第14話 一日目、情報の整理

「言われた通り話を訊いてきたが、案の定体調不良――」


「え、なんだって?」


「だから――」


「もうちょっと大きな声で」


「ドライヤーやめろ! 聞こえねぇだろ!」


「龍士君が乾かせって言ったのに」


 一葉龍士の怒声に、不死原遥介は唇を突き出す。ひどく子供じみた仕草であった。


 薄茶の髪をなびかせていたドライヤーは、スンと音を止めた。


「で、なんだって?」


「……夢叶ちゃんの父親に話しを聞いてきたが、どうやら普通の体調不良と考えているみたいだ。どうして娘を入院させられないのかって、すごく怒ってた。結界やら形代かたしろについては聞かされてないらしいな」


「ここは世襲じゃないのか。ふむ、理由を知らないのなら反発するのも道理だね。胡散臭いし」


 依頼主である加藤伊一老人は孫夢叶の体調不良の折、身代わりとなる道具――形代を用意していた。しかしそれは、翌日には消えていたのだという。


 この消失に対して加藤老人は何も心当たりがないというわけではないようで、形代の消失に至る原因を自分の息子、つまり夢叶の父親に当たる人物にあるのではないかと疑っていた。


 形代の存在、そしてその意義を夢叶父が知らないのであれば、加藤老人の思考回路にも納得がいく。


 無洞も、何も知らぬまま男子トイレのマークの如き紙切れを渡されたら、罪悪感一つなく、それどころか気味悪がってゴミ箱へ投げ捨てる自信がある。後生大事に持ち続ける人など少数派であろう。


「夢叶ちゃんには会えた?」


「いや、父親だけ。ガードが固くてな。明日うちの調査員が伺うって言っておいたから、配慮はしてくれる……と思いたい」


 愛娘が体調を崩している。しかもその原因は不明。そういうこともあって、神経質になっているのだろう。


 子供が危機に瀕した時、親は理性の下に隠す牙を剥く。己の身を顧みず、修羅となるものだ。そう、よく言われる。


「で、そっちの収穫は?」


「依頼主や奥さんから話を聞いたのと、それからカメラ設置しただけ。カメラについては一晩放置してみて、何か写ったらそれによって手を変えるよ」


「カメラねぇ……役に立つんだか」


 龍士は懐疑的のようだった。


 無洞とてカメラを用いた調査に疑問を抱かないわけではない。


 確かに先日の廃ログハウス、もとい心霊スポット調査において真価を発揮したが、今回は普通の、どこにでもある民家が調査の対象である。幽霊がいるかどうかも分からない場所を撮影するのは、ただ悪戯にバッテリーを消費するだけではないか。


 無洞は龍士と一緒になって首を傾げるが、不死原はただ一言、


「写っても写らなくても儲けものって言ったでしょ」


 と一蹴するに留めた。


「で、奥さん――依頼主のお嫁さん、夢叶ちゃんのおばあちゃんの話だけど、概ね依頼主と同じ内容だったね。ただ、こちらも夢叶ちゃんの父親と同じように形代については懐疑的らしくて、とにかく病院に連れて行くべきじゃないかって心配してたね」


「言えばいいのに」


「見てたでしょ、食事の時」


 不死原が言わんとしているのは、つい先刻開かれた、加藤家と調査員による合同食事会であろう。加藤家からの出席は二人、一方久狛井探偵事務所からは三人と、かなりの少人数による食事会であったが、『加藤家』の内情を知るには十分であった。


 最初こそ加藤老人は上機嫌に食事を摂り、当初の通り礼節を重んじる対応をし、キンキンに冷えたビールを胃に流し込んでいたが、次第に酔いが回ってくると、口調や仕草が荒くなる様子が見て取れた。そしてついには、飲酒を止めようとする妻に手を上げたのである。


 酒を止めさせようとする妻と、それを力づくで退ける夫。不死原と無洞が止めに入るまで、その構図は続いた。


 加藤伊一氏は、どうやら酒気を帯びると手がつけられない人物のようだった。それを見ているからこそ、一つ皮の向こうにある凶暴を見ているからこそ、妻たる「奥さん」や息子――夢叶の父親もまた、平生においても強く出ることができないのかもしれない。


「杯を受けた僕も悪かったけどね……羽目を外しすぎたんだろう。とはいえ、この家において術の知識を持つのは加藤伊一氏ただ一人。それ以外は理解がないどころか否定的な姿勢を見せている。そんな中で形代を設置しようだなんて、なかなかリスキーだね」


「何も知らない人から見たら、あんなのゴミにしか見えねぇもんな」


「うん、そうだね。この状況なら捨てられてしまうのも仕方ないだろう。僕たちが来たことさえ、あまりよく思われていないかもね」


 加藤婦人は無洞たちを邪見にする様子は見せなかったものの、内心では毒づいていたのだろうか。それはそれで寂しい気がする。だが、と無洞は口を挟んだ。


「だけど、『捨てられた』って推測ですよね? まだその現場を見ていないわけですし、早計なのでは。ひょっとしたら本当に幽霊が持ち去るとか、燃えるとかしたんじゃ……」


「うん、その可能性も無視はできないね。ただ、人為的に消失させられた線が濃厚、というのが今の見解かな」


 そうなれば、容疑者は自ずと割り出せる。


「とりあえず明日、僕が夢叶ちゃんとその父親のところに行ってくるよ。龍士君は失敗したようだけど、大人相手なら多少の配慮はしてくれるだろう」


「はー、めんどくさ。こんなことなら、最初から不死原さんが行けばよかったのに」


「まあ人生経験だと思って。高校生のうちから交渉を体験できる人、そんなにいないと思うよ? 将来有望だね」


「……五家に生まれた時点で『将来』なんてねぇっつーの」


 龍士は忌々しげに舌を打つ。しかしその表情には、どことなく悲壮が滲んでいた。


 五家。一葉ひとはに始まりゆいはし葛茂くずしげ、鬼塚、そして不死原。拝み屋の家系であるという五つの家。


 無洞は全く、おそらくは血の一滴すらそれに関与していないが、いつまでも『家』のしがらみに捕らわれる心持とは、はたしてどのようなものなのだろうか。


「まあ、そんなことはどうでもいいとして。明日も別行動をすることになりそうだけど、龍士君には、折角だから事故について調べてもらおうかな。得意でしょ、調べもの」


「嫌いじゃないけどさ……。明日も地味に暑いんだろ? そんな中、徒歩で図書館まで行くの、絶対嫌だかんな」


「それに関しては甘えておきなさい。送迎くらい大人が責任を持つよ」


「ああ。……いや、もう少し責任持てよ」


 軽口を叩き、揶揄し合いながらも、二人の仲は然程悪くないようだった。


 最初こそ冷戦状態かと危惧していたが、きちんと会話はできている。仕事だからと割り切っているのだろう。まだ高校生である龍士が私情の分別を付けられることにも驚きだが、むしろこの場合、大人たる不死原遥介がちょっかいを出すことが問題であろう。


 パワハラかモラハラか、事案の臭いを嗅ぎつけつつ、無洞は板挟みにならないことだけを願うのだった。


「ところで、無洞君はどっちについて来る?」


 早くもピンチである。



   ■    ■



 扇風機が唸る。川の字に敷かれた布団の端で、無洞純は目を覚ました。


 壁掛けの時計に目をやれば、短針は二のローマ数字を示している。こんな時間に目覚めるのも珍しいな――霧がかったような脳を動かしながら、無洞は身体を起こした。


 虫の音も息の音も何も聞こえない、静まり返った夜の加藤家。家自体が古いということもあってか、背が軋むような不気味さを覚える。


「…………」


 無洞の足は動き始めた。布団を抜け出し、廊下をくぐる。廊下を進む足に迷いはなかった。意思と反して――いや、意思と呼べる働きすらなく進み続ける。


 音はない。静かだった。鼓動すら聞こえない。身体中のありとあらゆる「生」を布団の中に置いてきてしまったかのようである。


 夢見心地の中、未だ明かりの灯る居間を横目に、階段へ足を掛けた。


 ――夢叶ちゃんの部屋は二階端。ベランダはないけど日当たりがいいお部屋。前遊びに行ったから知ってる。


 扉を通り抜けると、そこには小さな部屋が広がっていた。


 教科書やノート、赤いランドセルを乗せた勉強机。その傍には平仮名ばかりの背表紙が目立つ本棚がある。ぬいぐるみや玩具を入れたカラーボックスの姿も確認できる。どれも長らく手を付けられていないのか、薄い埃を被っていた。


 ぐるりと辺りを見回す。


 埃を被っているくらいだ、随分と長い間、この部屋には誰一人として踏み込んでいないかに思えたが、隅に置かれたベッド――薄桃色の掛け布団を被るベッドに人が横たわっていた。


「夢叶ちゃん……」


 加藤夢叶。体調不良で寝込んでいるという少女だ。


 浅くも規則正しい寝息を立てる横顔を見ながら、無洞の心はひどく温かい安堵に包まれるのだった。しかし――。


「う、うう……」


 突然、夢叶が呻き始める。


 彼女の真上、そこから何かが垂れていた。手だ。骨ばった大きな手。それが天井から伸び、夢叶の顔を撫でまわす。


 よく見ると、その手は傷だらけだった。何かを引っ掻いたのか爪は無残に割れ、指の腹や手の甲、ありとあらゆる箇所に傷が見て取れる。


 指先は頬を、顎を通り過ぎ、やがて汗の浮かぶ首を絡め取った。無洞にはそれを眺めることしかできなかった。

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