第16話 イケメン変態疑惑が浮上する

 謙吾が言うには、『ヒジリ』が事故に遭った当日、現場には夢叶を含め数人の子供がいたそうだ。


 子供たちは小学一年生にも関わらずクマのぬいぐるみを持ち歩く夢叶を揶揄からかい、そしてぬいぐるみを取り上げた。夢叶はそれを取り戻そうとするが、手が届くよりも前に放り投げられてしまったのだという。


 ぬいぐるみが落ちた場所は、車通りの少ない道路。それゆえに慢心していたのだろう。落下したぬいぐるみを追う『ヒジリ』は、運悪く車と鉢合わせた。


「その時、そのぬいぐるみも事故に遭ったんです。ぬいぐるみ相手に事故というのは少し変かもしれませんが……千切れたり潰れたり、それはもう、夢叶の前には出せないほどの有様だったとか」


「ぬいぐるみは謙吾さんが修復なさったのですか?」


「まさか。直したのはヒジリ君のお母さんです」


 無洞は思わず息を飲む。予想外の人物であった。息子が死ぬ原因となった――とも言えるぬいぐるみを、わざわざ修繕して持ち主に戻すだなんて。親とは、母親とは、そういうものなのだろうか。無洞には理解できなかった。


「なるほど、ヒジリ君のお母様が」


「ええ。……妻が言うには、ヒジリ君のお母さんは裁縫が得意だったそうです。ヒジリ君のバッグや服を自作していたとか何とか。ボロボロのぬいぐるみに我慢できなかったのかもしれません」


 なるほど、と呟いて、不死原はクマの腹を撫でる。その仕草が昨晩の夢を彷彿とさせて、無洞の胸がひどく騒めくのだった。


「このぬいぐるみ、少しだけお借りしても――」


「だ、だめ……」


 不死原が提案をしようとしたその時、ベッドの中からか細い声が聞こえた。加藤夢叶ゆめか――渦中にいる少女である。


 彼女は真っ赤な顔を不死原へ向け、震える手を伸ばす。


「クーちゃん、ゆめかのなの……あげちゃ、だめ……」


「……大切な子なんだね。ごめんね、勝手に抱っこして」


 事務所職員には決して見せない、吐き気がするほどに甘い笑みで、不死原はぬいぐるみを夢叶の布団へ差し入れる。


 夢叶はほっと熱のこもる息を吐くと、再度目を閉じた。


「本当に大切なんだねぇ。本当に微笑まし――無洞君、何か言いたそうだね?」


「その子の恋愛事情に影響が出たらどうするつもりなんだろうとか、イケメンうぜぇとか思ってませんよ」


「歯に衣着せぬ物言いって、こういうことなんだろうね。……すみません、謙吾さん。お騒がせして」


 そう言われて、全くだと頷ける人は少ないだろう。謙吾は「はあ」と曖昧に応じた。よく見るとその表情は早くも一日分の活力を使い切ったかのようで、今にも倒れてしまいそうな面持ちだった。


 そろそろ撤退しなければならないだろう。無洞は不死原へ声を掛ける。


「不死原さん、そろそろ戻りましょ。あまり無理をさせては駄目ですよ」


「うーん……。あの~、謙吾さん?」


 珍しく下手に出る不死原は、ポケットから紙切れを取り出す。丸と、その下に付随する逆三角形――時として人間の代わりを果たす道具、形代かたしろであった。


 それを目にした謙吾はあからさまに表情を引きつらせる。


「これを、この部屋に置いていただけ――」


「嫌です」


 それは清々しいほどの拒絶だった。ここまではっきりと、凛然と断られるなど、人生において何度経験できるだろうか。


 自分は貴重な瞬間に立ち会っているのではないか。思わずそう錯覚してしまいそうになる無洞であった。


 しかし父たる加藤伊一の疑念からこうなることは予想していたようで、不死原は大したショックを受けることなく、むしろ断った方が罪悪感を覚える笑みで言葉を返した。


「そうですよね。出すぎた真似をしました」


「あ、ああ……すみません、父のこととか娘のこととか、いろいろありすぎて……。神経質になってるのは分かってるんですけど」


「仕方ないですよ、謙吾さんの気持ちも分かります。もし気が休まらないようでしたら、アロマを焚いてみるのはいかがでしょう」


「アロマ、ですか?」


 謙吾は目を瞬かせる。不死原は人の好い笑みと共に頷くと、


「心地よい香りに包まれるだけでもリラックスできると思いますよ。僕は蚊取り線香のにおいが好きでしてね、よく焚くんです」


 蚊取り線香をアロマと数えてよいのだろうか。


 アロマもとい芳香剤。それを用いた対心霊の立ち回りは、薄木夕真が得意とする手法だ。臭いとは心霊や怪異が持つ個性の一部である。それを打ち消すために用いられるのが芳香剤なのだそう。


 薄木に言わせれば、心霊や怪異は個性の塊である。自らの血肉である個性を消せば、彼らは嫌がり、その場から逃げ出す。動物が自分の慣れ親しんだ臭いがない場所では落ち着けないように。


 アロマを焚く、そうすることで安寧を得る。いくらオカルトを忌避する謙吾でも、このくらいならば許容範囲と判断したのだろう、「そうですね」と色よい返事をした。


 これで多少、事態が改善してくれればよいのだが。


「では、我々はこの辺りで失礼します。何かありましたらいつでもお呼びください」


「はい。……こんな家ですが、ゆっくりしていってください」


 社交辞令を交わし、不死原はそそくさと退出する。無洞もそれを追おうとしたが、視界の端で夢叶が手を振っているのが見えた。意外と好意的だ――そう思って手を振り返してみれば、彼女はぷくりと丸い頬を膨らませて壁の方を向いてしまった。


 無洞純はお呼びでなかったらしい。最後の最後でイケメンへの憎悪と女児の将来への心配を積もらせた無洞であるが、一足先に廊下へ出た不死原が、何やら思案顔でこちらを見ていることに気付く。


 どうしたのかと問うてみれば、


「幼い子と仲良くなれるのは才能だと思うよ」


「はあ?」


 全くもって見当違いな感想と共に、彼は困り顔を作った。


「人の本質を見抜くからね。勘が鋭いというべきか……」


「いやあの子、完全に面食いでしたよ」


 本質ではなく外面を見ていたし、何なら不死原よりも性格がよい(自称)無洞のことなど、眼中にないどころか敵意を剥き出しにしていた。これを仲が良いと評価するならば、不死原の好感度測定器は大幅に狂っているということになる。


 イケメンの測定器が狂っていたところで無洞には全く関係がないのだが、苦労しそうだ。無洞は人生で初めてイケメンに同情した。


 すると無洞の内心を知ってか知らずか、不死原は「ところで」と涼しげな目元を和ませる。


「何か包めるもの、持ってる?」


「ハンカチでいいなら……」


「貸して」


 渋々とポケットから牛柄のハンカチを取り出す。不死原はそれを受け取るなり、その中央へ何かを置いた。微かに見えるのは一本の線。髪の毛であった。


「体毛、爪、皮膚片……この処理には気を付けないと駄目だよねぇ。ね、無洞君?」


「うっわ」


 心の底からの呻きであった。


「イケメンってだけで関わりたくないのに、そこにストーカー属性が付与されたら、マジでBAN対象ですよ。見損ないました、ブロックします」


「えっと、こういう時は何て返すんだっけ? FF外から失礼します?」


「凸してくんな」


 わざわざ壁を作っているのに、それをぶち破られてはかなわない。腕をクロスさせ、バリアのポーズを取れば、不死原は困ったように――扱いに戸惑うかのように口角を緩めた。


「で、さっきのは一体何なんですか? まさか自分の趣味嗜好を満たすためにやったわけじゃないですよね?」


「違う違う」


 不死原は必死に手を振る。


「無洞君は『丑の刻参り』って知ってる? 『ひとりかくれんぼ』でもいいんだけど」

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