第5話 老旅人と少女絵描きの交流

 少女は、辺境のとある川の近くに見付けた岩場で休息をとっていた。

 その手には彼女愛用のカップが握られ、注がれている茶色の液体からは湯気が昇っている。

 また彼女は、自分の腰かけた横の岩をテーブル代わりにして、持参した包みを展開していた。中身はサンドイッチ。新鮮なレタスとハムを挟んだもの、レタスで包んだ卵サラダを挟んだものが、それぞれ二つずつ。

 そして、少女の近くには、一人の老人の男が座っていた。

 ただ、老人とは言っても、背筋はしっかりと伸びており、しわの彫り込まれた小麦色の顔には、生気が漲っている瞳が爛々と輝いているなど、とても老人とは思えないほどに若々しい雰囲気を放っている。

 その手には、少女と同じようにカップが握られている。中には、半透明で、緑色のお茶が注がれており、湯気を立てていた。

 また、同じように膝の上には包みが展開されてもいた。中身は、白米を握って作る携帯食。極東において、握り飯、或いは御握りと呼ばれている料理だ。

 少女と老人は、共に旅人だった。少女は西に進む途中で。老人は東に進む途中だった。

 旅の道すがら二人は出会い、偶然、同時に休憩に入ると言う事で、こうして青空を天井としながら、一緒に寛ぐことにしたのだった。


「いや、しかし。この偶然には感謝したいもんだ。長道の独り旅で、素晴らしい話し相手に恵まれるとは」

 老人は笑う。

「本当ですねぇ。私も、今回ばかりは誰とも会わないだろうと思っていましたから」

 少女も笑う。

「では、空と風の王、旅の神に…」

「そして、この出会いに…」

「乾杯!」

 互いに手に持ったカップを軽く掲げ、笑い合った。

 それから二人は、食事ついでに、互いの旅で出会った面白かった出来事や、感動した景色、美味しかった食事等々、思い出を語り合い、大いに笑い合った。

 互いの話には、度々共通する話題も出たが、全く違う視点から見た多くの思い出話は、双方を大いに楽しませるに十分なものだった。

 そこには、互いの年齢差など存在しておらず、知らない者が見れば、或いは知っている者から見ても、まるで二人が昔からの友人同士であったかのように錯覚しそうなほど、無邪気に盛り上がっていた。

「するってぇと、お嬢さんは絵を描くために旅してるってことかい?」

 そんな中、話題が互いの旅の目的が何なのかについてへと移り、少女の目的についての話が中心となって展開されていく。

「そうですね…。純粋に世界を見て回りたいって言うのもありますけど、小さい頃からの夢が画家だったもので、それも含めて、旅する画家と言うのも悪くないだろうって思ったんです」

 その過程で、自分が今まで描いてきた絵を筒から取り出し、広げてから老人に手渡す。

 老人は、手渡された絵を神妙な面持ちで鑑賞している。

「ははぁ、こいつぁすごい。儂は、芸術は素人だが、お嬢さんの腕が確かなのはわかる。だがよ。その若さで旅となると、色々大変じゃないかい?」

 絵が返され、受け取った少女は、再びそれを丸めて筒に収めた。

「そうですねぇ…。故郷からは、よく手紙が送られてきますし、たまに恋しくなることもありますけど、まあまあ上手くやれてるんじゃないかなと、思い込むようにしています」

 少女は笑い、カップのカフェオレを一口飲む。滑らかで円やかな味わいの液体が、彼女の語った自己の思いと共に、彼女の喉を滑り降りていく。

「ははは。こりゃ、余計なお世話だったかね」

 老人も笑い、頭を掻きながらカップのお茶を飲んだ。こちらは渋みと甘みがある液体が、自身の発言の、何処かお節介さを感じさせる味と共に喉を通って行った。

「いえいえ。お気遣い、有難う御座います」

「はは。おう、そう言えば。お嬢さんはこれから、西の廃棄街に向かうんだったか?」

 再び、話題が旅の関係へと移る。

「ええ、そのつもりです。それが、何か?」

「ああ。その廃棄街な?ありゃあ、昔の戦争で打ち捨てられた場所らしいってのは、お嬢さんも知ってるだろう?」

「ええ。旅人の間でも有名な話ですからね。何でも、戦争で滅んだはずの街なのに、白亜の街並みがそのまま残されているとか」

「おう、それだそれ。で、それなんだがね」

 そこで、老人は一度言葉を切った。

「これは、ある学者先生に、酒の席で聞いた話なんだが、どうやらその廃棄街な。戦争が直接的な原因で滅びた訳じゃないらしいって話が持ち上がってるそうだ」

 その続けられた言葉は、少女の興味に火をつけ、目を見開かせた。

「それはまた…、大胆な説ですね」

「酒の席での話だから、それの前提は忘れなさんなよ?そんでな。その直接的な原因になったかも知れない場所が、廃棄街の西にある山ん中にあるらしい」

「原因、ですか。それはどう言った物なんです?」

「おう。何でも、塔の形をした、昔の魔法の儀式場だったとかなんとか。まあ、学者先生が酔い潰れちまって、それ以上の詳しい話は聞けなかったんだがね」

「ふぅむ…。でも面白い話だと思います。そう言う、用途不明の史跡は、かなりの数見つかっているそうですから。まあ、私は単なる絵描きなので、現場に行っても、ただ絵を描くだけですが」

「うむ。そうだろう、そうだろう。だからと言うわけでもないが、行く時は十分に気を付けさなれよ?精方術の使い手と言う事だから心配要らんとは思うが、何があるか分からんのが旅だからな」

「ええ、心しておきます」

 少女は真面目な表情を浮かべながら、聞いている。

 そこで、老人はハッと何かに気付いたように苦笑を浮かべ、顔に手を当てた。

「ああ、いかんいかん。まぁた、要らん言葉を。年を取るとどうにも心配性になっていかんなぁ」

「いいえ。有難う御座います」

「ははは…、こりゃあ、参った」

 そして、互いにくすくすと笑い合うのだった。

 それから十数分後。

「さぁて、儂はそろそろ行くかな」

「ええ。私もそろそろ…行かないと」

 互いに休憩を終え、体を伸ばす。相互共に旅の再開のための準備へと移った。

「そう言えば、お嬢さんの、絵描きとしての名前、ぺんねーむ?だったか?教えてくれないかい?旅先で絵を見つけた時とかに、色々と話したい」

「そう言われると、何だか気恥ずかしいですね…。私は、絵描きとしては、ビアンカと名乗っています。自分にとっても分かりやすいので」

「うむ…ビアンカ、ね。ビアンカビアンカ…よし、覚えたぞ。そんじゃあ、また出会ったときにも、その名前で呼んでいいかい?」

「ええ、もちろんです。その方が私にも分かりやすいですから」

「承知した」

 老人は、可能な限り小さく纏めた荷物を背負うと、軽く屈伸運動をした。

「よし。それじゃあ、またいつか、どこかで。次会う時は、互いに酒が飲めるといいな。ははは」

 そう言うと、彼は軽く手を振りながら、東に向けて歩き始めた。

「ええ、またどこかで」

 少女は、その背中を見送った。

 そして、彼女も荷物をまとめ終えると、同じように屈伸運動を行い、西に向けて一歩を踏み出す。その先に待つであろう何かに、胸を躍らせながら。

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