第5話 凸主エリマキ(20.1.29改修)

 光の奥にいたのは青年だった。夏だというのに首にスカーフを巻いた、二十歳前後の男――ハンドルネーム「エリマキ」。昨晩のスレッドにおける勇気ある突撃主である。


 廃屋の一室で果たされたのは、凸主エリマキと心霊専門探偵事務所職員、胡散臭い者同士の対面であった。


「やっほー、エリマキ君。昨日振りだね」


「あっ、あんたは昨日の……」


 彼の中ではさぞ混乱が渦巻いていることだろう。昨晩出会った人間と、全く同じ場所で邂逅したのだ。巡り合わせと呼べば聞こえはよいが、ストーカーとでも勘違いされたら目も当てられない。


「昨日ぶりだね。もう来ないようにって言ったはずなのに、どうしてここにいるのかな?」


「あ、あなたは……」


 エリマキは困惑していた。しかしぐっと唇を結ぶと、


「あなたこそ、どうしてこんな所にいるんスか。他人のこと、言えないでしょ」


「そう言われちゃうとね~」


 ごもっともだと言わんばかりに、薄木は口角を歪める。


 自分たちはこのログハウスにおける怪奇現象の解消をするべくこの廃屋を訪れた。そう正体を明かせば、多少の配慮はしてくれるであろう。それなのに、彼女は頑なだった。できる限り婉曲に、『心霊スポットに現れる美女』として、検討を促す。


「詳しい話はできないけど、危ないからさ。ほら、この男子が外まで連れてってくれるから、ここは退散してくれないかな?」


「えっ、男子って俺のことですか」


 無洞の年齢は二十代半ば、いわゆるアラサーである。「男子」と呼ばれると違和を感じる。


「それは構わないですが……薄木さん、一人で大丈夫ですか?」


 一人になったところを襲われるのは、もはやお約束の展開である。そういうこともあって、無洞は薄木を一人にしたくなかったのだが、彼女は「大丈夫」とはにかんだ。


「…………」


 美人及びミステリアスムーブ全開の薄木に若干腹立たしさを覚えた無洞は、容赦なく彼女を置いて行くことにした。


 ハンディカメラの録画を止め、エリマキとの距離を詰める。彼は無洞の身体から立ち上る強烈なミント臭に顔をしかめた後、ふいと視線を逸らした。


「なんでそんな……邪見にするんスか」


「そりゃもう、約束を破ったからだよ、エリマキ君。何を探しているのか分からないけど、ここには来ないようにって言ってたでしょ?」


「そんなこと、言われたって……。お、オレにだって事情があるんです!」


「事情がある、ねぇ。それは分かったけど、あまりここにはいてほしくないな。何かあったら困るから。というわけで無洞君、きちんと事情聴取をして、丁重にお帰りいただいておしまい」


「アラホラサッサー」


 久狛井探偵事務所の仕事は、主に心霊にまつわる事象の捜査および解決である。関係者への事情聴取も、当然その範囲に入る。現場における立ち回りも、対心霊の作法もほとんど教えられていない無洞にとって、対人間の方が心休まる役割であった。


 二つ返事で応じれば薄木はにこりと、容姿とは不釣り合いな笑みを浮かべる。口角を引き上げ、代わりに目尻を下げ、ひどく柔和で幼い笑みである。無洞にはその笑みが、どうにも胡散臭く見えてならなかった。


「ちょ、待ってください、オレは納得なんて――」


「行きましょう、エリマキさん」


「またスレで『釣り』呼ばわりされたらどうするつもりですか!」


 悲痛な声を聞きつつも、無洞はエリマキの袖を掴んで歩き出す。


 先輩命令は絶対だ。無洞にとって都合がよい時だけは。



   ■     ■



「昨日、あの人、別の男と来てたんスよ」


 懐中電灯が照らす廊下を歩いていると、エリマキがぽつりと溢した。


 彼の言う「別の男」とは、久狛井探偵事務所の先輩、不死原遥介ふじわらはるすけのことである。


 告げ口のつもりだったのだろうが、その事実は無洞も存じ上げている。「はあ」と気の抜けた返事しかできなかった。


「あの人、やめておいた方がいいっスよ。マジで。過去にいろいろな男と、いろいろな場所に出没してるって噂ですから」


 心霊スポットに現れる男女、彼らが現れると大抵事態が改善に向かう――エリマキはそのことを言っているのだろう。これは、今日の昼間話題に上がったばかりである。無論、無洞も知っている。


「あっ、もしかして恋人とか思ってます? やめてくださいよ」


「……違うんスか」


「俺、守ってあげたくなる系の子が好きなので」


「マジか……。じゃあ、あの人とはどういう関係なんです?」


「職場の先輩と後輩ですかね。俺が後輩」


 エリマキは意外そうに目を丸める。


「同期かと思った、やけに親しそうだったし」


 無洞と薄木はほぼ同年代だ。誤解するのも仕方ない。


 廃屋外への誘導に際するエリマキの抵抗は、それこそ連行を開始した直後くらいのもので、それ以降はスムーズだった。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうほどに。


 さて、何から聞き出そうか。無洞が質問票を作っていると、ふとエリマキが口を開いた。


「ここ、噂があるの知ってますか」


 リンリンと気の早い虫が鳴く中、無洞は情報の漏えいに当たらない範囲を探って、慎重に応じる。


「心霊現象云々ってやつですか?」


「この小屋で殺人事件が起きたってやつです」


「…………」


 半分知らなかった、それが無洞の答えであった。


 背後にそそり立つログハウスが事故物件であるとは把握している。だがその詳細までは知らされていなかった。


 先輩による配慮なのか、それとも単なる怠惰なのかは判別しづらいが、理由はどうであれ、エリマキの言葉は半ば確信めいた予感と共に無洞の胸へと吸い込まれていった。


「殺人事件、ですか」


「監禁だか何だかの末に殺しちゃったとか。その被害者が今なおこの小屋にはいて、心霊現象を引き起こしているとか、そういう話だったんですけど。その反応だと、知らなかったみたいですね。あんまメジャーじゃないのかな?」


「エリマキさんはどうしてそのことを知ってるんですか?」


「有名ですから」


 監禁殺人事件の被害者は近隣に住む、当時高校生であった女性。加害者は彼女に想いを寄せていた男性。簡単に言えば痴情のもつれ、ただし一方通行。いわゆるストーカーによる犯行であった。


 被害者女性は学校帰りに目前のログハウスへ連れて来られ、事件に至ったそうだ。


「両親は、この事件を隠そうとした。必死こいて根回しをしたそうですよ」


「根回ししたのに有名、ですか。なんだか報われませんね」


「報われても困りますよ。……まあ、普通の人からしたら、確かに有名な事件じゃないですよ。地方紙のほんの隅に掲載された程度ですから。でも、こうして情報は残っている。噂として残り続けている。いくら隠蔽しようったって、記憶まではどうしても消せなかった。隠蔽工作は失敗したんスわ」


 事実ではなく『噂』として残る。それはある意味、隠蔽工作の成功である。


 『噂』であればいずれ消える。最初こそ評判に影響こそ出るであろうが、それもやがて風化する。


 実際に、この地域から車で三十分ほど走った場所にある久狛井市に住み、エリマキと同じく心霊スポット突撃スレッド出身の無洞ですら、ログハウスにおける事件は知らなかったのだ。


 今度は噂が駆逐される番であろう。そうなれば、事実はことになる。


「まあ、そういうこともあって……オレの知ってる『噂』と同じ事件を知らないかって、あのスレでは訊きたかったんです。ほら、実況をして後日談的な感じで情報を公開すれば、すんなりと『噂』の話に移行できるじゃないですか。それで、単なる噂じゃなくて、ちゃんとした事件として認識されれば、あそこの霊も報われるんじゃないかって、そう思って……」


「どうしてそこまで……」


 エリマキは平凡な顔を歪め、肩を竦めた。


「その被害者、オレの――」


 突然、破裂音が鳴り響いた。ガラスが――ログハウスの二階部分にはめられたガラスが、一人でに砕けたのだ。細かい破片が、ぼんやりと照る月明りを反射させながら、無洞とエリマキに降り注ぐ。


「いった……」


「だ、大丈夫ですか!?」


 幸いにも、ガラス片は細かかった。髪や服の中に紛れ込んだ感覚はあるものの、無洞にもエリマキにも、目立った外傷は見られない。仮に大きな破片が降ってきたら、無傷では済まなかっただろう。


「これが噂に聞くポルターガイスト……?」


 ポスターガイスト。「騒がしい霊」を意味する言葉である。


 物体の移動や発火、音の発生など、人が触ってもいないにも関わらず起きる現象のことであり、通常これは、その名の通り霊によって引き起こされると解釈される。


 しかしポルターガイストの全てが霊の仕業というわけではなく、写真へ写り込むオーブのように科学的に証明できるものもあれば、当然人為的なものもある。


「薄木さん!」


 仮に薄木のいたずらだとしたら、あまりにも性質たちが悪すぎる。不死原へ告げ口してもいい内容だ。しかし彼女は応えなかった。


「薄木さん?」


 スマートフォンを取り出し、薄木へ連絡をしてみる。数度コールが鳴り響くが、それは無情にも虫の音に紛れて消える。


 普段ならば五コールの間に応じる彼女は、留守番電話に移行しても、全く応じようとはしなかった。

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