第18話 『子供』と『少年』

 顔面蒼白。お手本のように顔色を失った無洞純は、ノートパソコンを食い入るように見つめていた。


 液晶が映し出すのは、昨晩夜通しで働いていた、ビデオカメラの記録。そのうちの一つ、加藤家の門付近から庭を監視する映像に、あるものが見切れていたのだ。


「だれ、ですか。この子供」


 それは子供だった。正確には子供サイズの白いモヤだった。暗闇の中にも関わらず、まるで光源を持っているかのようにぼんやりと、門の真下に立っている。


 子供、強いては人と認識できたように丸い頭部に胴、そこから四肢が伸びているが、それはどれだけ長い間観察しても動くことはなかった。


 門の一歩手前、道路側に佇んだまま、庭を眺めている。


「敷地には入って来ない――加藤さんの結界に阻まれているんだろうね。見たところ悪意はなさそうだけど」


「見ただけで分かるものなんですか? そういうのって」


「過信はできないけどね。それにしても『子供』、か……」


 不死原は神妙な面持ちを作る。思い当たることがあったようだ。


「どうかしました?」


「加藤老人が言っていたこと、覚えてるかな? 身の周りで怪奇現象が起こったって」


「ああ、一日目の聞き取りの時に話してましたね。ええと、確かポルターガイストとか幻聴が聞こえるとか、そんなこと言ってましたね。あとは――」


「インターフォンを鳴らす『少年』」


 あっと無洞は声を洩らす。


 インターフォンを鳴らして訪問してきた『少年』、それを見て依頼主は、怪異が夢叶を迎えに来たと判断したのだ。そして防御壁――結界を張り、怪異の侵入を防いだ。


 そのお蔭で、あるいはその所為で、『少年』は加藤家に接近することができずにいるのだ。


「それにしても、仮にこれが加藤老人の言っていた、夢叶ちゃんが約束を結んだ怪異だとしたら、ますます『約束』が原因とは思えないね」


 自分の愛孫が怪異と約束を結んでしまった、誕生日に迎えに来るそうだから助けてほしい――これが今回の依頼の内容であった。


 しかし不死原遥介も無洞純も、その話には調査開始当初から疑いを持っていた。


「『約束』を根拠に命を奪える怪異は多くないんだ。それにここに映っている霊は、形をはっきりと保てないほど弱々しい……連れて行く、言うなれば生者を殺せるだけの力量は持っていないだろうね」


「でも、加藤さんの言っていた『少年』とこの『子供』が同一人物とは限らないですよね?」


「そうだね。……ここのインターフォン、映像の記録ができるタイプだから確認できればよかったんだけど、夢叶ちゃんが体調を崩した一ヶ月前近辺の記録は残っていなかったんだよね。まあ、加藤さんが結界を張り始めたのもその頃だと聞いていたから、どちらにせよ望みは薄かっただろうけど」


 近年のインターフォンは、家の中にいても訪問者の顔が見られるよう、カメラつきのものが増えている。それと同時に、録画機能を兼ね備えたものも存在しているようだ。


 加藤家のインターフォン録画機能が生きていたら、特定も容易になったはずだが、今回は運が悪かった。そこで無洞は一つ提案をする。


「呼んでみたらどうです、加藤さん」


 意表を突かれたのか、不死原はきょとんと目を丸める。


「見てるんですよね、インターフォンを鳴らした『少年』。じゃないと『少年』なんて断定できませんしね」


「……言われてみれば、確かにそうだね」


 そもそもなぜ思いつかなかったのか。無洞は頼りなさを覚えつつ、加藤老人を召喚するのだった。


 結果としては、不死原の予想は遠からず近からずであった。


 曰く、彼が見たことのある少年は姿形がはっきりと――少なくとも、映像の『子供』よりはっきりとしており、目も口も、まとう服装も全て判別可能だったという。


 だから映像の『子供』と加藤老人の見た『少年』が同一人物であるかどうかは断定できない。ただし背丈が同じであるということから、イコールである可能性が高まった。今導き出せるのは、それだけである。


 それを聞いた不死原は長い指を首に当てて、考える素振りを見せた。


「霊力が弱まっているのかもしれないね。僕、幽霊は専門ではないけど、そういうこともあるって聞いたことがある」


「ええ、霊にはエネルギーを補填できるモノとそうでないモノがいると言われています。前者が悪霊や地縛霊などのこの世への未練が強い霊のことを、そして後者を浮遊霊――目的を持たず、彷徨さまようだけの霊を指すことが大半です」


 加藤老人は遠巻きに液晶を眺めながら、背筋を伸ばす。


「結界を張ってからというもの、幾度か干渉を受けました。結界を破るべく動いた結果、あの『少年』は必要以上に霊力を消耗したのかもしれません」


「そうですか。……が加藤さんの見たインターフォンを鳴らす『少年』と仮定してよさそうですね。できることなら幾つか実験してみたいところですが、時間がありません。害意を及ぼすような霊でもないでしょうし、ひとまず放っておきましょう」


「そんなっ、その霊がいなくならない限り、夢叶は連れて行かれてしまうのでは――」


「その可能性は低いと思いますよ」


 不死原は液晶から加藤老人へと向き直る。


「実体のない霊がインターフォンに干渉する。それだけの霊力を持ち合わせていたことは確かでしょう。しかし今や、カメラではその姿をはっきりと捉えることができないほど弱々しい存在になっています。このまま放っておいても、いずれ消滅するか、自我を失うでしょう」


 そうすれば、夢叶との婚姻を果たすという目的もになる。不死原はそう主張する。


 消滅する、あるいは自我がなくなれば、目的を遂行するという意志も同時に失せる。通常であれば。


「それに、僕はもう原因を見つけています。だから断言しますけど、夢叶ちゃんとその一家の体調不良ならびに怪奇現象は、『少年』の仕業ではありません。他に原因があるのです」


「原因が、他に?」


「ええ」


 自信に満ち溢れた頷きを返せば、加藤は腑に落ちない表情をしながらも受け入れたようだった。


「貴方がそう仰るのであれば。とすると、原因は……?」


「その前にですね、加藤さん。少し協力してほしいことがあるんですよ」


 まさかここで交渉を持ち掛けられるとは思わなかったのだろう。加藤老人はしわだらけの目を丸くした。


「夢叶ちゃんのクマと誰も入れない静かな場所。この二つを用意してください。クマのぬいぐるみは今すぐ。静かな場所は深夜までにお願いします」


  クマ――思わずそう呟けば、不死原はにこりと、お得意の人のよい笑みを浮かべる。


 クマのぬいぐるみ、それは持ち主たる夢叶が、寝る時ですら傍に置きたがるほど会い様している代物である。それを今すぐ用意せよだなんて、無茶振りが過ぎる。


 無洞は密かに加藤老人に同情した。

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