第 陸 輪【楓美の災難】

 それから、およそ一時間が経過した頃。

 納得のいく結果になったのか、満足そうに笑みを浮かべる店主が先に出てきた。


「さぁ、出来ましたよ。わたくしの見込んだ通りお似合いなよそおいです。こんなに素敵な場面に立ち会えるなんて〝呉服屋冥利ごふくやみょうり〟に尽きます!」


「いえ、こちらこそ長い間ありがとうございました。あれ桜香様は何処に?」


「私はここに居るよ~楓美ちゃん。お待ちどおさまだね」


 商品の着物に隠れて顔半分だけが覗いている。


 ちょっぴり恥ずかしそうに振る舞いながら、素早く物陰に移動しながら近付いていく。


 そんな桜香の到着を前に楓美へ歩み寄る店主が静かに耳打ちをした。


「ふふふっ、一時はどうなるかと思いましたが実物を見たら驚かれますよ? とっても可愛いらしいですから」


「それは楽しみですね! 早く来ないかな~」


(緊張と期待感で心臓が止まるかもしれませんです。幼い弟と妹達よ、齢十七で死んでしまう姉をどうか許してください……)


 祈るように眼を見開いては、渇いた唇を潤し高鳴る鼓動は胸を膨らませた。


 その時が訪れるのを見守る楓美。

 数秒後、桜香が気恥ずかしそうに目の前へ現れた。


「ど……どうかな?」


 口元を袖で隠してはいるが、夕陽のような頬のほのかな赤みが見えた。


 後方一点に結われていた髪は、頭上で綺麗なお団子状になって丸められている。


 三本線の金色をした留め具が個々を主張して光っていた。


 着物は桃色が主体ではあるが、劣ることなく決して負けてはいない。


 帯の上からは淡い朱色をした細物の帯絞おびじめ。


 次に装飾品である〝花水木はなみずき〟を模した小さな帯留おびどめ。


 足元には雲のように真っ白な花緒はなお草履ぞうり


 七ちゃんの入る汚れた腰袋は和柄の巾着袋に進化。


 頭から爪先までの全体像が完璧だったのか、床へ滴るほど鼻から流血する楓美。

 震える親指を立てながら、辿々たどたどしく言った。


「それはずるいです桜香様……だって……想像以上に尊いを越え過ぎています。うちは、このまま天に召されそうです」


「もう、楓美ちゃん。褒めすぎだよ」


 恥ずかしがり照れながらも満更でもない様子。


「あら、お客様。肝心な物を忘れてますよ?」


 荷物置き場にあった刀を店主が重そうに持ってきた。


 最後に〝母の形見〟を掛けてもらい優しく背中を押される。


「きゃっ!!」


 その衝撃で顔面から抱きつく形になった桜香。

 柔肌を間近で感じて呼吸困難になった楓美は、耐えきれずに無防備のまま後方へ倒れた。


 ある意味長い着物選び闘いを終えた二人は、入口付近の縁台えんだいへと腰掛けていた。


 大慌て、大汗を掻いて、大袈裟な手振りを交えながら、とても心配そうな表情で呟いた。


「楓美ちゃん大丈夫? ぶつかってごめんね、頭は痛くない?」


 床へ強打した後頭部を水で濡らした布で冷やし、天井を向きながら鼻声で答えた。


「えぇ、大丈夫です。ちょっと刺激が強すぎましたね。それよりも……うちのせいで御召おめし物は汚れてませんか?」


「私何ていいからさ、折角の綺麗な顔がお煎餅せんべいみたいになっちゃったら一大事だよ!? ほら、ちゃんと冷やさないと!」


 桜香は手水桶ちょうずおけから予備の布を取り出す。


 水が大量にしたたり続けるそれを持ち、何を思ったのか楓美の顔面へ押し付ける。


「うぷっ、桜香様ほうはしゃま息が出来ませんいひがでひまへん苦しいですふるひいはふ


 それは彼女なりの優しさ故にだったのですが――何と言うことでしょう。


 抵抗する度に柔らかで真っ白な布地が見る見る内に、あかあかあかく染まっていくではありませんか。


 そう、まるで荒野で健気に咲く〝一輪の花〟。


「もう、楓美ちゃんたら。こう言う時に動いたら余計に悪化しちゃうから落ち着いてて!」


「あ……う……助っはす……いひ……で……す」


 片や生命の危機を感じて暴れ回り、片や要らぬお節介で押さえ付ける。


 楓美とて愛する者に殺されるなら本望だが、

 朧気おぼろげな意識のまま全力で叫んだ。


誰か助けてはへははふへへ~! ~!!」


「ほら、痛いのは分かるけどここで我慢しなきゃ駄目だよ! 小さい子じゃないんだからさ〝めっ!〟だからね!?」


 一方通行でまともな会話が成り立たないまま、生死を賭けた一進一退の攻防を繰り広げる。


 騒ぎを聞き付けて店仕舞いをしていた店主が慌てて走ってきた。


「えぇっ、お、お、お客様。どうなさったのですか!? じょ、状況が一切読めませんが……その方、死んでしまいますよ!?」


「嫌だ嫌だ~死なないで楓美ちゃぁ~ん!」


 桜香は涙ながらにぐったりとした酸欠状態の身体を揺さぶる。

 その間、楓美にはうっすらぼんやりとした走馬灯が見えていた。


(これはおかしいですね。目の前に亡くなった叔父様が見えてきました。ふふふっ、手を振ってますね。とても不思議な感覚です――)


 夢心地な気分で安らかな眠りに就こうとしたのも束の間。

 睡魔から目を覚ましてくれたのは、お腹の空いた七ちゃんからの怒りを込めた洗礼だった。


(ぎゅきゅきゅっ~!!)


 自由の効かない袋内で飛翔したことにより、無防備な楓美の額へ強烈な一撃を喰らわす。


「ぐふっ……痛っ!」


「おはよう楓美ちゃん。調子は良くなったかな?」


 痛そうに両手で押さえていても、乱れた黄色の前髪から覗くほんのりと紅潮こうちょうしたひたい

 

 それらを包み込むように、頭頂部から毛先にかけて安心感のある新緑色をした長髪。


 まるで秋の風物詩――紅葉が如く鮮やかで惚れ惚れする色合いになっていた。


「ぶふっ、あはははははっ!!」


 涙目で痛がる楓美との不釣り合いな美しさに、よほど可笑しいのか桜香は思わず吹き出す。


 かくして、店主の頑張りと七ちゃんの活躍で二次災害の発生は未然に防がれた。



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