第11話 疑惑の依頼

「ようこそおいでくださいました」


 九月下旬、某土曜日午後二時。無洞は先輩らと共に依頼主の待つ、とある民家へとお邪魔していた。


 和風の二階建て。古民家と呼ぶに相応しい、少々がたついた様相をしている。だが不思議と不気味さは感じられなかった。それどころか実家へ帰って来たかのような温もりすら覚える。


 リンリンと風鈴が鳴る。ガラスコップを満たす麦茶から、結露が落ちる。無洞と不死原が通されたのは、縁側を望む広い和室であった。中央には長方形の机。それを隔てて老年の男性が座っている。


 彼は加藤伊一かとういいち。この家の主にして依頼主である。


「五家が一家、不死原氏がわざわざ出向いてくださるとは。本当に頼もしい限りです」


「いやぁ、不死原と言っても、もう名前だけみたいなものですから。あまり畏まらないでください」


 へらへらと、気の抜けた笑みと共に、不死原は手を振る。だがそれをすぐに引き締めると、


「早速ですが、お話を聞いても?」


「は、はい」


 無洞は鞄からビデオカメラを取り出す。それを不思議そうに見ていた老人へ向けて、「記録義務があるんです」と不死原が説明をする。


 レンズは縁側の先に広がる庭へ向け、外付けのマイクだけを、声を拾うべく二人の方向へ動かした。セッティングを終え、それとは別にメモ帳を取り出す。無洞の準備が整ってから、不死原は話を進めた。


「では最初に経緯の説明をお願いします」


「はい。……先にお伝えしたように、私には六歳の――もうすぐ七歳になる孫がいます。その孫が怪異と『約束』を結んでしまったようで」


「迎えに来る、とも確か仰っていましたね。具体的にいつ迎えに来るのでしょうか」


「七歳の誕生日、つまり二日後です」


 ふむ、と不死原は首を撫でる。


 依頼主の男、加藤の愛孫『夢叶ゆめか』は、近所に住む同い年の少年ヒジリと仲がよかった。「七歳になったら結婚しよう」、法律を無視した子供同士の微笑ましい約束を交わす程に。


 しかし、間もなくして少年は事故死。夢叶は悲しみにくれ、すっかり塞ぎ込んでしまった。その憔悴さは、幼稚園の卒業式を欠席し、小学校の入学式すら早引きするほどだった。


 だが、最近になって妙なこと口にするようになったという。



 ――ヒジリ君が迎えに来た。



 その言葉が契機になったかのように、孫の周りで怪奇現象が頻発するようになった。ポルターガイストに始まり幻視、幻聴。インターフォンを鳴らして「少年」が訪ねてきたこともあったという。


「なるほど、それで『迎えに来る』ですか」


「はい。夢叶はたった一人の孫娘です。あんな子供同士の、口先だけの約束で失うなど……絶対に、絶対に……!」


「落ち着いてください。……ところで、加藤さん。うちの入駒より『関係者』とお聞きしているのですが。これまでに対策として試したものはございますか?」


 関係者、と思わず無洞は首を傾げる。


 久狛井探偵事務所所長入駒は依頼主を「上司」と表現していた。そういう意味での「関係者」だろうか――と考えたところで、不死原がそっと身を寄せてくる。無洞のメモを覗き込んでいるらしい。きちんとメモが追い付いているか、確認をしてくれているのだろう。


 その気遣いに、無洞はむせび泣く思いだった。


「一応、敷地内の結界は強化してあります。それ以外には……形代を、ええ、用意しました」


形代かたしろですか」


 形代とは、先日のログハウスにおける調査で、薄木夕真が用いていた道具である。ヒトガタとも呼ばれる。人間の代替品として多く用いられ、様々な厄を肩代わりする役目を持ってるそうだ。


「形代の様子はどうですか」


「一週間ほど前、夢叶の枕元に置いておいたのですが……翌日、なくなっていました」


「なくなった、ですか」


「はい。もしかしたら怪異とか関係なく、家族の誰か……息子が、もしかしたら処分をしたのかもしれません。ですが、他の場所に設置しても結果は同じで」


「翌日にはなくなっていた、と」


 不死原は考え込む。平生は髪の下に隠れている右目がちらりと覗いた。


「形代がなくなることってあるんですか?」


 思わず声を出せば、不死原は曖昧に、どこか上の空で頷く。


「人為的に処分されればなくなる。それ以外に消滅した理由となると……持ち去られたか、役目以上の負荷が掛かったか」

 考え得るのはそのくらいだ。そう言って、不死原は面を上げる。

「話は変わりますが、ヒジリ君は事故に遭われたとの話でしたね」


「ええ。夢叶と遊んでいたところへ運悪く車が……」


「夢叶ちゃん、事故現場にいたのですか」


 不死原の声が少しばかり裏返る。


 友人が鉄の塊に跳ね飛ばされるところを見ようものなら、それはもう一生もののトラウマである。きちんと精神的ケアを受けられただろうか。柄にもなく、未だ顔見ぬ少女を心配してしまう無洞だった。


 相槌の代わりに首肯する加藤は、しょんぼりと背を丸めてしまう。元々小さかった身体が、さらに縮まって見えた。


「事故はいつ頃のことでしょうか」


「半年ほど前のことになります。その頃は夢叶も元気で……いや、友人を失い、気が滅入っていたようではありましたが、病気なんてものはしていませんでした」


「夢叶ちゃんの体調不良は一か月前からと聞いていますが……随分と時間が開いていますね」


 夢叶――目前の老人の孫にあたる少女は、現在病のため床に臥せっているという。病名は知らされていないが、一ヶ月もの間継続して罹患しているとなると、おそらくは風邪の類ではないだろう。


「夢叶ちゃんは、今は病院に?」


「いえ、今は二階の……自室で療養しております」


 ぴくりと不死原の眉が動く。


「ここで、ですか」


「はい。慣れた場所の方が夢叶も安心するでしょうし。それに電子機器の多い病院では、少々勝手が悪いものですから」


 勝手、と思わず声が洩れる。それを耳聡く捉えたのか、二つの顔がこちらを向く。


「結界って、とても繊細なんだ。電子機器が発する電波で綻びができてしまうくらいに」


「それに今は電子機器を……特にスマホを持ち歩く時代になっています。電子機器の頻繁な出入りは避けたいのですよ」


 結界と言われて記憶に新しいのは、薄木が言っていた家とは結界である、という言葉だった。


 今や電子機器――スマホやテレビなどは生活に書かせない道具となっている。それを結界、もとい家の中から排除するなど不可能に近い。つまり結界は常に脅かされているという状態になる。


 普段の無洞ならば胡散臭いと一蹴するところであるが、事務所の先輩も人生の先輩も、共に『胡散臭い事柄』を信じ込んでいる。その状況に、まるで真実であるように錯覚してしまう。


 思わず傾向しそうになるが、すんでのところで踏み留まる。信じてしまったら、それこそ向こうの思うツボだ。


 人知れず葛藤を繰り返す無洞を余所に、二人の会話は進む。いつの間にか不死原は気になることを全て聞き終えたようで、口上を――慣れ親しんだ、至極当然と言わんばかりの台詞を紡いだ。


「……分かりました。お孫さんが無事七歳の誕生日を迎えられるよう、不死原の名において全力を尽くしましょう」



   ■       ■



「どう思った、無洞君」


 滞在場所として与えられた客間。そこに持ち込んだ荷物を降ろしていると、不死原が声を掛けて来た。無洞は素直に、率直に違和を伝える。


「イメージと違いました」


「へえ?」


 方眉を吊り上げて見せるその様が、先を促していることは明確だった。


「ええと……依頼書を読んだ段階では『怪異と約束を結んだから怪奇現象が起きるようになった』と思っていたんですけど、時系列を見てみると、『生きている友達と約束したけど友達は死んで、その後怪奇現象が起こるようになった』じゃないですか。どこで『怪異と約束を結んだ』に変わったのかなぁ、と」


「依頼書の件は所長の解説も絡んでいるかもね。ややこしかったかな。でも、そこに気付けたのは素晴らしいよ」


 人と、人ならざる者とが約束を結ぶこと、その愚かしさを、久狛井探偵事務所所長は説いていた。その説明と共に依頼の内容を教えられたのならば、この案件を『怪異と約束を結んだ』ために起こったものと誤解してしまうだろう。


 時系列を追うと、『約束を結んだこと』と『怪奇現象が起こったこと』が直接繋がっていない可能性が浮上する。それなのに、なぜ加藤老人は『怪異と約束を結んだ』と断定しているのか。無洞には分からなかった。


「そう。今回は、必ずしも『約束』が原因とは限らない。むしろそれである可能性は低いだろう。では一体何が夢叶ちゃんを苦しめているのか――」


 不死原は視線を落とす。その横顔はおそろしく真剣だった。


 「不死原の名において全力を尽くしましょう」、そのような自信に満ち溢れた発言をしておきながら、楽屋へ戻った途端に気弱な様子を見せる彼に、無洞は心細さを感じずにはいられなかった。


 無洞は身を守る術を持たない。相手が目に見えぬ存在であれば尚更だ。だから今回も、前回と同様に守られる気満々でついて来たのだが、全てを委ねることに懐疑を示さずにはいられなかった。


 いつか名のある神社でお守りを買ってこよう、無洞は密に決意した。

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