第8話 精方術の話:Ⅱ 精歌を編み上げる紡ぎ手

 この世界には、かつて魔法と呼ばれる奇跡の具現を成す技術によって繁栄を謳歌した文明が存在していた。

 自然界に満ちる「ルナミス」と言うエネルギーに方向性を与え、制御、操作することを可能とする、まるで神の手を再現するが如き業である。

 後に、この文明は戦災によって滅びを迎え、大半の魔法技術は失われたが、それからの長い年月の経過の中でも、失われていないものもあった。

 一つ。何かを基礎として起動する、魔法技術の基本概念。

 二つ。魔法文明によって生み出された多くの器物、建築物。これらは後に、人々によって遺跡や、遺物と呼ばれるようになる。

 そして、これらが失われなかったことで、かつての崩壊から長い年月が経過した今の世界においても、かつての伝承に語られる魔法文明ほど圧倒的なものでこそないが、魔法のような技術が生み出されることになる。

 数多くの冒険者、賢人達の努力により、想像することも許されない程の途方もない月日を重ね、それは一応の完成を迎えた。

 それは、時の賢人の一人により「精方術」と言う名を与えられ、これを隠すことなく遍く全ての人々が触れられる技術とすることを決めた。

 斯くして、超常の力は密やかに蘇る。

 さて、ここからは、ある少女と男の子の出会いの話をする。

 少女は、冒険者兼画家だった。

 自分にとって未知のもの、感動したものを絵画として記録することを己の使命と勝手に設定して旅をしている。画家としての名前はビアンカ。西方で白を意味する単語。だが彼女の本名ではない。

 男の子は、ある街に住む歌姫だった。

 誰もが思わず足を止めるほどに美少女然とした容貌を持つ彼は、声もまた、透明感のある美しい女声をしており、街の人々からは、歴代の歌姫の中でも最上の、天上に舞う女神と称えられるほどだった。

 少女と男の子が出会ったのは、ある日の日没時。街の感謝祭において披露する祝詞歌の練習を、男の子が独りで行っていた森の中だった。

 そもそもが、散歩に出た少女が、絵画に起こす構図のために街を見下ろせる場所を探して軽く山登りしている途中、綺麗な歌声に誘われるように街外れの古民家に立ち寄ったことが切っ掛けなのだが、街の有名人であるはずの歌姫の声が美しく響いてくるにもかかわらず、その古民家周辺には人っ子一人、居はしなかった。

 少女が、森の中で歌声を披露し続ける美しい歌姫に声をかけると、歌姫は、心底驚いたように少女を振り向き見た。それもそのはずで、本来、この時期の、その古民家には街の住人や旅人は誰も近寄らず、その場所で出会ったのは、少女が初めてなのだそうだ。

 実は、街中を散歩している時に道を聞いた町人も、宿屋の主人も、何故か皆、この時期の歌姫の家には、なるべく近付かない方が良いというような事を遠回しに言われていた。

 最初こそ、祭司を務める歌姫なのだから、神事の修練の妨げにならないようにするためなのかもと勝手に想像していたのだが、当の本人と出会い、直接話をした少女は、その理由について大よその見当がついた。

 少女は、歌姫が美少女然とした男であったことにも驚いたのだが、それ以上に、彼の歌の特殊性と技量に驚嘆させられた。

 彼の歌には、精方術の技法が織り込まれていた。

 その技量は、ただの歌姫であれば、それこそ稀代の歌い手として、相応に名を馳せる事も出来ただろう。事実として、この国には精方術を歌に乗せて発現させる精練歌という技法が存在している。

 それは、身に着けた触媒を通して生み出した術を、歌に紐づけして、合わせて効果を発揮するように組み上げて操ると言う難度の高いもので、これを扱うにはある種の才能を必要とした。

 例えば、歌の緩急に合わせて輝きを増したり、飛び回ったりする光の球体をイメージとして組み上げ、術力で作成して放ち、維持しながら舞台を盛り上げるように使う、と言った具合だ。言うなれば大道芸能に類する大技である。

 しかし、彼のそれは、似て非なるものだった。

 彼は、何の触媒も身に着けることなく、ただ声のみで、口にした歌で、精方術を使って見せると言う離れ業をやってのけたのだ。

 彼が光あれと詠えば、そこに光が生まれ。闇来れと詠えば、そこには闇が満ちる。

 それは、一般人のみならず、精方術師にとっても異常な事だった。

 精方術とは、簡単に言えば、自分の発動したい効果のイメージを、体力を代償とした術力を用いて頭の中で組み上げ、触媒を通して、実際の現象として発現させる超常の技術である。

 つまり、如何に熟達した精方術師であっても、術の制御と効力を安定させるために、イメージの依代として、また形を成したイメージの出口としての触媒はどうしても必要となる。

 歌そのものを触媒にしていると言う見方も出来るかも知れない。しかし、少女は非物質的な触媒を未だ見たことがなかったし、少女の術の師匠からも、知り合いの精方術師からも、そのような話は聞いたことがなかった。

 それほどまでに、彼の術行使法は特殊で、異常だった。そしてそれ故に、街の住人も、不用意に彼を他人に会わせられないのだろう。それこそ何が起こるか分からないからだ。

 少女は、歌姫とさらに話をする。

 歌姫も、久しぶりのお客様、それも街の外部から訪れた旅人とあって、大喜びで会話を楽しんでいた。特に少女の描いた絵画や、旅先での不思議な出来事の話などに興味津々で、身を乗り出すほどに熱心に聞いていたほどだった。

 その後、歌姫も、聞くばかりでは悪いと、少女に自分の街についての話や、祭と歌姫についての話。時に自分自身についての話を語り、少女は、絵の参考にするからとメモを取っていった。

 それによれば、彼がその特異な能力に気が付いたのは、意外にも就学し始めてそれなりに経った頃だったそうだ。時にして八年前。

 ある日、街の学校で精方術についての課外授業を受けた帰りに、休憩として立ち寄った広場で、少年は運悪く触媒の腕輪を紛失してしまう。それなりに高価な品で、しかも親からの贈り物だったために、その日、少年は家に帰ることもせずに必死になって腕輪を探し回った。

 しかし、必死の捜索も空しく、腕輪は見付からず、あまりの無念さ、両親への罪悪感で少年は家に帰れず、ほとんど人の居なくなった公園の片隅で泣きに泣いた。

 結局、少年は人通りが途絶えた公園で、帰らぬ少年を心配し、方々を探し回った両親が迎えに来るまで泣いていたそうだが、悲しみのあまりに泣き疲れ、眠りに落ちていた少年を両親が見付けた時、彼は、草木枯れ果てた公園の隅に倒れ込んでいたのだそうだ。

 その時の事を両親に聞かされて初めて、彼は、自分の中に眠る特異な力に気が付かされたと言う。触媒も無しにそのような事をしでかした自分は、普通ではないのだ、と。

 それから、彼に次期歌姫の話が舞い込んでくるまでに、そう時は要らなかった。

 恐らく発端は、その時の体験を、精方術の教師に打ち明けた時だったのだろう、と、彼は振り返り、語る。

 この街における祭司を務める歌姫には、その時々で最高の精練歌使いが、議会の合議によって任命される。その理由は、この街の祭司は、祭の際に「守り神」と呼ばれる存在を歓待し、導き、封印する役目を負うためだからだと言われている。

 それ故に、触媒に頼らず、ただ歌のみで術を行使することの出来る彼が選ばれたのは、ごく自然な流れだったのだろう。

 そうして、力を制御できるように歌姫としての修練を積み、今に至る、と言うことだった。

 その話を少女は黙して聞き、メモに書き留めていく。そのあと、必要な事柄と、削るべき事柄とを仕分けし、作業が終わると同時にメモ帳を閉じた。

 そして一息つくと、少女は礼を口にする。

 歌姫は首を振り、詰まらない話に付き合わせてしまったかも知れないと、苦笑を浮かべて謝罪の言葉を口にした。

 少女もまた首を横に振り、得難い体験談で、少なくとも、自分にとっては非常に益のある話だったと、改めて礼を述べた。

 そのうえで、敢えて少女は歌姫に、一曲、本番前の予行とでも思って、精練歌を歌ってもらえないだろうかと提案した。その姿を絵に描いてみたいと。

 歌姫は、一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに、自分の拙い歌や姿でよろしければと了承し、少女から少しだけ距離を置いた。

 少女はさっそく筆と紙とを用意して草の絨毯の上に座り、描く態勢を整える。

 歌姫は軽く体を動かし、発声の練習を行う。そして、歌唱に引き寄せられた光の粒が舞う中、歌姫は少女に向き直った。


 さて、それから奏でられた歌は、一言で言い表すならば、慈愛に満ちた勇壮な祝福の言葉だった。

 彼によれば、それは古くから伝わる言葉を歌として読み替えたものだという。

 少女の知識は、それがヘーリニック語の第二起源型と呼ばれる言語だと教えていた。古くは儀式に用いられたとされている言語体系である。

 そのような聖句にも等しい言葉が、歌姫の声を通して紡がれていく。


『我は奏でよう。一と無により生まれた光と闇の、その誕生への祝福を』

『我は奏でよう。光と闇の中より生まれた子らの、その生誕への祝福を』

『我は奏でよう。光と闇の中より生まれた子らの、その繁栄への祝福を』


 歌姫の口から一節が紡がれる度に、言葉の端々から光が満ち、闇が包み込む。


『我は此処に紡ごう。祝福抱く子らの向こう側にある、生の輝きと闇を』

『我は此処に紡ごう。輝きと深い闇の向こう側にある、慈しみと営みを』

『我は此処に紡ごう。慈しみと営みの向こう側にある、愛と絆の祝歌を』


 少しずつ音圧の段階が上がり始め、徐々に身振り、手振りによる踊りが加わっていく。

 指先からは光の滴が零れ落ち、また指先からは闇の飛沫が舞い散っていく。


『光あれ!闇よ来れ!今ここに全ての輪廻はかく定義され、一へと還り』

『光あれ!闇よ来れ!今ここに全ての生命はかく広範され、全へと繋ぎ』

『光あれ!闇よ来れ!今ここに全ての意思はかく頒布され、無へと集え』


 いよいよとばかりに調子を上げ、高らかに歌と言う形をとった祈りを紡いでいく。

 踊りもまた情熱的となり、零れていた滴や舞い散っていた飛沫が、力となって渦を巻き始め、柱となって空へと昇って行く。


『原初より、我と汝を繋ぐ一と無の誓約。果ても忘れぬ全の契りとなれ!』



 少女は、言葉に圧倒されていた。

 しかし、終始圧倒されながらも、少女の記録行為は止まる事を知らなかった。

 目の前で繰り広げられる一人舞台は、少女の感性をこれ以上ないほどに揺さぶり、紙に予め道が示されているかのように筆を走らせ続けていた。

 描くのは、山より昇り、渦を巻き、雲を穿つ一条の光の柱。その中心で、全身全霊で歌い、踊る歌姫の姿。今、目の前に見えている全てを。聞こえる音の全てを。筆を通して絵として記録していく。

 そうして、全ての歌が終わる頃には、少女はその殆どの光景を一枚の線画に収め、完成させていたのだった。


 柱が消え、力が鎮まり、全てが風の向こうに過ぎ去った後。

 少女は、歌姫共々、余りの疲労感で、一瞬体の自由が利かずにその場に寝転がされてしまう。

 そして、互いに互いの顔を見て、目と目を合わせ、そして、何故だかとても可笑しくなり、腹の底から、弱々しくも思い切り笑い合う。

 歌姫は少女に、絵はどうなったかと問うた。

 少女は、手に持っていた線画を示し、この場で行える全ては完了したことを告げると、それは重畳だと歌姫は笑い、まったく無理をしたものだと、少女も、また笑った。

 二人して空を見る。

 先程、歌姫の放った術力の奔流により、小さいながらもすっかり穴の開いてしまった雲を見据え、改めて少女は圧倒されていた。人と言うのは、これ程の業を為す力を秘めているのか、と。


 そして、もしも、伝承にあるような魔法が今なお存在していたのなら、これ以上の業をすらも、容易く見せてくれるのだろうか、と。


 すると、だいぶ回復したらしい歌姫が、少女に話し掛ける。自分はしっかりと詠えていたか、と。

 少女は肯定し、控えめに言っても、数日後の本番が間違いなく予定に組み込まれるくらいには感動したと伝え、再び歌姫の方を見やった。

 彼女の声に満足そうに笑う歌姫が体を横たえている場所の周囲に、彼の体から光の粒が流れ、そこに、先程までは無かったはずの草花が咲いていた。

(ああ、そういうことか)

 そこに至って初めて、少女は気が付いた。どうして彼が、触媒を身に着けることなく術を行使できるのか、その理由に。

 彼には、最初から触媒という道具は必要無かったのだ。


 何故ならば、彼の体そのものが、イメージを媒介する器そのものとなっているからだ。


 繰り返しになるが、精方術とは、術力と触媒の組み合わせによる、自己の想起するイメージ像の具現化である。それを考えれば、仮に触媒が人体であったとして、何の不思議があろうか。

 ある学者は言った。体の部位は、己の意思を具現化する最も身近な装置であると。

 歌姫の彼にとっては、自分が描いたイメージを最も籠め易く、親和性の高い器が、たまたま己の体だったというだけなのだ。

 彼が思いを込めて歌えば、その通りに術力が方向性と指向性を得る。彼が思いを込めて舞えば、そのイメージが形を成して具現化し、彼と周囲を包み込む。その様子は、さぞかし神秘の具現に見えることだろう。

 歌姫と少女は、その後も会話に興じる。

 この後は何をするか、明日は何をしようか、明後日はどうしようか、等々。先程までそこにあった神秘とは縁遠い、他愛もない話の連続。

 結局二人は、街から何事かと様子を見に来た衛兵と議員の姿が見えるまで、そうした何でもないようなことを只管に語り合うのだった。


 歌姫と笑顔で別れ、宿に戻った少女は、先程勢いで描き上げた線画を修正していた。

(彼は…、これからも苦労するだろうなぁ…)

 渦巻く力の中央で舞い踊る歌姫は、その身を触媒として術を行使する事が出来る。

 それはつまり、文字通り、自分の身の振り方一つで、周囲に術の効果を及ぼしてしまうということを意味している。

 もしも彼が感情を昂らせてしまったなら、制御されないただの力がイメージのままに放出されることだろう。それこそ、先程の歌唱のように。

(でも彼は、これからも今までのように、上手く折り合いをつけて生きていくんだろうね…。よし、絶対に祭本番での祝詞歌を聴こう。きっと最高の景色を見られるだろうから)


 鉛筆を動かしながら、修正を加えている絵から放たれている彼の唱歌の躍動感を思い出し、少女は楽しげに笑うのだった。

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