第 弐拾漆 話【なりたい自分とならなきゃいけない自分】


 静かに廊下へ出るとふすまを音もなく閉め、振り向いた途端に背中を預けて寄り掛かる。


 強く握り絞めた〝未蕾刀みらいとう〟の重さのせいか、力が抜けた様に床へと尻餅を打ち付け


「んっ。ふ~っ、ふ~っ、ふ~っ……」


 と、至極当たり前な筈の呼吸を思い出した様に、ゆっくりと整えながら繰り返す。


(このままじゃ駄目だ駄目だ。早く、平静を保たなくちゃ……家族を失った時の〝恐怖〟が、涙が枯れる〝静寂〟さを思い出す前に!!)


 植魔虫に襲われた両親が亡くなった事実は、生家ここへいつ戻って来ても慣れない。


 浜悠が意図的に忘れ様とした訳ではなく、


 血の滲む努力で〝守るための力〟を手にしても、根本的に人は急に強くは馴れない。


 どんなに外見を上手く装っても、人間の根本的な部分は必ず何処かでほころびる。


 たった一人で行う狩りの際は、ひたすら目の前へと意識を向けている。


 そのため、生きるか死ぬかの狭間で精神が揺らぐことは決してない。


 しかし――張り詰めた〝理性の糸〟が切れれば、途端に自暴自棄でみじめな自分が姿を現す。


 もし、自分が生きて帰れば〝家族〟揃って、笑いながら『お帰りなさい』って言ってくれる気さえした。


(はぁ……辛いな。感情に押し潰されて不安定になるのが怖い。――けど、その自分自身を見失う時はいつだって突然なんだよね)


 木製の柱が剥き出しの天井を見ていると、不思議と瞳に溜まった涙は一気に溢れない。


 代わりに視界は歪み、全ての世界が沈んでしまった様な感覚に陥る。


 それでも鼻を小刻みにすすり、火照った顔全体が熱を帯びてきた。


「んっ……ひぐっ……うぅ……」


 内から込み上がる嗚咽おえつを、必死に我慢しても震える唇。


 まるで自身を映した鏡のように、胸の鼓動が感情に左右されて激しく脈打つ。


「私なんて……。私ごときが……。」と、自身を卑下する度に頭の中で負の感情が連鎖する。


 何度、心身ともに傷付いた事か。


 何度、眼前で命の灯火が消えた事か。


 何度、泡沫うたかたしあわせに手を伸ばした事か。


 それでも自身を今まで保てたのは、生前の母や父が〝花の守り人〟を志す我が子に対して、日頃から口癖の様に聞かせていた言葉のお陰だった。


「どんなに今は辛くとも決して下を向かず、いつかの幸せを振り返るために歯を食いしばって上を向く事」


「いつまでも足元だけを見つめても、意思がない足では〝未来さき〟へは進まない」


「これから浜悠あなたは、沢山の命を救う人間になるのよ?。 


 幼き頃から記憶に焼き付いた声は、色濃く心に刻まれている。


 忘れることはない――幾度となく救われた言葉達に感謝してもしきれない。


「辛い何て……言ってられ……ないよね……。私、お姉さんだから……〝花の守り人〟だからさ……」


 声にならない声を押し殺した浜悠は、白布の袖で涙を拭き取る。


 自らのかせとなっていた不純物が、涙と一緒に洗い流されたようだった。


 一息ついて抱いていた刀を持ち、腰を上げ「よし……」と一言だけ呟く。


 わずかばかりの涙跡を目元に残し、止まりかけた歩を再び進めた。


〝掃除〟〝洗濯〟〝食事〟――この世に数多ある終わりのない家事達。


 命を費やす日々の生活の中で、繰り返し行わなくてはならない存在である。


 体がなまりの如き疲労時なら尚更、憂鬱かつ端的に言えばだ。


 と、普通ならおろそかにする筈。


 それでも自身はまゆうの性格上、


 雲1つとない空で陽光が辺りを優しく照らし、天へと伸びる木々達がそよ風で揺れ動く。


 今日はいつものゆったりとした時とは違い、


「わ~た~し~が~帰って~き・た・よ~!!」


 浜悠のはっきりとした透き通る声が、家を僅かばかり揺れ動かす。 


 休憩で止まっていた小鳥は一斉に飛び去り、天井の木梁からほこりが舞う。


 窓から差す陽光も手伝い、


 例えるなら、冬空からの贈り物――〝粉雪〝の様に無防備な頭上へと降りかかる。


 それらは、装備一式おそうじどうぐがない浜悠の、目、口、鼻、至る部位に直撃。


 「あ、そう言えば何時いつやったかな天井掃てんじょうそう……くしゅん!? ん゙っ。何か喉に引っ付いてきた!。けほっ、けほっ!」


 天井を見上げながらせきで声が渇き、不意打ちのくしゃみで鼻水が垂れた。


 変な入り方をしたせいか、頬が赤まり体温が上がる。


 苦しくも涙目になりながら、息を整えて平静を保つことを試みた。


「これは早々に私がやらなければ、誰がやるんだろ……。何か良く見れば、変なきのこも生えてるしさ。はぁっ……すぅ~っ!」


 と、ため息をして直ぐに、口一杯の空気を吸い込む。


 これは、幼い頃に祖父に言い聞かされた「悩みを自身で消化せずに体内から出すと、幸せも一緒に逃げてしまうぞ?」


 と記憶にある言葉を、今でも大切にしている故の行動だ。


 しかし、またもやせ始め、あまりの驚きに一瞬だけ祖父を恨んだ。


「ごほごほっ! うへ~~苦い。変なの吸い込み過ぎたぁあ!!」


 苦虫を噛み潰した表情と共に前屈まえかがみになり、手入れされていない白髪が顔全体を覆う。


 つややかな口元に、乱れた数本の毛が入ると息を吹きかけて飛ばした。


 不貞腐ふてくされながらも数秒間の静止を経て、眉間みけんしわがなくなりようやく機嫌を取り戻す。


「いけないいけない。私とした事が、少しだけ取り乱しちゃった。さぁて、支度支度~っと!「


 両手で頬を二叩きし気合いを入れ、口に髪止めをくわえて掻き上げる。


 慣れた手付きで後方へまとめ、1度、2度、3度、と輪を通して止める。


 内向きな毛質のせいか結った箇所から数本の束に分かれ、まるで彼岸花の様に後頭部に花が咲く。


 汚れぬように手作りの絹で織られた前掛けを着用し、三角頭巾さんかくずきんを被る。


 数多ある和室を隅から隅まで余すことなく〝掃き・拭き〟を行う。


 最後に祖父と弟達のいる寝室前へと忍び寄り、ふすまを体の幅分だけ開ける。


 中の様子を見るために白色の瞳で覗き込みながら「お邪魔しま~す……おっ、まだ2人とも寝てるね?」


 と、就寝している2人を発見。


 そして、狭い隙間を体をねじって通り抜け、予備動作なしの無音で4畳分の幅を1歩で跳躍。


 呼吸の有無を、祖父は右手で、青葉は耳元で確認。


(うんうん。一定の間隔で呼吸が繰り返され、心臓の鼓動も安定しているね)


 思わず嬉しそうに微笑みながら、小さくうなづいた。


 自身が発する物音等で起こさぬ様、部屋外に素早く戻る。


(呼吸良しっ、体温も良しっ、ついでに……青葉の寝癖も豪快だ!。 !」


 刀を振り過ぎて出来たまめだらけの両拳を固め、笑みを溢している口元を隠した。





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