第12話 不死原と一葉

「そういえば、質問しても?」


「なんだい?」


「不死原さんって特別なんですか?」


 返ってきたのは沈黙だった。無洞が投げ掛けた質問の意図を計り兼ねたのか、不死原にしては珍しく戸惑いの表情を浮かべている。


「ええと……と、特別?」


「『不死原の名において』とか、すごく思わせぶりな台詞を吐いてたじゃないですか。その道の人なら誰もが知る名家とか、そういうのです」


 五家とか言われてましたよね、と顔を上げると、不死原の片目を隠す髪がゆらゆらと揺れていた。彼の奥では扇風機が頭を振っている。


「名家と言えば名家なのかな……。五家というのは、霊を祓ったり怪異を退けたりする専門の家系のことなんだ。簡単に言えば拝み屋一家かな。その代表的なものが五つ存在するから『五家』。ね、安直なネーミングでしょう?」


「全くですね。……その五家の一つが不死原、ということですか」


「そう。察しが早くて助かるよ」


 歯ブラシやパジャマ、替えの下着をカバンから出し、不死原は肩を揺らす。察しが遅くて助からなかった、その例があるかのように。


一葉ひとはに始まりゆいばし葛茂くずしげ鬼塚おにづか、そして不死原。これが五家に数えられる。それぞれ得意分野も違ってね、持ちつ持たれつ、古来より連携して拝み屋さんをしていた訳だ」


「ん、待ってください。一葉?」


 一葉と聞いて思い出すのは、無洞たちに同行した少年である。名を一葉龍士。


 確か今は、パンツを忘れたとか何とかで近所のコンビニへ出掛けているはずだ。もうそろそろ帰って来てもよい頃合いだが――ちらりと壁掛け時計を見上げたその時、砂利を踏む音が聞こえて来た。


 無洞たちの部屋として与えられた客間奥、そこに設けられた縁側に、「よいしょ」の掛け声と共に背中が現れる。


 うなじで一本に結われた髪が板間を擦り、乱雑に靴が脱ぎ捨てられる。少年は振り返り際に白いビニール袋を振って口角を持ち上げた。


「ジャンボ、買って来たぜ」


 彼こそがくだん一葉龍士ひとはりゅうじ。高校一年生の十六歳。久狛井探偵事務所にアルバイトとして雇われているそうだ。


 高校生といえどその輪郭は丸く、まだまだ幼い様相を残している。ちらりと覗く八重歯が快活さを際立たせていた。


「おかえり。目当ての物は買えた?」


「あー、はい。まあ、何とか」


 素っ気なく頷いて、一葉はビニール袋へ手を突っ込む。目当ての物であった下着とチョコモナカジャンボを引き摺り出すと、未だに中身を残す袋を不死原に向けて投げつけた。


 難なくそれを受け止めた男は、変わらぬ笑みを湛えたまま袋を漁る。


「チョコモナカジャンボかぁ。僕、バニラ派なんだよね」


「あ?」


「ん?」


 キノコ・タケノコ戦争ならぬバニラ・チョコ戦争勃発である。かく言う無洞もバニラモナカジャンボ派である。不死原から見慣れたパッケージを受け取りながら、こっそりとバニラに思いを馳せる。


 だがすぐに思い直して、起動修正を試みる。


「二人共、戦争する暇があったら仕事しましょうよ。今日含めてあと三日しかないんですよ」


「無洞君は真面目だねぇ。確かに、こういうのは早ければ早い方がいい。――ところで龍士君、妙な気配はなかったかな?」


 空気が変わる。包装の上からモナカを折る不死原に対し、一葉は一枚板のまま食らい付く。


「この辺り一帯、淀んだ空気してる。穢れって言うのかな」


「中心地は分かった?」


「強いて言うならこの家かな~。この家を中心に満遍なくというか。あ、一応言っとくけど、穢れはんで、よろしく」


「頼るつもりは毛頭ないよ。しかし、まあ……僕が来て正解だったかもね」


 不死原たちはまず情報の共有を行った。依頼人から聞いた、これまでのあらまし。そして一葉龍士が見てきた周りの状況。


 両者が提示する情報がどのように結びつくのか、無洞はいまいちピンと来なかった。


「えーっと、やるべきことを簡潔にお願いします」


「……この前の廃小屋解体の時も思ってたけどさ、胆座ってるよね、無洞君」


「ありがとうございます」


「情報を集めるのが先決だろうね。だけど三人で敷地内外全てをカバーするのは無理だから、カメラを導入しよう」


「カメラですか」


 先日薄木と行った廃小屋探索および解体を映したビデオカメラには、無洞が目にした覚えのないものが多々写り込んでいた。足なり目なり顔なり影なり。あるいははっきりとした『人間』だったり。


 写真は実をすと書いて『写真』とはよく言われるが、ビデオカメラにもそれと同じ性質が備えられているのだろう。霊感ゼロの無洞にとって、ビデオカメラが唯一、怪異を捉えるツールになる。


「記録用のカメラ、一台しか持って来てないんですが……」


「大丈夫、ちゃんと車に積んで来た。後で取りに行くよ」


 用意周到とはまさにこのことである。


「で、設置場所だけど、ひとまずは家の外を見張るので十分だろう。加藤家のご老人はそこそこの術師のようだから、そう簡単に結界は破られないんじゃないかな。外部から室内への侵入はまずないと考えていいと思う」


「そーっすね。子供の約束程度で破られるものじゃなさそう」


「龍士君のお墨付きなら安心だね」


「うっわ、嫌味~。アラフォーがピチピチ男子高校生DKいじめてくる~」


「ははは、これを嫌味と取るってことは自覚あるんだね」


「うっざ。……落ちこぼれのくせに」


「そっくりそのままお返しするよ」


 にこやかだが両者の間は冷え切っていた。ひょっとしなくても、この二人仲が悪いのでは。


 思い返してみれば、一葉が事務所を訪れても、二人は言葉はおろか挨拶すら交わすことはなかった。明らかに人選ミスである。


「ええと、あのぉ……カメラ取って来ます……」


 緩慢とした動きで手を挙げると、途端に剣呑とした気配は掻き消える。器用なものだ、と無洞は半眼になった。


「ああ、ありがとう。じゃあ僕は撮影の許可でも取って来ようかな。龍士君は――」


「夢叶ちゃんだっけ。会ってきますよ。そっちもカバーしておかないとでしょ?」


「そうだね。ああ、そうだ。ついでに最近何か拾ったりプレゼントされたりしていないか、確認 もしておいて」


「りょーかい」


 もさもさとモナカを食べきると、一葉はすぐさま立ち上がった。


 彼は高校一年生、年齢にして十六か十七である。久狛井探偵事務所より派遣された三人の中で、渦中の少女と最も年齢が近い。異性であることと少年のコミュニケーション能力が未知数であるということを除けば、危惧すべき点はないと言ってよいだろう。


 用事があるからといって今回の調査には不参加の某足長お姉さんがいれば、簡単に話が済んだように思える。ここでも人選ミスが伺える。


「さて。じゃあ僕たちはカメラの設置に向かおうか」



   ■    ■



 予定していた通り、カメラの設置は家の中ではなく外――庭を中心に行う。まず玄関に一台、縁側に二台、家の裏手にある蔵の前に一台。計四台のカメラに加えて、それらが掌握しきれない場所から厳選して二台を設置する。


 こうした機械を伴う科学的な調査はあまり行ってこなかったらしく、機材の量は決して十分とは言えなかった。


 今回無洞たちが持ってきたのは、合計六台のハンディカメラ。それだけでは全敷地内を網羅することはできず、死角が多く発生してしまう。


 カメラの追加購入を後で所長に相談しようと意気込む不死原を見て、無洞は軽い違和感を覚えた。


 なぜ今頃になって機材の不足が発覚するのか。


 久狛井探偵事務所は、明らかに無洞が入所するより前から存在していた。加えて活動も長年行って来た筈である。彼等の奮闘記録は、壁一面のスチール本棚を埋め尽くすほどの量に相当していたから、それは間違いない。


 回数をこなしていないにしろ、カメラなどの機械を用いる回もあっただろう。それなのに、なぜこれまで補充が行われてこなかったのか。


「……勧誘された頃から思ってたけど、やっぱり胡散臭い」


「無洞くーん、そっちの調整は終わったかーい」


 間延びした不死原の声が聞こえる。無洞は三脚に据えたビデオカメラを覗いて、録画を開始する。


「九月二十一日十五時、加藤家『約束』」


 記録整理の手掛かりとなる声だけを吹き込んで、無洞はカメラから離れる。


 門を左手に、前方に庭全体を映すカメラは、「侵入者」を捉える重要な役割を持つ。たとえ何も写らなくても、それはそれで儲けものだ――とは不死原談である。


「さて。それじゃあ今日できるのはこのくらいかな」


「もう終わりですか? ミント振り撒いたりしないんですか?」


「薄木さんじゃないんだから。それに、向こうが動かないと、こっちはどうにもできないしね。気長に待とう」


 そう言うと、不死原はさっさと家の中へ入ってしまった。


 九月下旬とはいえ、まだ夏の気配が残る頃である。太陽の下、長時間活動するには体力が足りない。オフィス勤めの彼にとってはつらいだろう。同じ境遇である無洞もまた限界だった。


 早く部屋へ帰って扇風機に当たろう。そう踵を返したその時、視界の端に何かが映った。いや、掠めたとするべきだろうか。人影が、小さな人影が、そう遠くない位置に立っているような気がした。


 はっと、改めてその方向を見やるも、広がるのは田園のみ。今にも壊れそうなエンジン音を鳴らして、白い軽トラが横切った。


「…………」


 無洞に霊感はない。ビデオに映された怪異以外、目にしたことがない。先日薄木と共に尋ねたログハウスにおける執念の塊が、人生において最初の、自覚ありきの遭遇であった。


 加藤家の敷地への入口となる門周辺には、背の低い植木が並んでいる。先程見た『人影』は、おそらく、これを見間違えたのだろう。そう決着をつけて、無洞は縁側へと急いだ。

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