第9話 夜の護り手たるは光の幻像

 ある日の夕方ごろ。少女は、馬車などの乗り継ぎで、やっとの思いで山道を越え、とある街の大通りを歩いていた。

 その街は、人々に連合国と呼ばれている国の都市の一つで、周囲に遺跡が点在することで有名だった。

 また、数多くの著名人を輩出していることでも知られており、その事も含めて、時の権力者から敬意を込めて、学術の都の名が贈られた街でもあった。

 事実として、この都市には数多くの学術機関が犇めく様に存在しており、何と学校法人だけで都市の六割強を占めている程だ。

 加えて、将来を担う優秀な人材を養成する目的から、国内の一都市でしかないにも拘わらず、国の中枢より、学術機関主導による、独自の政治活動、立法及び司法権、単独での経済活動が認められており、都市の学校法人に属する学生には、積極的な政治や司法、都市関連業務への参画が奨励されている。

 その少女は、この都市の住民でも、ましてや学生でもなかったが、自身の職業柄における、とある目的の達成のために、この街を訪れていた。

 少女は、ビアンカと言う名の絵師として活動している画家だった。冒険家と兼業ではあったが、小規模の個展を開ける程度の知名度は持っていた。

 各地を旅し、絵を描き、好奇心の向くままに土地を楽しむ。たまに宝を見つけて喜び、美しい風景に胸打たれて心躍らせ、疲れたら眠る。そのような生活を送っている。

 大通りを行き交う学生達が、立ち並ぶ書店を占拠するように出入りし、喫茶店を埋め尽くし、さながら群れた小鳥のような賑やかさを生み出している。

 少女は、少し離れた場所からその光景を見つめ、軽く鉛筆書きで記録するように線画へと起こしていく。そして書き終わる度に紙を筒状に丸めて収めた。色を付けるかは、そのあとの気分次第と言う所だろう。

 そのまま、ある程度の枚数絵を描いた後、少女は人混みを避けつつ、街の中央にある大きく古い時計塔へと向かう。そこは、この都市を築く際に最初の行政学府が出来た区画で、この都市の始まりを意味する場所でもあった。

 また、この時計塔自体も古い史跡であり、人気の観光スポットとして、連日多くの旅人が訪れていることでも知られていた。

 少女が向かった時にも、実に多くの旅人や住人が訪れており、ちょっとした人だかりが出来ていた。近くの通りは、人だかり目当てで自然と集まった出店が、まるで蚤の市のような状態になっており、頻りに客引きする声が聞こえる。

 無論、客引きをしている店員も何処かの学生だ。胸に学生を示すブローチを付けているので、直ぐに判断できる。

 少女は、人混みを巧みに避けながら時計塔に近付く。

 見上げるほどに高く、雄大さを無言のままに誇る存在感で、確かな歴史を持っていると理解できるにもかかわらず、全くの劣化を感じさせない姿は、その時計塔が、つい数年ほど前に建てられたばかりなのではないのかという、矛盾した疑念を投げかけてくる。

 夕日に照らされ、水色の壁が橙色と溶け合い、静かに輝いている。

 上部に付いている時計は静かに時を刻み続け、その威容と相まって、まるで全てを見下ろし、街そのものを統御しているようにすら見えた。

 少女は、早速入場口へと向かい、表に立っている衛兵の一人に、前の仕事で報酬として得たフリーパスカードを見せ、そのうえで念入りな身体検査を受け、管理簿に、氏名や身分などを記帳する。

 その後に、入場後にやってはならないことや、やらない方が望ましいことについての簡単なレクチャーを受けた。最初は当然、一般的な史跡、公共物に入場する際に守るべきルールとマナーについてからだ。

 次に、精方術についての注意事項を、保全委員の女学生から教えてもらう。

「特に、精方術の使用による移動はお控えください。術の発動が打ち消されますからね」

「打ち消されるんですか?」

「はい。時計塔内部では、中央の柱に満ちるエネルギーにより、特定の精方術の発動に対して、術を打ち消す作用が働いてしまい、ほとんどの術が使用不可能、あるいは十数秒単位でしか機能しません。ですので、精方術に頼っての飛行や浮遊移動は、大変危険なのです」

「なるほど、分かりました。しかし、打ち消されるんですか…。それはまた、何故です?」

「詳しいことについては、当方、保全委員会も把握し切っている訳ではありません。なにぶん、未解明の部分も多く、時計塔としての機能、近隣の遺跡から彷徨い出る魔物や、暴走した自動人形に対する結界器としての機能。あと、汚損や腐食劣化に非常識なまでに強いこと以外の、そう言う作用を及ぼす機能があるのだと考えられています」

「ふぅむ…。興味が湧いてきますね。私は学者ではないですが」

「あ。我々は、常に研究の仲間も募集しておりますので、よろしければ、事務所のあるノースアカデミアにも、お越しください。時計塔の資料も数多く展示しておりますので」

「ええ、是非立ち寄らせて頂きます」

「それでは、これにてレクチャーは終了です。何か質問はございますか?」

「いいえ、特には」

「分かりました。それでは、ごゆっくりとお楽しみ下さい」

 そのような会話を交わした後、少女は早速、時計塔の内部を見て回る。

 内部は、太い柱のような物が中央に配され、頭上は、何メートルかおきに回廊と階段が配置され、高層構造の時計塔内部を見て回ることが出来るようになっている。

 壁面は、柱も含めて一面の水色で、徐々に日が落ちていく外の明るさと、内部の光源による明るさとが対比され、よりはっきりと壁の色を認識することが出来た。

 少女は、それらを線画で描き起こしつつ上って行き、そして程なく頂上へと辿り着き、先に中に入っていた客と上手くすれ違いながら、すぐに外側に繋がる通路へと向かう。今回の目的を達成するために。

 この時計塔や、時計塔の広場には、史跡という理由以外にも、とある理由で有名な観光スポットでもあった。

 それは、ある決まった時期に夜の特定の時間になると、時計塔の周りや、時計塔のある広場、近隣の通りなどに、道をなぞるような形で光の線が走り、その線の上を、これまた淡く光る半透明な人間が歩き回る、と言う不可思議な現象だった。

 街の人々は、この現象のことを「光人巡り」と呼び、学者達は、長らく研究の対象としている。

 さて、この不思議な現象であるが、別に時計塔に関わらずとも見ることが出来る。では何のためにここに来たのか、と言えば、その「光人巡り」に関するとある噂が、時計塔にあったからだ。

 外の足場に出た少女は、まず目の前に広がった夕日に照らされる街の風景に見入った。遮るものが何もない場所なので当然ではあるが、夕焼けする全天と、どこまでも広がっているように見える街並みの取り合わせが非常に幻想的だった。

 少女は、思わず筆を執りたくなる衝動を抑え、目的の場所へと歩を進める。

 そこは、時計のある部分のちょうど反対側に位置する場所で、人為的に窪ませて作ったのであろう部分に、一体の手乗りサイズの女神像と、それを囲む複数の、月桂冠を戴く手乗りサイズの天使像が安置されているのが見えた。

 先ほど入り口で受け取ったガイドには、この像は「守護者の祈り」という作品らしい、ということが書かれてあった。

 見ると、その像の下側にプレートが埋め込まれており、古代語であるヘーリニック言語で、確かに「守護者の祈り」と彫ってあった。

 そして、この像こそ、件の噂の起点となった場所だった。

 噂というのは、日没までにその像に触れ、力を籠めるように祈りを捧げた者は、光人巡りで現れる、淡く輝く人々と、直接に触れ合うことが出来るというものだった。

 何故そうなるのかは分からないが、そうすることで、実際に触れ合うことが出来たと言う話が絶えず聞こえてくる以上、是非とも自分の目で確かめねばなるまいと言うことで、少女の興味を引いたのだ。

 早速、少女は優しく像に触れ、目を閉じ、祈りを捧げる。

 何を祈るかは自由らしいので、少女はとりあえず、今後の旅の安全を祈ることにした。ついでに、今夜泊まる宿の食事が美味しいものでありますように、とも。

 そして、一分ほどの祈りを済ませた少女は、後ろからやって来つつある次の観光客のために道を譲り、通路の端で街の風景を線画に収めてから降りたのだった。

 その夜。宿で夕食を終えた少女は、部屋で線画の調整を行っていた。人の輪郭や動き、家々の壁の雰囲気等々、急ぎで描くと弊害の出やすい場所について修正を加えていく。

 そんな時だった。にわかに表通りに人の気配が増えていくのを感じた少女は、一度筆を置き、軽装に着替え、必要な道具のみを鞄に収めて、戸締りを確認した後で部屋を出た。

 宿を出ると、そこには実に不思議な光景が広がっていた。

 道の中央に、一直線に光の線が走っている。元を辿ったその先には、あの時計塔があり、時計塔の外壁にも細かな幾何学模様が浮かび上がっていた。

 道の両端にはちょっとした人の列が出来ており、様子を見守っていることが分かる。

 そして程なく、それは始まった。

 まるで陽炎のように揺ら揺らと揺れる光の輪郭が浮かび上がったかと思うと、直ぐにそれらは人の形を成し、半透明であること以外は自分たちとは然程区別のつかない姿へと変化した。

 おお、と、人の列から感嘆の声が漏れ、半透明の光人達が歩いていく様子を、皆が静かに見ていた。

 しかし、少女には見入っている暇はなかった。噂を確かめる必要があったからだ。

 いそいそと人の列に参加し、さり気なく前の方へと出ていく。

 人混みの先で、光人達は、互いに手を取り、笑い合い、街の様子を見ながら街の大通りを歩いていく。その様子は、子ども連れの家族や、友人達が、街の散策をしているようだった。

 すると、その時。光人達に変化が起こった。何人かが列を離れ、街の人々の列へと近付き始めたのだ。

 その後、列に近付いた光人達は、何かを探すように辺りを見回し、そして、列の中にいた数人の人間に目を留め、彼らに向けて、笑顔で手招きを始める。

 手招かれた人々は、他の人々からの羨望の声に背中を押されるように、それぞれを招いた人の下へと出ていき、手を取り、光人達の列に参加していく。その何れもが、少女と時計塔の中ですれ違った人々だった。

 少女もまた、光人の少年に手招かれ、列に参加していた。

 少女を招いた少年は、少女と同じくらいの年齢で、ローブのような、ゆったりとした衣服に身を包み、頭には、何かの植物を編んだような冠を戴いている。握る手は優しく少女の手を包み、顔は常に優しげな微笑を浮かべていた。

 そのまま、招かれるままに光人達の列の中を歩く。

 途中、何人かが分かれ道で別れ、別の道へと入っていく。少女を引く光人の少年もまた、別の道へと入り、街の外側を目指す者達とは違う方向へと歩いていく。

 そうして、大通りから路地へ、路地から広場へ、広場からまた大通りへと線が続く限り歩き、最後に辿り着いたのは、あの時計塔の前だった。

 幾何学模様の浮かぶ時計塔の周囲にもまた、今少女の手を引いている少年と同じような背格好の光人達に手を引かれた人間が集まっており、道の周囲に列を作っている人々の視線を集めている。集まっている人間は、何故か少女と同じように、年若い人々だけだった。

 光人達は、時計塔を囲むように人を導き、歩いていく。その様子は、まるで何かの儀式のようだった。しかし、その歩みは、少女と、少女の手を引く光人の少年が参加したことで、唐突に終わりを迎える。

 皆が、少女の手を引く光人の少年に視線を送り、頷き合うと、二人を列に加えたうえで、時計塔を囲むように向き直る。それぞれに手を引かれた人々もまた向き直るように立ち、皆で一斉に時計塔を見上げた。

 少女もまた、釣られるように時計塔を見上げる。

 壁に走る幾何学模様は透明度の高い水色に輝いており、線をなぞるように見上げて行きたくなる心持にさせてくれる。そうして見上げて行くと、幾何学模様の線が、頂上に向かうにつれて一本の線へと収束していることが分かる。

 さらに線をなぞるように視線を上へと向けていくと、その線の終わりの部分に、光人の女性が佇んでいる様子が見えた。

(あれは…誰なんだろう?)

 そう少女が疑問を覚えた時には、現象は次の段階へと移っていた。

 幾何学模様が一際輝いたかと思うと、走る光が、その佇んでいる女性の下に集束。次の瞬間に、そこから街の外側に向けて、幾何学模様を描くように光が奔り、音もなく飛んでいったのだ。その様子は、まるで街を包み込むようだった。

 近くから感嘆の声が聞こえてくる。見れば、手を引かれて集まっている人々が、或いは楽しそうに笑い、或いは涙し、或いは驚きのあまりに目が点になっている。

 しかし、少女達を外側から見ている人々は、少女達の姿ばかりを見て、上空の変化には気が付いていないようだった。

「?」

 その点に疑問を覚えたが、少女に、ゆっくり考える暇は与えられなかった。

 少女の手を握っている光人の少年が、不意にクイッと、彼女の手を引いたからだ。

「ん?」

 少女が、光人の少年を見る。

 すると、光人の少年は少しだけ寂しそうに笑い、時計塔の頂上で佇む女性を指さして見せた。

「えっと…?」

 光人の少年の意図が分からず、少女が首を傾げていると、光人の少年は、次に自分の戴く植物の冠を示した。

 すると、そこには、ヘーリニック語と思われる言語で「巫女の血族・守護者の司祭」と刻まれている小さな木板が巧妙に結い付けられて隠されていることに気が付いた。

「君は、あの子、巫女の、家族だったんだ…」

 少女が小声でそう言うと、光人の少年は嬉しそうに頷き、次は冠の違う場所を示して見せる。

「うん?」

 そこには、同じくヘーリニック語で「天秤に捧げられし者の守り手」と刻まれた小さな木板が隠されてあった。

「君は…。これを教えるために?」

 少女が少しだけ悲しそうな表情を浮かべると、光人の少年は首を振り、誇らしげに、しかし、何処か寂しさを垣間見ることの出来る表情で、頂上の女性を見上げた。

 釣られて少女も、見上げる。

 光を纏った光人の女性は、光が放たれる度に透明度を増し、今にも消え入りそうになりながらも、街の外をじっと見据え続けた。そして、四度目の放出を終えた時に、その姿は霧散し、完全に消え去った。

 同時に、時計塔に走る幾何学模様も、徐々に頂上から消え始める。

 再び、光人の少年がクイッと少女の手を引いた。

「ん?」

 少女が見ると、少年もまた姿が薄れ始めていた。

 それが意味することは一つだ。

「そっか。もう、お別れなんだね?」

 光人の少年が、どこか名残惜しそうに頷く。その間にも、徐々に少年の体は薄れていく。

 少女は、その様子に一度だけゆっくりと頷くと、笑顔を向けた。

「あ、そうだ。また、会いに来てもいいかな?その時、君と出会えるとは限らないけど、詳しく絵に、残したいんだ。良いかな?」

 その言葉に、光人の少年は一度驚いた後、心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、二度、頷いて見せた。

「ん、分かった。なら、また、ここに来るよ。その時は、エスコート、よろしく」

 少女が、冗談めかした口調でそう口にすると、光人の少年は、すっと手を放し、そして、礼儀正しく一礼して見せ、力強く一度だけ頷いて返した。

 その次の瞬間だった。

 時計塔を包んでいた幾何学模様の光が輝き、光の粒子となって散らばったかと思うと、通路をなぞるように走っていた光の線もまた、続々と光の粒子となり、一斉に街を包み込んでいった。

 周囲で静かに、しかししっかりと聞こえる歓声が起こる。

 少女もまた、その光景に目を奪われ、光人の少年から、少しだけ目を離してしまう。

そして、次に視線を戻した時には、彼は、周囲で時計塔を囲んでいた光人達と一緒に、何処かへと消え去っていた。

「あぁ…、そっか。今回の君のお勤めも、無事終わったってわけだ。うん。お疲れ様」

 少女はそう口にし、空を見上げて、笑顔を浮かべて見せたのだった。

 翌朝、宿屋の一室。

「うーん…」

 少女は、宿屋のルームサービスで注文したコーヒーを啜りつつ、卓に広げた三枚の絵の前で唸っていた。

 用紙には、日常の都市の風景が。もう一枚には昨夜の光の線を描き加えた都市の風景が。そして、最後の一枚には、そこにさらに光人達を描き加えたものが描かれていた。

「試しに描いてみたが良いけど…。これ、どれを喫茶店で出すべきか…。うーん、悩む」

 そのような事を考えつつ、ベッドに横になる。

(昨日のあれは、本当に凄かったなぁ…。最初から結構期待してたけど、期待以上どころか、遥かに飛び越えて行っちゃったからね。うん。山越えてでも、来て良かった。途中で土砂崩れに遭った時は、ちょっと焦ったけど)

 昨夜のことを思い出しつつ、光人の少年に握られていた手を握ったり、開いたりしながら、視線を窓の外に向ける。視線の先には、あの時計塔。

「また、来るからね!」

 そして、そう口にした後、思い切って起き上がり、一日を始めるべく風呂場へと向かうのだった。

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