第20話 ちゃんと捨てなきゃ

「不死原遥介。アンタ、無洞さんを依代よりしろにするつもりだろ」


 扇風機が唸り、再生を止められたノートパソコンが不満げに呻く。突如として降り立った静寂はひどく張り詰めていて、無洞は脈絡もなく叫びだしたくなった。


「どうしてそう思うのかな?」


「簡単なことだ。新しい玩具を買ったら、すぐ遊びたくなるだろ。それと同じ。しかも薄木さんの目がないところに連れ出せたんだ。性格の悪いアンタならやりかねない」


「買いかぶり過ぎだよ」


 ケラケラと笑ってみせる不死原だったが、それが龍士に伝播することはない。次第に男は腑抜けた笑みを収める。


「なるほどね。龍士君、長らくどっちつかずだったけど、キミは薄木さん側なのか」


「どちら側とか関係ない。何も知らねぇ奴が、何も知らねぇまま道具みたいに扱われるのを見過ごせないだけだ」


「お兄さんみたいに?」


 空気が張り詰める。不死原を睨む龍士がいっそう眉間のしわを深くしたが、それに不死原が応じる様子はない。ただ飄々と、目を細めている。


「……そもそも不死原さんが除外した『約束』――それを全くの無関係と考えるのは早い」


「へえ?」


「加藤さんが結界を張ったのは、夢叶ちゃんが体調を悪くしてからだ。それなら、体調不良となる原因も結界に閉じ込められていると考えるのが妥当じゃないのか」


「うんうん、なるほど?」


 不死原は口を挟むことなく先を促し続ける。それが不気味に見えてならなかった。無洞と同じ感覚を龍士も抱いたらしく、舌打ちと共に視線を逸らした。


「……確かにアンタの言う通り時系列を考えると、『約束』を結んだ怪異が夢叶ちゃんを迎えに来たとは考えにくい。だが“何か”――『ヒジリ』が結界を張る前に招かれ、後に悪霊に変化したとしたら」


「それだったら厄介なことになるだろうね。相手は夢叶ちゃんへの執着が強い、執着だけで生きているようなものだ」


「そこまで理解していてなお、『約束』が原因という可能性を除外するのか?」


 『約束』、つまり生前の『ヒジリ』と夢叶との間に設けられた「七歳になったら結婚しよう」という口約束である。今回の依頼は、それを不安視した老人によるものだった。


 老人の意見に対し、二人の意見は異なっていた。


 不死原遥介は“夢叶と『約束』を結んだ怪異”はそもそも存在しないとし、そこから『約束』は加藤家を巡る一連の怪奇現象に『約束』は関係ないと判断した。


 一方の龍士は、『約束』を拠り所とした現幽霊、つまり、約束を結んだ時点では生きていた『ヒジリ』という存在が、夢叶との『約束』を果たすためだけにこの世に留まっている、そう考えたようだ。


 不死原は大前提として『ヒジリ』が主犯ではないとし、龍士はその反対――『ヒジリ』が夢叶へ何らかの影響を及ぼしていることを視野に入れている。彼らの意見は真っ向から対立していた。


「相手は七歳だよ、それがそんなに執着するものかな」


「俺はしてた。俺が先に死んだら、絶対に連れて行くって決めてた。カマトトぶってるけど、どうせ不死原さんだって似たような願望、持ってたんじゃないッスか」


「覚えてないよ、七歳の時のことなんて」


 二人は首を捻る。彼らの記憶をもってしても「一般七歳児の思考回路」には至らない。標的が無洞へと向くのは、時間の問題であった。


「無洞さんはどうでした、七歳の時」


 無洞の七歳期といえば、山や田畑を走り回っていた頃だ。死してなお執着するようなものは持ち合わせていなかったし、そもそも「己の死」など考えたこともなかった。


「何も考えてない鼻垂れ小僧でしたよ」


「大事なものとかなかった?」


「……泥団子」


 母のストッキングを決死の思いで盗み出して磨いた、直径五センチメートルほどの泥団子。強いていうならば、それが無洞純七歳の宝物であった。


「共感はできないけど、七歳っぽいね」


「泥団子づくりにはまる七歳児って、子供すぎないですかね?」


「案外そんなものかもしれないよ」


 七歳児談義は混迷を極めた。見本となるような人物が身の周りにおらず、頼りになるのは己の記憶と、とても子供のものとは思えない仄暗い欲――これで結論が出るわけがなかった。


「で、何の話だっけ? 一連の怪奇現象に『約束』が関わっているか否かだっけ?」


「降霊術だ、大元はな」


 ちらりと、龍士の瞳が無洞を見遣る。


「アンタが降霊術で『ヒジリ』――『渡会聖わたらい ひじり』を呼び出して何をしようとしてんのかは知らねぇが、悪霊化しつつあるそれを無洞さんに降ろすのは容赦できねぇな」


「悪霊化しつつあるという推測は、夢叶ちゃんの体調不良に『約束』が、強いては『ヒジリ』君が関わっていることが前提なんでしょ。だったら僕は関係ない、無関係と考えているからね」


「だから――」


「第一、それだけ強い霊がこの結界の中いるなら、僕も龍士君もすぐに気付くだろう。生者の縁にがんじがらめにされた夢叶ちゃん、彼女を連れて行ける霊はいないよ。この家にも、この周辺にも」


 奮闘空しく、とうとう龍士は黙り込んでしまう。


 霊の有無もその強弱も、無洞には与り知らぬところではあるが、このままでは、これまで以上に危険なことに巻き込まれるだろう。無洞はそんな気がしてならなかった。


 一応「危険なこと」に反対しているらしい龍士に加勢したいところはあるが、無洞は決定打になりうる弾丸を持ち合わせていない。万が一不利益を被った際の、防衛の玉を仕込む。


「まだ死にたくないですからね、俺」


「え?」


「『え?』って」


 自殺願望を持っているとでも思われていたようだ。意外そうな顔をする不死原に、無洞は心の底から転職を考えた。


「降霊術だか何だか知りませんけど、不死原さん、何か確信を得たんでしょう。夢叶ちゃんの身代わり? 形代かたしろ? を作るみたいな話しをしてたくらいだし」


「まあね。とはいえ、それは保険みたいなものだから。降霊術とは別の話。無洞君が嫌って言うなら無理強いはしないけど、了承してくれると楽に――」


 その時であった。キシリと廊下の方から音が聞こえ、不死原の声が潜められる。足音は次第に近付き、昼でも薄暗い空間から、こっそりと顔が覗く。


「あ、あの、不死原さん。ぬいぐるみを持ってきました」


 加藤伊一、この家の主人にして依頼主である。彼の手にはつぎはぎだらけのクマのぬいぐるみが大事そうに抱かれている。


 間違いない、加藤夢叶の宝物であった。


「ああ、ありがとうございます」


「これは何に使うのでしょうか……?」


 愛孫が大切にしているぬいぐるみを所望する成人男性。それだけで不審そのものであろう。


 加藤伊一が大人しく従っているのは、不死原遥介の持てる人徳に他ならない。仮に無洞純や一葉龍士が同じことを頼もうものなら、こうはならなかった。


 それにしても、と無洞は思う。無洞もまた加藤には同感であった。不死原がクマのぬいぐるみを何に使うのか――全くもって想像つかなかった。


「解き明かすんですよ、この事件のタネを」


 そう言うなり、不死原は道具箱からハサミを取り出す。


 皮膚すら突き抜けそうなほど鋭い刃。それをシャキシャキと鳴らして、不死原は拳を握る龍士へと視線を遣る。


「可能性を考え、仮説を立てることは大事だ。とてもね。だけどそれに執着してばかりでは、何もできなくなってしまう。ちゃんと捨てなきゃ駄目だよ」


 つぎはぎだらけのぬいぐるみへ鋭い刃が差し込まれる。


 ぎょっと加藤が目を剥くのも束の間、クマは白色のはらわたを溢れさせるのだった。

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