第二章 仲立つクマの見聞録
第10話 会議は踊らない
ログハウスの解体から早半月。九月下旬のことである。無洞純はいつものように書類を作っていた。
ログハウスにおける調査を経てからというもの、無洞の仕事は増えに増えた。以前から請け負っていた調査報告書の作成の他に、現場における記録も任されることになったのだ。
諸先輩方が「とりボナ」、もとい「とりあえずボーナス」と騒いでいたように、現場へ出動するたびに手当を受けられるようになり、労働に対する対価はむしろ上昇したと言えるだろう。しかし一つだけ問題があった。
心霊スポット、思ったよりも、デンジャラス。
心霊スポットと銘打っていながら、実際に心霊現象に遭遇することは少ない。むしろ老朽化した建物や人間の方が危険であるという始末だ。
それを踏まえると、「とりボナ」は出動に対する手当ではなく、むしろ建物の倒壊や事件に巻き込まれた際の、いうなれば口止め料として支給されているのではないか。そう疑ってしまう。
ゼロの増えた給与明細を一瞥して、無洞はどことなく寒気を覚えるのだった。
その時だった。
「おっす、お疲れちゃ~ん」
気の抜ける声と共に、突如として扉が開かれる。入室して来たのは男だった。
久狛井探偵事務所所長、
纏う衣裳は、先日のログハウス解体時とは異なりティーシャツにジーンズという簡素な洋装。しかしその目元は、相変わらず黒い面布に覆われていた。
お疲れ様です、と無洞は応じる。その一方、いくら待っても諸先輩方から挨拶が返されることはなかった。
ちらりと視線を送ってみれば、彼等はぽかんとして入駒所長を見つめている。つい先日死んだばかりの身内を見たかのようだ。
「おいおい、どうした~? そんなにおいちゃんに会いたかったのか~? 全く、人気者ってのは困るなぁ」
ケラケラと笑って、男は革張りのソファーへとカバンを放る。ボスンと重々しい音が事務所内に響いた。
所長の上機嫌も束の間、諸先輩方はわなわなと身体を震わせて困惑の声を上げる。
「しょ、所長が出勤してる……」
「ヤバ、洗濯物干したままだ。雨降る……」
「どんだけニートしてると思われているんですか、所長さん」
入駒は普段、久狛井探偵事務所に姿を現さない。出勤せずとも先輩は各々掲示板から仕事を入手するし、所長直々に指示があればメールで送られてくる。
この事務所に『入駒壮次郎』という個体が存在する理由はないと言い切ってもよいだろう。
「いや~、俺が出しゃばらなくて済むのはいいことだ。これも働き者の部下たちのお蔭だな!」
豪快な笑声を響かせて、男は腰に手を当てる。対する働き者の部下たちは、ぴくりとも笑っていなかった。笑う余裕を感じられなかった。
入駒壮次郎が事務所へ顔を出す、その異常性を、不死原を始めとした職員は知っていたのである。
「それで本題は? 何か用があって来たのだろう?」
「任務を持って来た」
その言葉が発せられた途端、ピシリと空気が固まる。表情豊かな薄木も、へらへらと笑みの絶えない不死原も、ただただ唇を引き締めて面布の奥を見つめている。
明らかに異様であった。
久狛井探偵事務所。心霊・怪異を専門とする数少ない組織。これが本来の姿なのであろう。胡散臭いとばかり思い込んでいたが、まるで信用に足る人々のように思えてしまう。
「ここってスレッド監視が仕事じゃないんですか?」
「それも業務の一環。だが、余所から依頼を受けることもあるな。まっ、俺の所はぁ? 部下の自主性を重んじるからぁ? あまり外から仕事を持って来ないんだけどな?」
鼻高々に言ってみせる入駒であるが、平所員の面持ちは至極真剣だ。冗談を許さない、そう言わんばかりの雰囲気である。
無洞はこの空気に弱い。内心深い溜息を吐きながら、すっかり冷めたコーヒーに逃げるのだった。
「今回の任務はな、聞いて驚くなよ。なんとガキの子守りだ」
「……は?」
「いや、あのな~。上司のガキがな、『約束』をしちまったんだと。で、近いうちに迎えに来るそうだから、それを追い払ってほしいんだとさ」
面倒臭いと言わんばかりに、所長は肩を落とす。薄木や不死原も顔を見合わせ、神妙な顔つきをしていた。
無洞は話に着いて行けなかった。無洞は社内において書類作成という仕事を担っている。その中で、諸先輩方の仕事に関する報告書も扱っているが、所詮は入社から一ヶ月と半月の新人。分からないこともまだ多い。
その意を伝えるべく手を挙げると、入駒の人差し指がこちらを向いた。
「はい、ムドー君」
「ちょっと意味不明なので、初心者でも分かり易く説明してもらえませんか?」
「え、おじさんに言ってる?」
「正直誰でもいいんですけど、書類まとめるの、だいたい俺なんで。把握しておきたいんですけど」
「熱心だな~」
これまでの無洞は、専門的な会話に対して一歩引くことが多かった。自分からは決して踏み込まず、傍観ばかりをしていた。
その様子を受けて、無洞は奇奇怪怪な出来事に興味がないのだと、スカウトしてくれた薄木夕真の顔を立てて仕事を続けているのだと思われていたのかもしれない。
入駒は至極愉快そうに唇を歪めて、無洞を眺めている。
「『約束』はご存知?」
「どんだけ世間知らずと思われてるんですか」
約束はほぼ日常的に交わす。人生において誰とも約束を交わしていない人など、この世に存在しないと断定してもよいだろう。
社会人ならば「期日までに仕事を済ませる」も約束の範疇であるし、友人同士であるならば「明日近くの公園へ集合」という遊びの誘いもまた約束である。
言語を扱う者同士が交流する以上、約束は切っても切り離せない存在だ。
「それを人と、人ならざる者とが交わしてしまった。『またあそぼ』『オケ』という感じで」
「それの何が問題なんですか?」
「約束には言葉を用いる。言葉とは魂の分身。つまり約束とは、魂と魂の契約と同義なんだ。それを反故にすることは許されない」
入駒は腕を組む。
「そもそも生者とそうでない者は、本来交わるべきじゃないんだよ。我々は仕事柄どっぷりと接触しちまってるけど、それはいくらかの知識と抵抗力を持ち合わせているからであって、素人が彼等に接近するのは褒められた行為ではない」
今までにない真剣な声だった。
不死原よりまわってきた仕事の依頼書を取り落とすほどに、無洞は意表を突かれていた。
「それにしても、『約束』かぁ」
床に落ちた紙を拾い上げ、改めて不死原は無洞へと書類を手渡す。いつもはニコニコと朗らかな様相だが、今回ばかりは憎たらしいほどに綺麗な顔面に静寂が宿っている。
「
「言葉、だよね?」
不死原と薄木はそれぞれ顔を見合わせる。言葉すくなに会議をするも、両者の表情はパッとしない。それどころか両手を挙げて、降参の意を表した。
「専門外かな」
「頼むよ~相手は普通の小さいオバケらしいからさ~。不死原が駄目なら薄木ちゃん、お願いできな~い?」
「そんなこと言われたって、言葉は『ヒトハ』の領分ですし、うちが手を出すのはあまり……」
渋る薄木。なぜ躊躇っているのか、無洞には理解できなかった。
頸を捻り、「うーん」と悩む薄木だったが、やがて彼女はポンと手を叩く。
「リュウジ君って駄目なんだっけ。彼も『ヒトハ』だったよね?」
リュウジとは久狛井探偵事務所に所属する少年のことである。名を
高校生らしく今日のような平日は学校へ通い、週に一度、ふらりと事務所を訪れては菓子皿を空にして去る。週に一度の出勤ということもあって面識は然程多くはないが、無洞は、どうにも彼が苦手だった。
「龍士君は言葉の力が強くないって言ってなかったっけ?」
「あれぇ、そっか。お兄さんに吸い取られたってケラケラ笑ってたっけ」
「けど、彼自身の能力は低くない。龍士君に声を掛けるのはアリだと思うよ」
困惑の渦中にいる無洞には目もくれず、先輩方は相談を続ける。
「ていうか、その今回は言葉? が大事なんですよね。龍士君が難しいなら、彼のお兄さん? とやらに協力を要請したらどうですか?」
思わず無洞が口を挟んだ途端、辺りはしんと静まり返る。静寂を破ったのは、不死原が
「ん~、それができたら楽なんだけどね。……少し事情があって」
それだけ言うと、不死原は黙り込んでしまった。これ以上、無洞に語ることはないのだろう。
同じ久狛井探偵事務所職員であるが、無洞は個々の事情も何も知らぬ素人。特に今回の、一葉龍士とその兄の間には、家庭環境という赤の他人にはどうしても踏み込むことのできないデリケートな空間が存在する。
無闇に暴くべきではない。無洞は口を閉じた。
「ま、とりあえず龍士君に声を掛けようか。幸いにも明後日は土曜日だし、そこで済ませればいいよね、所長?」
不死原が呼び掛ける隣で、薄木が手を挙げる。
「あっ、土曜日はアタシ、ちょっと用事があるから行けない~! 四人で頑張って!」
「そっか、残念」
四人ということは、一葉龍士は確定。次いで不死原遥介、入駒壮次郎。そしてもう一人――と考えたところで、否応なく自らの名、無洞純が思い当たる。
しかし調査員の一人として挙がっていた入駒は面布の前のひらひらと手を振ると、
「おじさんも明後日は忙しいんだよな~」
「珍しいですね、所長さんに予定があるなんて。何するんですか?」
「オフ会」
その
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます