第2話 全然大丈夫じゃねぇ(20.1.29改修)

 暑さの残る午後二十二時。無洞むどうじゅん薄木すすきぎ夕真ゆまと共に廃墟を前にしていた。


 ここは昨晩の突撃スレッドの標的となったログハウスだ。元ログハウス、と呼ぶべきだろうか。


 ある有力者の別邸として、およそ三十年前に建てられた経緯を持つが、今は廃墟として、とある山奥の、とある湖畔にぽつんと建っている。


 初代の持ち主が不慮の事故で死亡した後、二代目、三代目と、肉親から子へ、あるいは見ず知らずの人物へと引き継がれ、今代の七代目に至る。


「一代目が所有していた期間が十六年、二代目が五年、三代目が六年……ああ、えっと、それ以降は倉庫として使われていて、基本放置だったそうです。六代目、つまり一つ前の代が辛うじて住居としての役割を持たせていたくらいで」


「途中で面倒臭くなったね?」


「別に重要そうでもないですし。……歴史を調べた限り、噂にあった『所有者が次々に自殺する』なんて事実はなさそうですね」


「だねー。初代が事故死。それ以降、自殺した持ち主も確かにいるけど『次々』なんてのは、ちょーっと誇張表現かな。……まあ、事故物件であることに変わりないんだけど」


 薄木は重心を傾ける。足が長くスタイルのよいためか、何かイケナイことをするために廃墟へ忍び込むかのような錯覚を覚える。


「気になるところをあえて上げるなら、三代目以降の所有者がコロコロ変わってることくらいだね。ふーむ、手放した理由も知りたいところだけど、そんな探偵の真似事をする時間も技術もないし」


「久狛井事務所なのに?」


「うちは心霊専門なんですー」


 この屋敷にまつわる怪談はいくつかあるが、代表的なものが心霊写真だ。


 霊の目撃証言はもちろん、写真に写り込むことも多々あり、スレッドに上がっていた写真――凸主が投稿したと思しきものにも「オーブ」と呼ばれる光の玉が確認できた。


 オーブ原因は解明されている。


 空気中に浮かぶ微粒子や雨粒にフラッシュの光が反射し、写り込んだものとされている。科学的にはそのように結論づけられているのだが、オーブをオカルトの存在――霊魂や精霊の類と結びつけて止まない人もいるようだ。


「ていうか、こういうのって勝手に入っていいんですか? 不法侵入とか何かで訴えられません?」


「ちゃーんと許可取ってあるよ。と言うよりも、実際はこの小屋の調査依頼は、別案件でも受けてたんだよね。だから問題なし!」


「別案件?」


「このログハウスを管理している人からね。更地にしたいんだってさ」


 初耳だった。なぜ職員間で情報共有ができていないのかと若干不安になるが、把握できているならば危惧すべき事柄でもないのかもしれない。それよりも、無洞には共有すべき重大な情報があった。


「……あの、ご存知と思いたいんですけど、俺、御祓いとかできないんで」


「大丈夫、アタシもできないから!」


「全然大丈夫じゃねぇ」


 「霊」をどうにかするのが目的なのに、どうにかする手段を持たないのでは仕方ないではないか。別件で動いている不死原を呼び出すべくスマートフォンに手を掛けると、薄木は慌てた様子で手を振った。


「待って、違うの。いや、違くないけど。不死原君に迷惑掛けるの、やめよう?」


「自分の身を守る術を持たない者が心スポ凸する無謀さを説いたのは誰でしたっけ」


「アタシです。ていうか、御祓いらしい御祓いできるのって、事務所に一人 しか……」


 衝撃の事実と共に沈黙が降りる。辺りに響くのは虫の声。騒めく木々の音。夏も終わりに近づいているが、まだまだ残暑が目立つ。


 しっとりと湿る脇を緩め、右足を引く。無洞は薄木へ背を向けると、地面を蹴った。


「どこへ行こうというのかね!」


 薄木が無洞にしがみつく。健全な男子なら涎もののシチュエーションであろうが、無洞にそれを堪能する余裕はない。今はただこの場から逃げ出すことで頭がいっぱいだった。


「除霊できない人と心スポ凸とかしたくないです。実家に帰らせていただきます!」


「ムトウ君、一人で突撃してたじゃない! 一人増えたって変わらないよ!」


「俺が行ったのは廃墟です、心霊スポットじゃない。あと、俺の名前は無洞です。どうせあれでしょ、薄木さん、『あっ、あそこにオバケいる! おっと無洞君には見えないか(笑)』とかやるつもりなんでしょ、俺は嫌ですからね!」


 暗い所が平気なことと心霊現象に耐性を持つこと、これは全くの別物である。無洞は前者は毎朝食卓に並ぶ味噌汁のように受け入れることができるが、その中に浮かぶニンジンには拒否反応を示す。零感だが、見えない恐怖には人一倍敏感であった。


「除霊ならできる! できるから、無洞君。お姉さんのこと、めっちゃ頼ってくれていいから!」


 御祓いはできないが除霊はできる、その心は。ぴたりと足を止めて、無洞は腹に食い込む二本の細腕を見下ろした。


「信じていいんですね?」


「めっちゃ信じていい。不死原君のお墨付きだよ!」


 久狛井探偵事務所職員と出会ってから一ヶ月。そのような短い期間で信用できるほど、無洞はお気楽でもお人好しでもなかった。訝しく思う一方、自信に満ち溢れた薄木を見ていると、その言葉が真実であるかのような錯覚を覚える。


「……分かりましたよ。信じます」


 そう両手を挙げれば、薄木は安堵した様子で無洞を解放する。


 次いでそそくさと――無洞の気が変わらないうちにか――リュックを降ろし、準備を始めた。


「まさかここまで拒否られるとは思わなかった。無洞君って結構熱血キャラなんだね」


「熱血って……。少なくとも無気力ではないですけど」


「顔色悪いし隈も濃いのに無気力タイプじゃないって……外見詐欺が過ぎるのでは」


 ぶつくさ言いながら取り出されたのは巨大なボトルだ。一リットルボトルを二本、立てて並べたような形状をしている。よく見ると、その中はヘッドライトの光を浴びてキラキラとしていた。無色透明の液体が入っているらしい。


「何ですか、それ」


「薄木式除霊道具、芳香剤!」


 ずるりと、リュックからホースや伸縮式の棒が姿を現す。


 それは噴霧器だった。薬剤や水の散布に用いられる、この場に似つかわしくない道具である。


 唖然とする無洞を横目に、薄木はシュッと小気味よい音と共に霧状の液体を発射した。辺りに清々しいミントの香りが広がる。


「なるほど、ファブリーズですか」


「残念ながら自家製です。あと、うちはリセッシュ派なんで、そこんとこよろしく」


 再びミントが発射される。これ以上散布されたら目と鼻がおかしくなりそうだ。


「と、まあ脱線してみたものの、ミントを始めとした香辛料って結構有効なんだよ。オカ板でもよく取り上げられてるけど、案外理に適ってるんだよね。幽霊や化け物が現れる時って『魚が腐ったような』とか『生臭い』とか、そんな臭いと一緒に語られるじゃない? そういう個性を打ち消す意味で、消臭や芳香は有効なの」


「臭いごときで相手をどうにかできるとは思えませんけどね」


「あはは、『ごとき』か。まあ、確かに『ごとき』ではあるけど、『されど』なんだよね。個性で売っているやつは個性を殺されたら生きていけない。幽霊や怪異は個性の化身みたいなものだからね」


 まあ、相手は選ぶだろうけどね。薄木はそう口にすると、再び噴霧器からミントの霧が噴き出す。


「さぁて。いつまでも駄弁ってても仕方ないし、とっと始めようか」


 心霊現象の頻発する廃屋の調査。それが今晩の仕事である。危うく薄木夕真による実地講習と錯覚してしまうところだった。


「最初は何をするんですか?」


「まずは……うーん、そうだね。家をぐるりと回りつつ、芳香剤振り撒こうかな。打ち合わせ通り、録画よろしくね」


 ビデオカメラは記録用であり、同時に霊を発見する装置でもある。


 幽霊や物の怪などの「生者」と異なる存在は、ヒトの目に映らない代わりに機械の目に対して主張することが多い。写り込むことはもちろん、時に録画を止める、砂嵐を起こす、などの障害を引き起こす。これを霊障という。


 それらサインには、反応してきた怪異の状態――友好的か敵対的か、はたまた無関心か――が込められているため、決して無視はできない。それを確認するのが、霊感ゼロの無洞の仕事だ。


 無洞はカバンからハンディカメラを取り出して起動する。曇り一つないレンズを薄木へ向けると、彼女は決めポーズとばかりに噴霧器のノズルを肩に担ぐ。


「ちゃんと録画できてるかな?」


「RECマークはあります」


「よしよし。じゃあ、何か異常があったらすぐに言ってね」


「女の人が映ってます」


「それアタシじゃない? 異常じゃないよね?」


 画面の中で、薄木がヘッドライト付きのヘルメットをかぶる。それをもう一つ、同じデザインのものを無洞にもかぶせると、


「あ、忘れるところだった。無洞君、ちょっと口開けてくれる?」


 言われるがままに口を開くと、間髪入れずに冷たいものが噴き付けられた。鼻腔と喉を直撃するのはミントの香り。噴霧器のタンクを満たす、薄木特製の芳香剤であった。


「な、何するんですか!」


「『お憑かれさま』にならないよう、一応ね。予防はしておこうと思って。まあ、下見の段階でそんなに強い霊はいなかったから大丈夫だろうけど」


 芳香剤は飲み物ではない。パワハラで訴えたら勝てるのではないか。上がりつつあった薄木の株は、ついに地に落ちた。


「そんなことしなくたって……零感の人に霊は憑かないんでしょう?」


「無洞君は特別だからね」


 特別。


 その言葉は、たびたび無洞に向けられていたものだった。スカウトされた日、調査同行の申し出を拒否された日、あるいは何の変哲もない日常会話の中で。その理由は未だ明かされていない。


 思い上がってよいものか、それとも懐疑の目を向けるべきか。人生経験豊富とは言い難い無洞には計りかねていた。


 首を捻る無洞を余所に、薄木はそそくさとログハウスの中へと入ってしまった。無洞は舌打ちをしたくなる気持ちを抑えて、その背を追った。

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