第13話 見鬼の才と霊感
動きがあるまでどうにもできない。その言葉通りに、カメラの設置以降は退屈だった。
加藤家が用意した豪勢な晩飯に舌鼓を打ち、現在は午後六時頃――入浴の待機中である。
いくら仕事がないからといって、
経験がないなら、なおさら経験を積ませるべきでは。ぽつりとそのような疑問が浮かび上がったが、今回は時間制限が設けられている。
期限は明後日、九月二十三日。調査三日目だ。ただし、これは依頼主より提示された制限に過ぎず、先輩不死原遥介は懐疑的な視線を見せていた。
曰く、不確定なのだそう。人と人ならざる者との間に設けた、婚約の『約束』。それが直接害を成すことはない、つまり期限はほぼ無効である、というのが不死原の意見である。
しかし現実に、夢叶は体調を崩していた。医者曰く、その原因は不明。さらに不死原に言わせてみれば、この原因不明の体調不良は霊障――霊によって引き起こされる障害なのだそうだ。
「霊障は、霊がいなくなれば解決するのがセオリーだけど、現実でもそうなるのかな」
これまで無洞が扱ってきた書類作成の中にも、霊障と思しき謎の体調不良に悩む人物が存在していた。
先輩の手によって原因となっていた怪異を対処した結果、依頼主の体調は次第に回復へと向かい、今ではすっかり元気を取り戻したそうだ。
「今回もそうだったらいいけど……これでマジもんの病気だったら笑えないよなぁ」
それが最も危惧すべき点だった。
病は気から、そう言われるものの、意気消沈の末に引き起こされる病は、大抵医師の指導により解決策を得られるものだ。肉体的な不調にしろ、精神的な不安定にしろ、科学的な手法によって軽減することができる。
逆にプロの手に掛からなかったがゆえに悪化する可能性も無視できない。
無洞にも、たかが風邪と放置していたら、肺炎にまで発展した経験がある。そのような危険性もあるため、セカンドオピニオンなどの工夫が必要な場面であろう。しかし夢叶の周辺には、その発想に至る人間が不足しているように見えた。
「…………」
画面をスクロールする。無洞のノートパソコンが映すのは周辺地図。その中に赤いポインターが点在している。病院の位置を示すマークであった。
加藤家の周辺における医療機関は決して少なくない。小児科を扱う病院に的を絞っても、車で三十分県内には、片手を埋めるほどの数が存在する。
自分だけでも進言した方がよいのだろうか。どのような病院にかかったのかは定かではないが、もう一件、異なる病院に連れて行ってほしい。もう一度診察してもらってほしい。悪化した病の辛さを知っているからこそ、無洞にとって気掛かりであった。
思わず溜息を洩らす。すると声が降ってきた。
「どーしたの」
顔を上げた先にいたのは少年だった。
チョコモナカジャンボ派の
お疲れ様です。そう返して動向を窺っていると、龍士は部屋に備えられた小さな冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出す。それを旨そうに仰ぐと、俺の手元に目を向けた。
「何してんの?」
「ああ、えっと……病院を……」
「病院?」
一葉は首を傾げる。
「どこか悪いんスか?」
「いえ、そういうわけじゃなくて。……夢叶ちゃん、セカンドオピニオンを受けた方がいいんじゃないかと思いまして。近くの病院を調べてたんです」
「……ふうん?」
その声色は、どことなく釈然としない様子だった。
「そこまで世話してやる必要はないと思うけどな。ま、いいや。……そういや、こうして話すの、初めてっスよね。改めて龍士です。一葉龍士。苗字、あんま好きじゃないから、名前で呼んで。よろしく」
「無洞純です。霊感ないので記録くらいしかできないですけど、給料分の働きはするつもりです」
無洞は霊を
そんな役立たず、邪見にされても文句は言わないつもりだったが、目前の少年――一葉改め龍士は、嫌な顔一つしなかった。
「あー、零感なんだっけ」
「はい。この前の調査――薄木さんと行った調査で、彼女に言われて初めてオバケの姿を視たくらいに」
他調査員と同じく霊を視認できれば、きっと自衛に役に立つだろう。身を守るためには害意を持つ相手を見ることが必要だ。そうでなければ、攻撃を避けることも身を隠すこともできない。
これから心霊スポットや現場に連れ回されるならば、持っていて損はない能力だ。尤も、これまで経験しなかった恐怖を知ることにもなるだろうが。
「やっぱ不便ですよね、霊感ないと」
「んー、
「マジですか」
無洞が目を丸めると、一葉はこくりと頷いて口角を引き上げる。その顔は、不死原と対峙している時には見られない、子供然としたものだった。
「薄木さんと仕事したって言ってたよね? あの人、霊も怪異も見えるけど、霊感――霊に干渉するって意味の霊感ならないぜ」
「霊感が、ない?」
無洞は開いた口が閉じなかった。薄木は廃屋で、確かに霊を祓ってみせた。きちんと霊も――最初は被害者と思しき少女は視認できなかったようだが――きちんと視えていた。それなのに霊感がないとはどういうことなのか。
いつまでも間抜け面を晒す無洞を見かねてか、龍士は丁寧に説明をしてくれる。
「見鬼の才と霊感の違いだよ」
曰く、見鬼の才とは人ならざる者、つまり幽霊や怪異を視る能力もとい才能のこと。対する霊感は、霊と接する力と称される。
龍士が言いたかったのは、薄木夕真は霊を視る、つまり見鬼の才は持っているが、霊と接するという意味合いの霊感は持ち合わせていない、ということのようだ。
「霊と接する……とは?」
「除霊でも浄霊でも、とにかく干渉できる力のこと。『破ァ!』みたいなやつだね。たとえば、無洞は俺が見える」
「うん」
「声も聞こえる」
「うん」
「ここまでは見鬼の才に分類されるのは分かるな?」
「……ですね?」
「でも、自分の身体が動かず声も出せなかったら、俺に意思を示すことができないだろ? バニラモナカジャンボばかり貢がれても、モヤモヤしたままでしかいられない訳だ」
非常に申し上げにくいが、無洞はバニラモナカジャンボ派である。喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、無洞は先を促す。
「『チョコモナカジャンボが欲しい!』と主張したり、『バニラは嫌!』と退けたり――これが霊感、とすることが多いね。まあ、見鬼の才と霊感は伴っていることが多いから、両方ひっくるめて『霊感』と呼ぶこともあるけど。……こんな感じの理解でいいんじゃないかな」
なるほど、と無洞は手を叩く。だがすぐに思い直して、
「でも、薄木さん、ちゃんと除霊? 浄霊? してましたよ。芳香剤とか紙切れ……
「あれは持参した『物』が特殊なんだよ。あの人の力じゃない」
きっぱりと龍士は言い切る。『物』――つまり芳香剤と形代だ。ログハウスと無洞に撒き散らした約二リットルのミントエキスと人型を模した紙切れが、それに当たる。
薄木夕真曰く、霊や怪異は個性によって形作られているようなもの。つまりその個性を殺してしまえば、対象は『形』を――霊や怪異としての存在を保てなくなる。
それを嫌う相手を退かすために、彼女は自家製芳香剤を用いたのである。除霊には至らないようだ。
「『物』が特別、ですか」
「うん。だからそれがあれば、例え霊感がなくても、なんやかんやできるんだとさ。神社でもお札とかお守りとか、普通に売ってるだろ? それと似たようなモンだよ」
へえ、と無洞が相槌を打っていると、キシリと床の軋む音が聞こえた。
幽霊は怪談をしていると寄って来ると聞く。オカルトじみた話をしていたから、幽霊か怪異が誘われて来たのではないかと錯覚してしまう。
思わず身構える無洞であったが、仄暗い廊下から現れたのは一人の青年だった。
「お風呂、上がったよ」
不死原遥介である。
彼の様子は、さながら色気のアロマを焚いているようだった。髪は濡れ、頬も上気している。
舌がタップダンスを繰り出しそうになるが、あれは薄木夕真から腹パンを食らう程度のイケメンである。そう謎理論をこじつけて、懸命に憤る心を押さえ付ける。
そんな無洞を余所に、不死原は平然とい草の上を滑った。
「お風呂、結構よかったよ。あれでもうちょっと浴槽が広かったら完璧だったなぁ」
「人様ン家に文句つけんなよ」
「はは。まあ、こっちに害を成すような奴はいなかったから、安心して汗を流しておいで。ところで龍士君、首尾はいかがかな?」
どことなく含みのある物言いに戦慄する一方、無洞は何とも頼もしい少年の一言に心を洗われたような気持ちになるのだった。
「ンなこと訊く前に髪乾かせよ。頭皮腐るぞ」
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