第6話 ある旅の途中に訪れた山間の街にて

 ある日。

 少女は、目的地に向かう途中、宿取りも兼ねて、緩やかな山の斜面に存在する石畳の美しい街を訪れていた。

 その街は、古くから酪農と畜産、果実酒の醸造で栄えたことで知られている。

 それが証拠に、街を少し離れると、山地とは思えないほどの豊かな牧草地帯に、牧場や果樹園が幾つも広がっていた。

 牧場には数多くの牛や羊が放たれており、時たま牧畜犬の声と共に、牛や羊達の鳴き声が聴こえてくる。そして、果樹園に目を向ければ、ずらりと並ぶ見事な葡萄棚を見ることが出来た。

「古き良き町とは、こういうものかな?」

 力強く歩きつつ、そのようなことを呟く。

 石畳等で、ある程度は整備されているとは言え、山間部に興った街ゆえに坂が多く、外側から通じている街道も少ないために、お世辞にも利便の良い場所とは言えなかった。

 しかしながら、その不便さのもたらす長閑さや、街の周囲に広がる風景が美しいと、避暑地として、或いは観光名所として、各国の貴族や旅人達に知られていた。

 少女は、愛用の画材を収めた鞄と共に石畳の上り坂を歩く。

 少女は画家であり、同時に冒険家でもある。自分にとって未知の物を、その感動と共に絵として記録することを、自分の使命だと勝手に設定して旅をしている。

 少女の画家としての名前はビアンカ。知名度はそこそこ。当然だが、この西洋の言葉で「白」を意味する単語は彼女の本名ではない。彼女自身が、画家としての自身を紹介する時に、通りの良い名前として設定したものだ。

 本名は一部の人間しか知らない。

 さて、そんな少女は、古風情緒溢れる煉瓦造りの軒並みや、程よい乳製品の匂いに想像力を膨らませつつも、今回は何をキャンバスに収めようかと、ひたすらに歩き回っていた。


 家々に出入りする人々。道でボール遊びに興じる子ども達。

 果樹園で農作業に精を出す豪快そうな男性。野菜類を入れた籠を頭に載せて歩く力強い女性。

 鉢植えの花に水をやる上品そうな老婦人。洗濯物のシーツや衣服を取り込むのに苦戦している老人。

 見回れば見回るほど、実に多くの人々が暮らし、生活していることが分かり、肌で感じる事が出来る様子が、視覚を通じて飛び込んでくる。

 街の住民以外にも、国によって選ばれた長距離郵便配達人らしき人物が、半透明の風の翼を生み出す精方術を纏い、小包と共に、街の屋根から屋根へと飛び回る様子も見えた。

 精方術自体は、ある程度までならば鍛錬次第で誰でも扱う事が出来るが、こう言う特定の術の習熟を要求される専門職は珍しい。

 そう言った生活の循環の中に、少女を含めた旅人達が違う彩りを加えていく様は、もうそれだけで一つの芸術作品として完成しているようにさえ見えた。

 最初は少女も、その様子を絵にするべきと考えていたのだが、何か引っかかりを覚えてしまい、結果、予定より一時間以上も時間をかけて街を歩き続けている。

「…うーん」

 さて、どうしたものかと、近くのワゴンで売られていた固めのワッフルと、泡立ちが特徴的なヨーグルト飲料アーリャンを購入し、公園のベンチに腰掛ける。そして、一口だけ両方ともに口に含んだ。

 ワッフルに掛けられたメープルシロップの滑らかな甘さと、アーリャンの程よい酸っぱさが口の中にゆっくりと広がり、味覚と嗅覚の両方から少女の思考を透明にしていく。

「……ふぅ」

 その上で、改めて周辺の景色に目を向けた。

 行き交う人々には、住民以外にも旅人がちらほらと混ざり、人手だけではない、声や音による賑やかさを残している。

 歩く時の靴の音。持っている鞄の革が擦れる音。荷車を押す音。扉が開閉する音。風にそよぐ木々の音。

 一度思考がリセットされたおかげか、悩みながら歩いていた先程よりも、より多くの情報が、五感を通じて少女の下に届いていた。

 少女は、今度は目の前を行く人々を目で追い始める。

 歩きながら見る景色と立ち止まって見る景色とでは、その見え方は、同じ道を反対側から辿った時のように少しだけ違って見え、それが新たな発見へと結びつく切っ掛けになることが、度々ある。

 事実、彼女にもまた違うものが見え始めていた。

(ふぅん。この公園は、ちょうど平坦な場所にあるのか…)

 今、彼女が居る場所は、公園ではあったが、何より、上り坂の途中に設けられた休憩場所でもあるために、ある程度の広さと平坦さが確保できる土地が選ばれている。見回せば、意識せずとも上りと下りの道と、その先の景色が見えた。

 しかも、公園全体が休憩場所として設定されている関係で、周辺には遮蔽物となる物がほとんど配置されていない。そのおかげか、坂の周辺以外の景色も一望出来るようになっていた。

「わぁ…」

 家々の屋根が、山の坂に沿って埋めるジグソーパズルのように、規則的な配置で広がっている。

 麓へと続く坂道にしても、その先に見える木々や、豊かな水を湛える澄み切った川にしても、その全てを含めて一つの存在として成立しているように、少女には感じられた。

 少し肌に涼しい風が、少女の頬を撫で、髪を揺らす。

「うーん…」

 少女は、視覚から得られた情報をもとに想像を膨らませながら、さらに目線を、今、坂道として登っている山の向かい側にある山へと上らせていく。

 地理的な要因があるのか、今いる側の山とは異なり、向かい側にそびえる山には岩地が剥き出しになっている部分が多く、緑との割合が半々程度となっている。

 標高が上がれば上がるほどに木が減り、別の緑に移り変わり、最後は、岩場共々薄白い何かへと取って代わられていく。

 まじまじと、その風景を眺めていた少女は、唐突にポンと手を打った。

「そうか、これだ…!」

 思わず、少女はそう口にし、何かを確信したような表情で、鞄を開けようと視線を腰元へと移した。

「……あ、そうだった」

 そして、両手ともに魅力的な味わいを持つ逸品に塞がれている事を思い出した。

 少女は、周りに人が居るにも関わらず思わず声を上げてしまったことに苦笑を浮かべると、雄大な風景とともに、ワッフルとアーリャンを楽しむのだった。

 それから一時間後。

 少女は、公園からさらに上った先にある展望台のベンチで、愛用の画材を取り出し、絵を描き始めていた。広げられた用紙には、既に鉛筆による線画が描き込まれている。

 近くには牧場があり、少し視線を横に向ければ、牧畜犬が牛を牛舎に誘導している様子が見える。

 聞こえる犬の声。大移動する牛の声。子ども達の笑い声。

 声が聞こえる度に、一筆ずつ、少女の手が進む。

 風が吹き抜けていく。どこかでパンを焼いているのか、小麦の焼ける良い香りが少女の筆を進ませた。

「ふぅむ…」

 そこで一度顔を上げ、再び街の景色に目を向ける。

 店の立ち並んでいた通りの煙突からは煙が上がり、見えるだけでも何人もの旅人や住民が通りを行き交っている事が分かる。そして少女の手により、線画に新たな彩りの起点として描き加えられていく。

 長距離郵便配達人たちも、煙突の煙を囲むように一度大きく周回してから、街の景色へと溶けていく。

「よし…こんな感じで良いかな?もう一枚は明日描けばいいか」

 少女は、ある程度線画を描き進めてから、手を止めた。

 用紙には、山際に広がる街と行き交う人々が一本の道へと集まる様子と、街から麓へと続く一本道。

 そして、道はその先に広がる豊かな川へと繋がり、まるで街と道と川とで、一本の大木になっているかのような表現を施された絵が、線画として描かれてあった。

「今日はこれで良いかな。んー…!なんか最初に悩んでたのが嘘みたいだ」

 九割がた線画を完成させた少女は、風で用紙が飛ばされないように重しを置き、立ち上がる。そして自身の背後にそびえる山へと体を向け、体全体を使って空気を吸い込み、体内に淀んでいた気持ち共々吐き出した。

 呼吸を繰り返すたびに、清々しい緑の匂いが身体中を駆け巡る感覚が、心を癒していく。

 そのまま展望台の手すりに体重を預け、再び街へと視線を戻す。

「やっぱり、こう言うのは良いなぁ。来た甲斐があるってもんだよ…」

 目の前の街のように、今日もまた自然の営みと人の営みとが、それぞれで、或いは交互に交わりあい、巡って行くのだと実感し、それを胸に抱きつつ、少女は微笑を浮かべながら目の前を流れてゆく時を、眺めるのだった。

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