第8話 レッツパーリナイッ!(20.1.29改修)
文字通り無人となった小屋から出た無洞と薄木を出迎えたのは、エリマキとパワーショベルだった。静寂の中に響き渡る、けたたましいエンジン音。それを呆然と眺めるエリマキは哀愁を背負っている。
軽い頭痛を覚える無洞を余所に、薄木はくるりと華麗なターンを決めてみせた。
「仕上げたーっ!」
「イエーッ!」
応じるのは野太い男の声だ。
まず目につくのは、顔を隠す布であった。目元はもちろんのこと、鼻先まで面布を垂らしており、表情を語るのは無精ひげを散らした口元のみ。久狛井探偵事務所の中で、最も素性の知れぬ男だった。
無洞以上に目を白黒させているのは青年エリマキだ。困惑しつつも無洞に近付いてくる辺り、無洞に対する警戒心は薄れたようである。
「ぶ、無事見つかったみたいでよかったッスね」
「そうですね」
「……ところであの人、知り合いですか?」
あの人とは聞くまでもなく入駒のことであろう。知らないと白を切ると、後々面倒なことになりそうだ。無洞は素直に頷いて、事務所の所長だと伝える。
「事務所……」
何の事務所、とまでは訊かれなかった。触らぬ神に祟りなしとはよく言うが、きっと彼の赤の本能が、これ以上関わってはならぬと警告を出したのだろう。懸命な判断だ。
願わくば、己にもその機能が備わっていてほしかったと思う無洞であった。
「おっ、ムドー君も来てたのか!」
入駒所長はこちらに矛先を向ける。
「お疲れ様です。これから何するんですか?」
「見て分かるだろ? レッツパーリナイッだ!」
「分からないです」
ただ、パワーショベルを持ち出すということは、目的は解体であろう。いつから久狛井探偵事務所は解体業者になったのだろうか。「探偵」という名称すら詐欺なのに、更に罪を重ねるというのか。
レバーを動かして前進を始める重機を見送りながら、無洞は小屋へ向けて合掌した。
耳を
その光景によって再発した頭痛から逃れるべくスマートフォンの電源を入れると、掲示板を映すブラウザが真っ先に開かれる。毛だらけの廊下の所在を確かめた時のままだったらしい。
手慰みにスクロールしてみると、青年――目前の、故心霊スポットへ突撃した青年の安否を問う書き込みばかりが目立つ。
隣に佇む青年へ画面を見せると、「あっ」と慌てたように自らもスマホを手にする。「オレは無事です、ご心配をおかけしました」簡素な文言が白板の上に流れた。
報告を終えるとスレッドは次第に活気を取り戻し、あれこれと質問が飛んでくる。中でも目立ったのが画像や映像の催促だった。
少し迷う素振りを見せた後、彼はカシャリとシャッター音を鳴らした。
「そういえばエリマキさん」
無洞が口を開くと、エリマキは慌てたようにスマートフォンを降ろす。撮影を咎められると思ったようだ。夜に撮影しても大したものは映らないだろうに、と半ば呆れつつ、
「事情聴取の際、何か言い掛けましたよね。例の事件の被害者がどう、とか」
「ああ、そのことッスか」
エリマキは口の端を掻くと、
「姉なんです。この廃墟で起こった、監禁殺人事件の被害者」
エリマキは薄木の手、薄汚れたリボンへと視線を落とす。
「だいたい十年くらい前になりますかね。姉は当時十六歳。身長百六十一センチ、体重五十二・二キロ――ちょうど高校に上がったばかりの頃のことです。高校から帰宅途中に襲われたらしいですね。入学早々恋人を作ったり無断外泊をしたり、決して素行がいいとは言えない人でしたけど、でも……やっぱり可哀想ですよね。人生半ばで死んでしまうなんて」
何も言えなかった。こんなに重い事態になるなんて聞いていない、と薄木を睨みつければが、彼女はギョッとした様子で首を振った。彼女も想定外だったようだ。
久狛井探偵事務所は「探偵」と銘打っているものの、調査能力は一般の探偵事務所と比べるとかなり低い。人間、もとい生者、世俗のあれこれにまつわる調査は素人に毛が生えた程度のものである。隠された情報を暴く技術はない。
「それは何というか……ご愁傷様……」
やっとのことで薄木からひり出されたのは、当たり障りのない言葉だった。対するエリマキは眉を下げる。
「オレにとっては、本当に大きな事件だったんです。それなのに、この事件が大々的に取り上げられることはなく、地方紙の片隅にぽつんと載っているだけだった。それがどうしても、どうしても……許せなかった。だから今回、スレに情報を流そうとしてたんです。あそこはオカルト好きが集まるオカ板ですし、陰謀論を臭わせれば人の目を引くと思いまして」
「なーるほど、それであることないこと書き足したわけか。ログハウスの所有者が次々に自殺をしているとか」
「心霊スポットという話も、実は」
心霊スポット、心霊がいる場所。その話は決して嘘ではない。
エリマキは物事を面白くするスパイスとして「心霊スポット」という属性を加えたようであるが、それは創作でも何でもない。本当にあの――今まさに取り壊されようとしているログハウスには、何かがいたのである。
知らなかったのだ、エリマキは。あの小屋に姉の魂が囚われていたことを。
「……そっかぁ」
薄木は寛大だった。無洞には容赦なく幽霊の存在を教えるくせに、部外者に対してはよい顔をする。このミステリアスムーブめ、と無洞は思わず舌打ちをしそうになった。
「ま、嘘ならよかったよ。でもエリマキ君、これからは不用意に嘘を垂れ流さないようにしてね」
「なんでです? みんなやってるのに」
「噂が本当になってしまうこともある、ってことだよ」
怪異や幽霊などの人ならざるものには、生者の認識が深く関わっている――これは事務所の先輩不死原遥介の主張であるが、薄木も同意らしい。
認識されなければ、いないことと同義である。これは人でも人ならざるものでも同じことだ。もちろん哲学的な話を薄木はしようとしているのではなく、むしろ経験則に基づいている。
認識、自己暗示とも言い換えることができるだろうか。たとえば廃墟の中で源泉がないにも関わらず香ってきた腐敗臭は、幽霊の存在感を示し、同時に誇示している。
臭いによる先入観。雰囲気によるバイアス。これが幽霊や怪異にとって追い風となる。
臭いなどの個性は、認識する者が存在しなければ個性にはなりえない。しかし無洞たちがその鼻で感じ取り、嫌悪を抱けば、それは個性の持ち主――つまり人ならざるものの個性へと昇華されうるのである。
「掲示板に情報が寄せられた途端、全国で出現が確認されるようになった怪異や、その亜種が発生した例も存在する。たとえゼロからの創作であっても、あまりオススメはできないかな」
薄木の言葉にエリマキは不服そうだった。だが薄木の頑なさは彼も思い知ったのだろう。抵抗をすれば、何が何でも頷かせる。実力を行使する。無洞純という男手を借りて、ログハウスからエリマキを追い出したように。
エリマキは大人しく首肯する。それを見届けた薄木は、満足げに目を細めると、
「それじゃあ、無洞君。エリマキ君のこと、家まで送ってあげてくれる?」
「はあ、構いませんが」
彼女の手から体温の残る鉤が渡される。ちらりとエリマキの様子を窺うと、彼は首を振っていた。
こんな胡散臭い連中にはもう関わりたくないという気持ちも分かる。無洞とてそれは同意であった。
「薄木さんはどうするつもりですか」
「アタシは所長と一緒に帰るよ。所長を一人残すのも不安だからね。帰り道は分かる?」
「ええ、ナビをつければ」
「オッケー! それじゃ、お疲れ様。気を付けて帰るんだよ!」
ぴしりと指を振って、薄木は唸りを上げるショベルカーの方へと歩いて行く。
それにしても、遺品と思しきリボンは返さなくてよかったのだろうか。無洞は遺品のことを話すべくエリマキへ声を掛けようとした。
すっぽりと表情の抜けた横顔を目にすると、無洞の言葉はすっかり吹き飛んでしまった。
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