第 拾漆 輪【本当に凄い人は自分ではなく他人から認められる人】

 予想を遥かに上回る速さと下回る軽さで〝餞別せんべつふるい〟を突破した二人。


 貧血気味なのか肩を借りながら進む次会場への道中にて。


 その人影は猪突猛進の勢いで桜香達に向かって走ってきた。


 二人して目を擦り合わせ凝視しても、うっすらぼんやりとしていて誰だか分からない。


 そう、思い出すまでは。


「あれれ、楓美ちゃん。目の前から見覚えのある人が来てない? 何だか凄く怖い顔してるし」


「本当ですね桜香様。如何にも人相の悪そうな横柄な態度ですね。おまけに顔が真っ赤です。あれはきっと野生の蛸ですね」


「蛸って二本足だっけ? 会った気がするんだけどなぁ。どこでだろうな……」


「「う~ん」」


 何やら難しそうに眉間へしわを寄せ、腕を組み悩んでいる間にも人影は走り寄ってくる。


「あっ」と、雷鳴の如く閃いた楓美。

 人差し指を立て自慢気に胸を張りながら言った。


「思い出しましたです!? もしかして、呉服屋さんのところにいた男性じゃないですか?」


「それだ~!! ぐわ~って襲ってきて、ひょいって投げられたと思ったら、うわ~ってなった人だ!」


 互いに顔を見合せ嬉しそうに両手で音を鳴らす。

 そのまま指を絡ませ小躍こおどり気味に言った。


「流石だね楓美ちゃん。これで悩まずお団子も喉を通りそうだよ」


「お役に立てて良かったです。……って、まだ試験中ですから食べないで下さいね?」


「あはははっ、そうだね! 次で最後だから気を抜かないで頑張ろう」


 緊張感無く和やかな雰囲気を纏う、そんな最中。

 何かから逃げるような素振りで二人の間を割って入る男。


 力ずくで押し退けられたせいか、桜香達は通路の両脇にそれぞれ吹き飛ばされた。


「きゃっ!」


「うわっ!!」


 尻餅を着いて痛がっていると、打ちのめされた彼なりのせめてもの抵抗なのだろう。


 男は振り向き様に怒号を発した。


「こんなところ何て二度と御免だ! お前達全員、植魔虫に殺されてしまえ!!」


 正に〝泣きっ面に蜂〟感情任せの捨て台詞が桜香達の頭上を通り過ぎる。


 誰にも反応されず、只それだけを言い残し何処かへ去って行った。


「な、何だったんだろうね。あれ……」


「あの方、随分と物騒なことを言ってましたです」


 疑問を抱えながらも立ち上がり手で埃を払う。


 すると、更に奥の部屋からも感情の込もった野太い声がした。


 先ほどの男が出て来た方向からだ。


 中では顔が大福のようにふくよかな中年の男が落ち着きのない様子で立つ。


 二色団子に似た丸く小さな体格を存分に使い悔しそうに床を踏み鳴らしていた。


 聞き分けのない幼子が母親にねだるかのように両手拳を握り身体を揺する。


 大人と子供ほどの身長差のせいか、やや上目遣いになりながらも横の人物へと問い掛けた。


「せっかく寛大なる慈悲を掛けて下さったのに無礼千万な奴め! ――様! わたくしめに粛清の許可をっ!!」


 目線の先には、妖しく潤んだ口元を艶やかな黒色の扇子で覆い佇む一人の女性。


 その姿はまるで、夜蝶が羽を休めているさまに酷似していた。


 今か今かと焦る大福顔の男に対して、女性は悩む間もなく淡々と答えを告げる。


「いいえ、何もしなくてもいいわ……〝吉皐きちこう〟。時として本能に従う選択にいて、逃走を選ぶのは決して恥ではない。むしろ誇るべき英断だと言える――だってそうでしょ? 曖昧だった己の本質を晒し、


 あくまでも冷徹に振る舞うその気迫に圧倒され、少々弱気になりながらも吉皐きちこうは食い下がる。


「ですが、折角の貴重な推薦状があのような輩のせいで無下むげにされては、他の者達への示しが……」


 しかし、閉じられた扇子の親骨で話を防がれてしまう。


 鼻を豚のように鳴らし呼吸を荒くして反論の構えを見せた。


 むなしくもぐうの音も出ない正論によって見事に拒まれる。


「貴方は剣士である前に一人の良識ある人間。脳の無い化物ではないのですから、あまり物騒なことを口にするものではなくてよ?」


 爆発寸前だった気持ちのたかぶりが驚くほど引いていく。


 要因は扇子の骨組みである香木こうぼく

 主原料である白檀びゃくだんを嗅いだからだ。


「少々、熱くなりすぎて要らぬことをしてしまい大変申し訳ございませんでした……」


 謝罪の一言を聞き再び口元を隠すと、母が子を寝かしつけるような声色で語り掛ける。


「貴方が心配をする必要はないわ。此度こたびの試験は十二分に期待しても良いと〝國酉こくゆう〟からも言伝をもらっているもの」


 先ほどまで自身の唇に付いていたそれが、女性の顔に当てられ思わず頬が赤く染まる。


 気にしていない素振りを見せているが、意識してしまうのが男のさが


(も、も、も、もしかして私めのが……当た、当たって……いかんいかん! そんな破廉恥はれんちなことが有ってなるものか!!)


 まるで初恋相手を前にした乙女のような振る舞いで頬を赤く紅く朱く染め上げる。


 あらぬ妄想で悶絶し恥ずかしがっていると、女性は腰を折り曲げ扇子一枚へだてたところまで顔を接近させた。


「いい加減、五月蝿うるさ吉皐きちこう。この私がいるのに独り言をしてどうしたのよ?」


「え、嫌、何もありませ~ん? ふぇふぇっふぇっ~」


「そう……なら、今一度身を正せ。もうすぐ期待の新人とやらが来るぞ?」


 鋭い眼光の先に映る者、間を開けずして桜香と楓美が到着した。


 開口一番の大きな大きな挨拶を添えて。


「ほら、楓美ちゃん。やっぱり由空ゆそらさんだよ!! 先日は助けていただきありがとうございました!」


「桜香……様? この場にいると言うことはもしかしてあの方は――」


 何かに気が付いたのか顔がみるみるうちに真っ青に変わる。


 そうとは知らず明るく元気に手を振りながら近づく桜香。


「あら、しずゑさんのところにいた子達じゃない? そう……やはり貴女達だったのね……」


 由空は二人を見るなり事細かな個々の本質を瞬時に把握した。


(桜香……って言ったかしら? 背に包まれた物は種子刀或いは芽吹刀。恐らく誰かの形見って処かしら?。それに、見るからに気弱な隣の子は自分の行動一つ一つをどうしてか恐れているみたいね――面白くなりそうだわ)


 そして、歩みを進み続ける桜香を吉皐きちこうが身体を目一杯使い制止させた。


「こら、お前!! 誰を前にそんな気さくな態度を取っとるか! 友達ではないのだぞ、無礼千万処かまっこと愚かまである!」


 横柄な態度の吉皐きちこうに桜香も負けじと胸を張る。


「誰って……強くて優しくて誰にも物怖じしない由空さんでしょ? いつ会っても優雅で綺麗だなぁって思いますけども!?」


「違う、違う、違~う!! それは世を忍ぶ仮の姿よ。本来はお前なんぞがおいそれと話して良い御方ではないわ!」 


 両者一歩も譲らない展開の中で、桜香は後方を振り向いて助けを求める。


「もう、何なの……ねぇ、楓美ちゃ~ん。この人どうにかして~。言ってることさっぱり分からないよ」


 同意を求められ激しく首を横へ振ると、よほど察して欲しいのか両手を絡ませ願う楓美。


(いい加減気が付いて下さい桜香様。由空さんも然ることながら、その小さな方も未来の上官だと言うことに……です)


(あれ、楓美ちゃんが眼を閉じてるぞ。お腹空いて眠くなったのかな? 一体全体どうゆうこと?)


 困り顔のまま再び顔を正面に向けると、不適に笑う吉皐きちこうが偉ぶりながら叫んだ。


「ふっふっふ、無知な小娘に教えてやる。花の守り人を目指すなら知っておろう。〝鳥〟を冠し、お前なんぞを推薦した國酉こくゆう様も属する準最高位の〝花鳥風月〟を! 由空様はその頂点に君臨する。それ即ち、今のお前達の将来を決める立ち場の方でもあるのだ!!」


 何やら熱くなる吉皐の頭上を通過して、扇子で涼しげに仰ぐ由空の姿は、立ち振舞いや横顔がとても絵になる。


 そんな光景に見惚れながら冷静に現実へと戻り、やっとの思いで意味を理解する。


「え、そうなの? 楓美ちゃん?」


「はい、です。恐らくですがこの試験の最高責任者かと」


「あわわわわっ」


 何とも言えない表情で固まったまま後退り楓美の背中へ急いで隠れる。


 ことの重大さにようやく気が付いた桜香の冷や汗は止まることを知らなかった。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る