第3話 限りなく闇に近いグレー(2020.1.29改修)
スレッドで実況されていた通り、小屋に入ってすぐに出迎えるのは、広い玄関ホールだ。土間の端には古びた靴箱が設置され、その中では数個のスリッパが人目を避けるように寄り合っている。
前方へ真っすぐ視線を送れば、土間から上がってすぐの位置に大きな階段。その奥――階段脇から伸びる廊下の奥には、壁一面の窓と広間が確認できた。
「例の凸主を見つけたのは、居間――階段奥の、あの大きな窓が見える空間だね。そこから右に曲がった先にある個室だったの。あの辺りはちょっとした溜まり場になっているみたい。風水的な何かが問題なのか、それとも土地柄に由来するのか……。詳しいことはよく分からないけど、心霊体験が最も多く報告されているスポットらしいね」
無洞はぐるりとカメラを回す。映り込む景色は、暗視モードにしているため若干緑掛かっているが、不審な点は確認できなかった。
「あ、見て見て」
薄木の指が壁を示す。そこには縦長の看板が立てかけられていた。ライトを当ててみると、そこからは毛筆調の文字が辛うじて読み取れた。
「『診療所』……確かここで診療所を開いていたのは二代目でしたっけ。だいたい十年前か。代替わりも激しかったのに、よく残ってますね」
「ホントにね」
「何を専門に扱う病院だったか、分かってないんでしたっけ」
「そうだね。その辺りの情報がまるっきり消去されてる。事故か人為的かは分からないけど、胡散臭いことこの上ないよね」
薄木は背後で閉まりつつあった戸を押し開ける。そしてたまたま転がっていた石を噛ませた。淀んだ廃墟の空気に、生ぬるい夏の風が差し込む。
「扉、固定しとくんですね。テンプレですもんね、扉が閉まって出られなくなるとか」
「そそ。よくある」
「よくあるのかよ」
「まあそれはさておき、無洞君の研修を兼ねてるからいろいろ説明するけど、家ってね、一種の結界なの」
「結界?」
「そ。この扉が閉まっていると、出入り口がなくなるでしょ? 霊は扉を開けられないから、この家に閉じ込められちゃうの。まあ、結界になるためにはいろいろ条件があるから、全ての事例が当てはまる訳じゃないんだけど……。とりあえず、基本的に家イコール結界とでも覚えてもらえればいいかな」
パンプスで木片を踏み付け、薄木が室内へ戻って来る。彼女は無洞――階段の上へレンズを向ける無洞の横をすり抜けると、確固たる足取りで小屋の中を進んで行く。
「無洞君、しっかり中の様子を撮影しておくんだよ」
「はーい」
玄関から真っすぐ進んだ先には、かつてリビングとして使われたであろう空間がある。家具や荷物はもちろん、ゴミの一つたりとも残されていない。部屋の隅に埃が積もっていなければ、新築と見違えるほどである。
廃墟、しかも心霊スポットとなれば多少荒らされていても不思議はないのだが、そのような痕跡はなかった。このログハウスは管理人以外の侵入を受け付けていないかのように。
「ゴミがないのはいいとして、倉庫として使われていたのなら、家具とか道具とかもろもろ放り込まれていてもいいと思うんですけど、何もないですね」
「片付けてくれたらしいよ?」
「それにしては随分と……」
果たして『片付けた』物たちはどこへ行ったのだろうか。調査のためだけにログハウスを空にするというのも妙な話だ。
「ここの管理人は張り切って今日を迎えられたようですね」
「そりゃあ長年問題だったホーンデッドペンションが片付くなら喜ぶでしょう」
今代――七代目の所有者は、不動産屋である。友人である六代目からこのログハウスを譲り受けた。
いわゆる独身貴族だった六代目は、休日を過ごすために山奥の静かな別荘を買ったそうだが、身の周りで奇怪な現象が起こるようになり、気味悪がって手放したのだという。
それからしばらくの間、事実上七代目の所有者という位置に収まった不動産屋が、管理をしている。その不動産屋こそが、今回の仕事のもう一人の依頼人であった。
築三十年。曰く付きの建物であるが、それが立つ土地は金になる。いっそのこと、「曰く付き」の由縁たるログハウスを破壊してしまおう、それが所有者の魂胆であるらしい。
「建物を解体する時も御祓いをすると聞いたんですけど……それって、本職じゃなくてもいいんですか?」
「『
「つまり薄木さんたちは闇医者だと」
「完全に否定できないのがつらい……。神主さんや宮司さん、お坊さんに比べれば、アタシたちは闇医者だろうね。だけど霊能力者という
久狛井探偵事務所は、言うなれば霊能力者ギルドである。しかしそこに属する霊能力者は、金のために人を騙し、いたずらに不安を煽るような胡散臭い連中ではない――とは薄木談である。
しかしそれはあくまで薄木の主観によるものであって、無洞にしてみればただただ不審の一言に尽きる。もっとも、その一員たる無洞もまた、他人から見れば「不審」に違いないのであろう。
全くもって不服であった。
「不動産屋ってくらいだから、御祓いできるだけの金はありそうですけどねぇ」
「お金の問題じゃなくて、急いでるんじゃないかな? うちなら、余程でなければ即日執行だからね」
「急がば回れとは正にこのこと」
「どういう意味かな?」
ふと無洞は違和感を覚える。
どことなく気分が悪い。腹がもたれているような感覚だ。この廃墟に来る前、夜食として牛丼卵乗せを掻き込んだためだろうか。無洞はさして引き締まっていない腹部を撫でて溜息をついた。
「変化ない?」
無洞の変化を目敏く感じ取ったのか、薄木が声をかけてくる。
「変化、ですか」
「何がとは言わないけど。何か」
「はあ。強いて言うなら、ミント・オブ・ミントに酔いそうになってるくらいで―― 」
突然パァンと、何かが弾ける音がする。それは天井から鳴っているようだ。二度、三度と、音量と音源を変えながら立て続けに響く。ひどく乾いた音。家鳴りである。
このログハウスは築三十年が経とうとしている。どこかにガタが来ていてもおかしくはない。
音の方向へカメラを向けると、液晶にノイズが走った。夜間、家庭用ビデオカメラは昼間のように動かないことが多いという。映像が乱れることも珍しくないだろう。
「……なるほど」
それだけ呟くと、薄木は強く無洞の背を叩いた。鈍い衝撃が肺を軋ませ、呼吸を奪う。手からカメラが落ちることは何とか防げたが、代わりに膝が崩れ落ちた。
「な、なんですか、急に……」
抗議の声を上げるが、彼女は素知らぬ顔で噴霧器を揺らしている。
「ささ。次は大本命、スレで話題になってた髪の毛いっぱいの廊下だよ」
こつりと踵を鳴らして、薄木は背を向ける。
髪の毛いっぱいの廊下。それは凸スレを阿鼻叫喚の渦に突き落とした代物であった。フローリングに無数の黒い線が散らばり、壁や窓枠にもまた覆い尽くさんばかりに絡みつく写真。
加工写真という意見もちらほら見かけられたが、凸主は自分の目で見たままの光景だと主張して譲らなかった。
無洞の記憶では、
「どこ行くんです?」
そう呼び掛けると、薄木はきょとんとして無洞を見遣る。
「どこって、髪の毛がいっぱいの廊下。すぐそこでしょ?」
「それって二階だった気がするんですが」
「んー? あれれ。いや、アタシたちが例の凸主を見つけた個室前の廊下が黒かった……うん、髪の毛みたいなものが落ちていた気がするんだけど……。二階って書いてあったっけ?」
「確認しましょうか」
戦は情報が命だ。知った上で踏み込むのと、知らずに突撃するのとでは、受けるダメージが異なる。軽減されると信じたい。
ハンディカメラを左手に持ち替え、右手で昨晩のスレッドを開いていると、薄木が焦れたように動き始めた。
向かう先には疑惑の廊下。ステイを呼び掛けるも、帰って来るのは不満そうな声である。
「この廊下の先の水回りシュッシュしてくるだけだから」
「今まさに通ろうとしている廊下が、あなたの大本命なわけですが」
薄木が向かおうとしている水周りは、グロ画像の被写体疑惑がかかる廊下の先にある。
このログハウスは、ちょうどロの字を描くように廊下が配置されており、ぐるりと一周巡ることが可能だ。
廊下の向こうには、玄関を入って右手の通路からも行くことができるため、せめて迂回をしてくれれば文句はないのだが――と無洞がスレッドを探っていると、ある文字列を発見する。
「薄木さん」
「なぁに? あ、情報見つけた?」
「あ、えっと、見つけはしたんですが……」
無洞は少しためらった後、それを口にする。
「昨日の凸主、またここに来るみたいです」
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