第 伍拾肆 輪【流浪に希望を背負う鳥】

ワルいことはわないわ。ワタシマエアラワれるなら、子供コドモもろともになさい!」


 薊馬のしなやかな関節から繰り出された七ちゃんは、青葉や村長へと向かって投げられた。


「ききゅ~~っ!」


 雨を裂く凄まじい回転、加えて力任せの豪速球は一直線に着弾――せず。


 青葉の眼前で突き出た七ちゃんの顔が止まる。


「!!?」


 驚く余裕があるほど


 咄嗟に薊馬と青葉との間に割り込み、布袋で勢いを殺して七ちゃんを捕った人物がいた。


ダレよ、あなた?」


「お姉……ちゃん?」


 薊馬が面白く無さそうに呟き、青葉は一瞬だけ浜悠の姿が見えたのか自身の眼を疑い擦る。


 その人物は透き通った桜色の瞳を持ち、無防備ながらも堂々としていた。


「あれ……違う……桜香ちゃん?」


「やっぱり七ちゃんに着いてきて正解だった!! 色々と待たせてごめんね青葉君。後は私達に任せて!!」


「ゆっくりと食事ショクジも出来やしないわね。次々ツギツギエサるのはいんだけどぉ~。いい加減カゲンちょっとしつこいわね?」


 桜香が来たところでこの状況を打開できる策はない上に闘う武器もない。


 有るのはおのが傷付いた身一つのみ。

 両者が正面から衝突した所で、勝敗は火を見るよりも明らかだった。


 しかし、薊馬が甘く見ていた火はたぎ


 その心に灯すは――幾多の勇気をべた〝灼熱の業火〟。


(お祖父ちゃんが亡くなったあの夜と違って刀がない今……。私はここで死んじゃうかもしれない。でも、だからこそ胸を張って最後まで闘うんだ。もう、後悔はしたくないから!!)


 これは喧嘩ではなく命を賭けた殺し合いだ。

 そう、頭で分かりながらも不恰好な戦闘姿勢をとる。


「来い……!」


「良いわ。そんなに死に急ぐなら殺してあげる。その前に、う"ぃ"え"ぇ"……」


 薊馬が嘔吐するとこの世の終わりのような地獄絵図、もとい混沌とした内容物が染み広がる。


 まだ息をしているが原形の分からない溶解している者が助けを懇願していた。


(うっ、酷い悪臭。一体、何れくらいの人を食べたの……えっ、あれは!!)


 その中には母の刀があり、血肉や体液にまみれても尚、その輝きが失われることはなかった。


コレ貴女アナタのでしょ? さぁさ遠慮エンリョらないわ。使ツカってみなさいよ。――〝華技〟を」


 薊馬はあろうことか自らを殺傷できる〝花輪刀〟を桜香に差し出したのだ。


 これは、二度とない好機と呼べる。

 今度こそ誰かを守れると固い意思が柄を強く握らせた。


「あの時の夜みたいにきっと。私ならやれる……出来るんだ!!」


 桜香は動揺を払拭するように、まるで息を吐くように抜刀を――


「!?」


 娘の気持ちとは裏腹に母は答えてはくれず、待雪同様に刀身を抜くことは叶わなかった。


 至極当然の結果に薊馬の頬が緩み、思わず大量の涎が口から漏れる。


「もう、それ――貴女アナタみたいな威勢イセイだけのお馬鹿バカさんは、植魔虫ワタシタチ脅威きょういにさえならないの……オボえたかしら?」


 隙だらけで棒立ちの桜香に、突き刺さるように繰り出された拳は小さな体に深く深く沈み込む。


 その圧倒的な衝撃は凄まじく、幾本の骨が耐えきれたかは定かではない。


 だが、確実に殺意を込めた一撃を喰らったのだ。

 到底、無事では済まなかった。


「がはっ……」


 数mも吹き飛ばされた身体は、後方の木へ勢い良く叩きつけられた。


 糸の切れた傀儡かいらいのようにぐったりとして動けなくなった。


 吐血。嘔吐。意識の混濁。感覚の麻痺。

 今まで経験したことのないそれら全てが桜香を執拗に襲う。


(痛みが……ない。流石にもう……駄目だ。手も足も頭の中も、まるで自分のじゃないみたいにちっとも動かないや)


 薊馬は当然の結果に見向きもせずに、地へ転がる純白の刀を持つと再び胃へ納めた。


「んぐっ……あぁ、やっぱり最高サイコウ不味マズいわね」


 幾百、幾千と植魔虫をほふり去った特級の業物でさえ、所有者が握らねばただの〝棒きれ〟に過ぎない。


 周りを見渡せば逃げずに残る者は極少数だった。

 青葉の盾となって覆い被さる村長と、血を流し微動だにしない桜香と七ちゃんの三人と一匹。


 軽々と脅威にもならない〝人間〟を払いのけ、確実で安全な捕食勝利を確信した薊馬。


 無邪気に桜香へ近付くと、高揚感からか身体の芯がうずいていた。


貴女アナタはもしかして馬鹿バカなのかしら? スベもなければ〝ハナマモヒト〟でもない。力量リキリョウノウもない人間エサ風情フゼイが、ワタシかうですって?――本当ホントウ本当ホントウ虫酸ムシズハシるわぁぁぁ!!」


 これは薊馬にとって対敵への称賛しょうさんではない。


 皮肉の効いた嘲笑ちょうしょうでしかなかった。


 薊馬は、変わりゆく天気のような感情が好きだ。

 薊馬は、一掴みの希望を潰し絶望の底を与えるのが好きだ。

 薊馬は、美しく整った人間と言う生き物が何よりも好きだ。


 だが、それ以上に形ある物を力任せに醜く歪ませるのが――


「キャキャキャキャキャッッ!! ツブすならぁ――ニ本ニホンより四本ヨンホンを、四本ヨンホンより六本ロッポンを使ってぇ……その可愛カワイらしいカラダを、ぐっちゃぐっちゃのカタマリにしてあげるっっ!!」


 奇怪な音を発しながら肉が裂けると同時に、薊馬の肉体には人成らざる六本の豪腕が追加された。


 それらは一斉に拳を握り固め、身動きの取れない桜香へ容赦なく振り落ろされた。


 勿論、このにいる誰が行動しても〝助かる選択〟は起きない。


(どうして……抜けなかったの……私には……何も……出来ないの? 誰も……守れないの?)


 呼吸をする毎に血が口に溢れてくる。

 瞬き一つするのだって気が狂うほど辛い。

 諦め切れない想いを胸に死を覚悟した。


 刹那――薊馬の拳が桜香へ届くことはなかった。


 虫の息となる桜香が辛うじて目にしたもの。

 それは、音もなく切断された腕が六本転がっている衝撃的な光景だった。


 綺麗に斬られた断面からは大量の血が滴り、不気味に変形した指がそれぞれ意識を持って動いていた。


「ふぇ……?」


 一瞬と満たない現実に理解が追い付かず夢心地の気分に浸る桜香。


 直後、地鳴りを起こし森中へ轟く薊馬の叫喚きょうかん


「アァ"ギュギャッ~~!!!」


 耳を塞げずに直撃し、体が縮こまって痺れているのが分かる。

 あまりの衝撃で鼓膜が破裂してしまいそうだった。


 訳も分からずに霞む視界を前方へ向ける。と、そこには桜香を村まで案内した老人の後ろ姿が映る。


(えっ、あの時の……おじいちゃん?)


 見るからに頼りがいがなく、強風で飛ばされてしまいそうな風貌ふうぼう


 巨木を思わせる薊馬と比べれば、腰が御辞儀ほど曲がっているせいか身体はより小さく見える。


 しかし、不思議と感じるのは何処か芯が通っていて、柔らかな雰囲気と貫禄があることだった。


「全く、儂は雨の日が苦手なんじゃ。〝空〟からだと老眼のせいで探すのに手間取ったわい。ところで嬢ちゃんや、桃は好き?」


「え、あ、う……」


 言葉が出ず命拾いしたことだけが多少の安堵となった。


(た、助かったのかな……。あれ? 何だか…………)


 一際、桜香の目を奪ったのは、色鮮やかな羽織も然ることながら、背中に縫われた


 中央に鎮座する一羽の鳥を起点に、均等に配置された金色の五枚羽根は外側へ向かって伸びている。


 辺りを暗く染める荒天でさえ異彩な輝きを放ち続け、隠しきれない存在感を露にしていた。


「ほっほっほっ。痛いかも知れんが、もうしばらく待ってくれんか? 大丈夫。――」


 妙な安心感と自信に納得してしまった桜香。


 それもその筈だった。

 老人の手には花の守り人の刀が握られていたから。


 幾度も邪魔が入り暴れ狂う薊馬は、尋常にならないほど取り乱して喚いていた。


イタい!?イタい!? イタいじゃなぁぁぁい!? ワタシのぉぉお~! 腕腕腕腕腕腕ウデウデウデウデウデウデがぁぁぁあっ!!」


 怒り、暴れ、吠え、気を狂わせた薊馬を前にして尚も一切の表情を崩さぬ老人。


 臆せず、怖じけず、ずぶ濡れとなった髭を丁寧に絞りながらその名を告げた。


「本来、名乗る程の者じゃぁないが、流離さすらいの老人……嫌。一介の〝花の守り人〟の方が聞こえが良いのぉ。まぁ今は、國酉こくゆう――とだけ言わしてくれんか?」


(良かった……助けが来たんだ……でも、ひとりで……大丈夫……かな?)


 雨粒同士の隙間を縫うようにして紡がれた言葉。


 それは、意識を失いかけている桜香にとって確かな希望の一矢となった。


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