第9話 後日談:ハナミズキ(20.1.29改修)
後日。
無洞が出勤すると、久狛井探偵事務所内に設置された革張りのソファーに
彼の視線の先には薄型テレビーーどうやら先日のログハウス探索記録を確認しているらしい。
「おはようございます」と声を掛けると、「やあ」と気のよい声が返ってくる。
映像は、二階に巣食っていた怪異との最終決戦に差し掛かったところだった。横たわる視界の中、硬い薄木の声に次いで無洞の絶叫が響く。
あれ、と首を捻る無洞を余所に、不死原は映像を止めた。
「リボンは、ちゃんと供養に出したそうだね」
久狛井探偵事務所所長による解体ショーを観覧した翌日、遺品と思しきリボンは、何ごともなく供養に出された。
神社へ持って行くか、それとも寺へ持って行くかという悶着はありこそすれ、どちらにせよ闇医者ではない本職によって、きちんと供養されるそうだ。
「供養もここでやるとか言い出さなくて安心しました」
「信用ないなぁ、僕たち」
ヤブ医者や闇医者を自称していたにも関わらず、信用できるものか。唇の裏まで出かかった言葉を、無洞は懸命に飲み込んだ。
「それにしても、さっき見ていた場面、俺、ほとんど記憶がないんですよね。異能バトルみたいな演出がされてましたけど、あれって何なんですか?」
無洞の記憶は、二階の部屋に踏み込み、数言薄木と言葉を交わしたところで途絶えている。再度記憶が復活するのは、先輩が大手柄と褒め称える辺りであった。
体感時間にしてどれだけ意識を失っていたのか――いや、どれだけの間、無洞の肉体が自らの指示なく勝手に動いていたのか、当の本人には皆目見当も付かなかった。
多分、顔を青くするほどの長さではないだろう。気付けばハンディカメラの記録が聞き覚えのある文言を紡いでいたくらいだ。
しかしどうしても、その時を思い出すたびに胸の内にこびり付く影を感じる。自分の持ち物ではない、他人のそれをカバンの中に発見したかのような違和感。意識すればするほど、それは肥大する。
顔色の変わった無洞を気にしてか、不死原が神妙な面持ちで男を見上げている。
「まだ何か残っているように感じるかい」
「ええ、まあ……」
「気になるようなら、御祓いを受けてくるといいよ。それだけで気が楽になるから」
「やっぱり俺、憑りつかれてたのか……。不死原さんがやってくれるわけじゃないんですね」
「いわゆる“御祓い”はどうも苦手でね。ちゃんとしたところに頼んで。で、何の話だっけ?」
薄木夕真が使っていた紙きれについてだ。そう声を挟めば、不死原は了解したとばかりに膝を打った。
「あれは身代わりだよ。『
女の子の代わりであるという紙。それを手にした途端、無洞の手と黒いモヤが燃え上がった。それは「代わり」が役目を果たすために必要なことだったのだという。
「代わりを用意して、霊を引き付ける。まんまと手にした奴を消し飛ばす。言うなれば、まあ除霊だね」
「あの炎はさしずめ浄化の炎というところですか」
「詩人だねぇ」
不死原は満足そうに頷く。
「浄化より消却が相応しいようにも思えるけど、その場から退かすことに変わりはない」
「何が違うんです?」
「
それは昨晩、薄木が口にしていたものだった。詳細は終いには問い出すことはできなかったが、よい機会である。両者の違いについて問うてみると、不死原は目を瞬かせた後、薄茶の髪を混ぜた。
「薄木さんは説明しなかったのかな。浄霊は説得して成仏してもらうこと。で、除霊が無理矢理その場から消すこと。除霊は浄霊と比べるとかなり暴力的な方法だね」
「確か薄木さんが使っていたミント液は除霊用……とか言ってましたね」
薄木式除霊道具。ログハウスへ持ち込んだ噴霧器を、彼女はそう呼んでいた。肺を抉るほどのミントエキスを腹に溜め込む危険なあいつは、無洞とかなり相性が悪かった。
廃屋調査の後、ミントの臭いが染み付いた身体を泣きながら洗ったのは記憶に新しい。
「そうだね、まあ性質としては除霊に近いかもね。でも、あれは確かに退ける力はあるけど、消し飛ばす力は持ち合わせていないんだ」
「やっぱり除霊できねぇじゃねぇか、あの野郎」
もう二度と薄木と二人きりで心霊スポットには行かない。無洞は強く胸に刻んだ。
「あれ」
ふと無洞は思い出す。
ハンディカメラの映像によれば、ログハウスの女の子を捕らえていた黒いものは除霊された。薄木が放った形代もしくはヒトガタから噴出した炎によって。
それは薄木が除霊手段を持っていると言えるのではないか。そうなると、無能という評価に疑惑が浮かぶ。
「薄木さんの除霊手段は紙きれということになるのでしょうか。ミントエキスじゃなくて」
「うん?」
不死原は少し首を捻ったのち、「ああ」と目を細める。
「形代ね。あれは……まあ、うん、そうだね。霊を消し飛ばす除霊の方法として薄木さんが扱えるのは、形代くらいだろうね」
含みのある言い方である。好奇心がうずくが、こういう時に深入りすると碌なことにならない。
無洞は知っていた。不死原遥介という男も、薄木夕真と同じかそれ以上に厄介な人間なのだと。
「なるほど分かりました」
「その形代をいったい誰が作っているのかという話に派生することもできるんだけど――」
「いえ結構です」
「少なくとも彼女は作れないんだよねぇ」
「マジであの人何もできねぇな」
自分が言えた義理ではないが。
つい溢れた本音に不死原は噴き出す。彼も思うところがあったようで、件の女性が居ぬ間にと言わんばかりに秘密を――何の価値もなさそうな秘密を吐露する。
「薄木さんは、ああ見えて結構不器用でね」
「ああ見えてって、どこからどう見ても不器用そうですけど」
「ははは、言うねぇ。彼女、形代の形に切り取るのがどうしてもできないみたいでね。だいたい首がもげたり頭がへこんだりするんだ。誰かの代わりになるものなのに、縁起悪いよね」
形代といえば、男子トイレのマークのような形をしていた記憶がある。下書きをすれば、そのくらい容易に切り取ることができそうなものだが、それでもなお苦戦するというのか。無洞には俄に信じがたい話であった。
「まあ、あの子は元が優秀だからね。少しくらいドジッ子属性を持っていた方が人間らしいと言えるだろう。ギャップ萌えというやつだよ」
「全く萌えないです」
ケラケラと不死原は笑う。しかしすぐにその笑みを引っ込めると、ローテーブルに置かれていたハンディカメラを手に取った。
「そんな優秀な彼女だけど一つだけ、勘違いをしている」
「勘違い?」
無洞が反芻すれば、薄型テレビに出力された映像は再び動き出した。
液晶の中の薄木は黒いもの及び女の子との対峙を終え、今まさにログハウスから退出しようとしている。それを睨むように人影が――見覚えのある男が、廊下の中央に立っていた。
「女の子に纏わりついていたもの。あれを――いや、女の子ともども地縛霊だと彼女は称したようだけど、黒いもの実体は、霊は霊でも生霊。つまり、生きている者が飛ばしている霊体なんだ」
「生きている人が、飛ばしている……?」
「分かりやすいように言うと、感情が具現化や可視化した……ようなものかな。思念体や呪いとも呼べる。それが女の子をずっと、あの廃屋に捕らえていたんだ」
映像は進む。ショベルカーが出迎え、「仕上げだ」と騒ぐ声がする。
かつて無洞の手にあったカメラは一瞬青年エリマキを映した後、ぐるりと反転してログハウスを映し出した。
開け放たれた小屋の奥には、依然として人影がある。
「例の事件からわずか十年。犯人は捕まったけれど、彼はまだ生きているんだ。どんな気分なんだろうね。死んだ人を想い続けるって」
第1章 死してなお執着する心とは 完
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