子で話し合えるようになった。
「ほほう。其方は、そう言う理由で、このような旅をしておるのか。中々浪漫ある話じゃの。そのうち世界各地の景色で何冊かの本が出来上がりそうじゃ」
「はは。本が出版出来るくらい描き溜められれば良いんだけれどね」
「自然と描き溜まってそうだがの、其方なら。ここでも既に一枚描いたのじゃろう? 一週間に一枚描いたとしても、一年と経たぬ内に一冊の画集くらいにはなろう。ならば出来るさ」
そう言い、少女剣士は笑った。
「有難う。えーと…」
「イズモじゃ。わしは、そう名乗っておる。其方はビアンカ、じゃったな?そこの鞄に刺繍されておったが……」
背に負っていた刀を撫でつつ、彼女は微笑する。
「うん。本名ではなくて、絵描きとしての名前だけどね」
「構わぬ。わしとて本名ではないからの。本来の名は、わしも知らぬ。いや、忘れてしまったわ」
「忘れた?」
少女は、不思議そうに首を傾げる。
「うむ。心苦しい話じゃがな。仕方ないから、今負うておる、この刀の銘を一部借りて、イズモと名乗ることにした、と言うわけじゃ」
刀剣側からすれば、中々に厚かましい話じゃがの、と少女剣士は苦笑した。
「なるほど…。では宜しく、イズモ。それでなんだけど」
「ん?」
少女は、何処からともなくメモ帳を取り出し、書き込む準備を始めていた。
「イズモは、魔神と戦うために旅をしてるんだよね?」
「うむ。強き者と仕合いたいと願うのは、ある種、戦士の性じゃからの」
「危なくないの?あれって、本当に凶悪な強さを持った魔物だそうじゃないか」
「なんじゃ、そんなことか。ははは。そこら辺は其方と同じじゃよ」
「同じ?」
「先程も言うたが、その危ない場所に、其方も今、こうして足を踏み入れ、あまつさえ悠長に絵を描いておったではないか。それと同じじゃよ。興味引かれた場所には、多少危険があったところで向かうことを止めない。そう言うもんじゃろ?其方も」
「ああ…。まぁね。そう…。うん、そうだね。そう言うものだよね」
「じゃろう?」
そう言って、方向性の違う似た者同士、笑い合った。
それからも様々な話を交わす。剣術の話、刀の話、故郷の話、等々。
そして、少女は今一番知りたい情報へと一歩、踏み出す。
「そう言えば、ここにはどんな魔神が居るの?明確な目撃情報じゃなくて噂ばかりで、よく知らないんだけれど」
「ここの魔神か?うむ。この地を徘徊する魔神は、当世具足…東方の甲冑で全身を包み、四尺七寸の刀を背負う人型で、名は、ナガノリ。かつて、この地を治めていた領主にして、地にナガノリありと謳われたほどの武将………なのではないかと言われている人物の姿をしておる」
何処か、懐かしいものを語るような口調で、少女剣士は魔神について語る。
「武将?東方の武家が、白光教の教会周辺を徘徊してるんだね。何だか意外だよ」
この地域では、昔から宗教と武家は非常に繊細な関係性を保っていることで知られ、時に利害の一致から迎合し、時に覇権を巡って争い、今もなお、その距離感は明瞭に維持されている。そのおかげか、双方ともに現在は良好な関係を築いている。
「まあ、この手の剣客が信じるものと言えば、己の体と心、手に持つ刀と鍛えた技と、あとは、その日自分で炊いた飯の味くらいじゃしな」
少女の言葉に、少女剣士は少々豪快に笑い、そのような事を口にした。全ての武家や剣客がそう言う訳でもないのだろうが、彼女の言葉には相応の説得があるな、と少女は苦笑した。
「さて、魔神の事じゃったな。ナガノリ本人かどうかは定かではないが、かの武将の一族は白光教の密やかな信者であったらしく、度々、名と顔を伏せ、衣服を貴族用に変え、武具、果ては性別までも隠し、他の信者や教会の危機を密かに救っておった……らしい。そのような伝聞もあってか、ここに居る魔神は、かのナガノリかも知れないと推測されておると言う訳じゃ」
「なるほど、ふむ…」
次々と登場する新情報の数々をメモしつつ、さり気なく隅っこにイメージ像を落書きしていく。信心があり、義に篤い、ナガノリと言う武将の姿を。勇壮ながらも顔は隠し、普段とは違う刀を手に数々の危機を救って行く、颯爽とした男の姿が出来上がっていく。
「わしが知っておる魔神の情報は、これでほぼ全てじゃな。あとは憶測と噂くらいしか知らぬ」
「いやいや、十分すぎる情報量だと思うよ。これまで流れて来なかった情報ばかりだし、これだけでも、中央から褒賞が出るんじゃないかな」
「ほう?褒賞とな。食料か、はたまた金銭か」
「普通なら金銭だと思うよ。食料褒賞…、かつての騎士階級の俸禄制度を思い出すね。東方の場合だと、かつては食料と金銭の混合が普通だったかな?」
「そうじゃの。現物か、相応の金銭との混合で支給するのが普通じゃったな。穀物は換金も出来るしのぅ」
少女剣士は、どこか懐かしい物を語るように、言葉を口にする。
「なるほどね。ただ、中央から褒賞として支給されるのは金銭だね。今は共通の通貨が設定されているから」
「ふむ…。経済流通の進歩じゃな。まあ、とは言え、報告に行く時間が惜しいから、馬か飛行術でもなければ行かんがの」
「それは残念。でも、それも仕方ないか。私も気持ちは分かるからね。機会があれば行くけど」
「旅には路銀が要るからの。真っ当に稼げるのなら万々歳じゃな」
そのように、しばらく会話を交わした後、ふと少女剣士は崩落している天井部分から外を見た。
すると、周囲の木々が騒めく様に風が流れ始め、鳥や獣達の声は遠ざかり、徐々に静寂が教会の内部を満たし始めた。
「む…。そろそろか」
「これは…?」
少女は、唐突な静寂の訪れに辺りに視線を送る中、少女剣士は静かに立ち上がった。
「其方、絵の方はもう描き上がったのかのぅ?」
そして、下ろした刀を背負い、二振り目の刀を腰に差した。その時の表情は、何かを懸念しているかのような雰囲気があった。
「え?ああ、うん。線画は仕上がっているね。あとは色を宿すだけ。でも突然、どうかした?」
脇に置いた線画を確認しつつ、少女剣士の行動や、纏った空気の変化に首を傾げる。
「うむ。この静寂は、前触れじゃ。ナガノリは、この静寂の後に現れる。かの魔神と遭遇し、正面からの勝負の末に生き延びた剣士が、そう言っておった」
少女剣士はそう平静に、否、平板に口にし、出入り口の方向に視線を送った。
「まさか…。魔神が、近くに?」
「流石に直ぐ直ぐは出ては来ぬ。武将とは機を見るもの。相応しい場が整った時に初めて、姿を現すものじゃ。戦うにも、静観するにも、のぅ」
「なら、早く片付けないといけないね。魔神は見てみたいけど、戦いたくはないからさ。あ、でも、この場合は準備完了してしまうから、片付けたら駄目なのか」
「ははは、確かにの。それを覚悟完了、準備完了と見て出てきても不思議ではないかも知れぬな。じゃが、降りかかる災いを自分から座して待つ事もあるまい。まあそういう事じゃ。わしの方から話しかけておいて何じゃが、片付けを急いでおくれ」
「了解だよ。片付け自体はすぐ終わるから、少し待って」
そう言いつつ、少女は鉛筆、筆、紙を、それぞれ専用の入れ物に手際よく収め、鞄へと収納していく。あれだけ広げられていた画材が、まるで手品のように、瞬く間に鞄の中に消えて行った。
二十分後。二人は大教会を後にし、街の通路を歩き、木々の間に続く道を進んでいた。
「しかし、急かして悪かったのぅ。久しぶりの、戦士以外との語らいじゃったし、もう少しゆるりと話をしたかったが…」
少女剣士は、心の底から残念そうに口にする。
「仕方ないと思うよ。それに私が居たら、イズモが魔神と戦う邪魔になっただろうし」
少女は、変わらず苦笑を浮かべて答える。
「其方は術師なんじゃし、戦う力もありそうなものじゃが…。少なくとも邪魔にはならぬだろうよ」
「有難う、イズモ。ただ、私は絵描きだし、壊すよりも作りたい人でもあるから、やっぱり戦いには向いてないかもね」
そう言い、少女は微笑した。
「そうか…。ふむ、わしも何かを作りたいものじゃの。まあ、剣では斬る事しか適わぬし、考えるだけにしておくか。不毛じゃしのぅ」
言葉を聞く少女剣士は、そう言って静かに首を横に振った。
そこからは特に言葉を交わすことなく、何かに出会う事もなく、恙なく森の出口へと辿り着いた。
「さて、護衛はここまでじゃ。ご苦労じゃったの」
森の出口について、異様な緊張感から脱した少女は、一息ついた。
「こっちこそ、有難う。道中、何もなくてよかった」
「全くじゃ。人間、平穏と息災こそが最高の宝よの」
そして、互いに握手を交わす。
「実に楽しかった。感謝する」
「こちらも楽しかったし、お互い様と言うことで」
笑い合い、手を放した後。少女剣士は背を向けた。
「さて、わしは、そろそろ行くとするか…。ああ、そう言えば、一つ伝え忘れておった」
ただ、彼女は歩き出してすぐに、そう言って足を止めた。
「?」
少女は、首を傾げて、刀を負った背中を見る。
少女剣士は、振り向くことなく、そのまま言葉を続けた。
「なに、魔神ナガノリについての補足じゃ。ナガノリは、一説によれば、ナガノリと言う名で、男として育てられた女児であったとも言う。この話を信じるなら、男児に恵まれなかったナガノリの父が、苦肉の策として一芝居打った、と言うところかの」
「…何故今、その話を?」
「ああ。ここを動けぬ、わしの代わりに、其方に中央の役人とやらに伝えてもらおうと思うてな。情報は多い方が、多少は軍資金の足しにもなろうし、無駄にはならんじゃろう」
「うん?それは別に良いけど。何だか、ここで別れたら、もう会えなくなるみたいな感じに聞こえるんだけど、気のせい?」
「はは、それは気のせいでもあるし、そうでないとも言える。わしは戦士。いつ死ぬるとも分からぬ身の上。であれば、一期一会を尊重したいと思うても、何ら不思議はあるまい?」
振り返ることなく、清々しい声音で言い放つその言葉に、少女は目をつむり、一度だけ頷いた。
「ん………そっか。うん、分かった。任されたよ」
「ふふ…。ではこれにて、さらばじゃ!」
それだけ言うと、少女剣士は、ゆっくりと森の奥へと歩いていった。
「ええ、さようなら!」
少女も、その背に笑顔を向け、次いで背を向けて歩き出した。
すると、森側から少しだけ強い風が吹き、少女の背を押すように通過していった。
「!?」
次の瞬間、少女は異様な気配を感じて、先程の少女剣士が居た位置を見るように振り返った。
「……」
そこには、変わらず少女剣士の背だけが見えていたが、再度、少女に向けて吹き付けてきた風は、その背に別の物を感じさせた。
少女は目を見開く。
「これは…」
それは、言うなれば力の気配だった。余りにも強大で純粋な力の気配。
そして何より少女が驚かされたのは、その雰囲気が、人の放つような種類のそれでは無かったからだった。
『ナガノリは、一説によれば、ナガノリと言う名で、男として育てられた女児であったとも言う』
『名と顔を伏せ、衣服を貴族用に変え、武具、果ては性別までも隠し、他の信者や教会の危機を密かに救っておった』
ふと、少女剣士の語った言葉を思い出し、目を閉じた。
「イズモ。君って、まさか。ああいや。そっか、そうだったんだ。だから、そう言ってたんだね」
ゆっくりと目を開け、もう一度少女剣士の居た場所に目を向ける。
しかし、そこにはもう誰も居なかった。ただ、ずっと止んでいた鳥の声や、獣の声だけが、誰も居なくなった空間から、微かに響いてきていた。
そして、今度は優しく吹いてきた風と共に、その場を後にするのだった。
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