第 玖 輪【夢中になっても己を見失うな】
息遣いや足音等の人が発する音に聴覚を研ぎ澄ませ、我武者羅に歩いて歩いて歩き続けた。
やがて幾時間が過ぎ去り、真上にあった陽が傾き始めた頃、桜香の努力が報われることになる。
疲労のせいか息も絶え絶えになり、木に手を掛けながら目の前の獣道をぼんやり眺める。
すると、見たことある物を持った人が、左から右に向かって颯爽と走る姿を確認した。
それは奇跡――否、桜香の決して諦めない努力と偶然とが重なり、最速最短距離で追い付いていたのだ。
走る姿勢が低く分かりづらいが、齢16の少女よりも小さい気がした。
顔は黒子の様に布で覆われており、目の箇所だけが雑にくり貫いてある。
何やら人の気配に勘づいた泥棒の視線と、桜香の瞳が合った。
数秒にも満たない時の流れだが、当人同士の感覚としては十分でも一時間にも感じていた。
互いに息の合った「「あっ!?」」、と言う声を出すと、泥棒は血相を変えて一目散に逃げていく。
桜香はこの機会を逃しまいと、全ての体力と気力を走る動力へと変換。
あと少しで刀に手が掛かる所まで追い詰める。
大の大人ならまだしも女性や子どもには、やや重すぎる刀のお陰で泥棒の足が鈍っていた。
(後少し、私の足もっと速く動いて!限界まで手を伸ばして!)
しかし、この時の敗因は、取り返す事に夢中になり過ぎたこと。
更に足元を良く見ていなかった事が災いの元になる。
あれほど見失わない様に注意していた刀泥棒は、瞬時に視界から消えてしまった。
気が付けばいつの間にか、桜香の足は宙を蹴っていた。
それは足の麻痺や目の錯覚等ではなく、只単純に地面が足元から消えていたのだ。
「わ~ここの景色綺麗だなぁ~――って、違う違っ!! 嘘嘘嘘、道が無い!。落ちっ……きゃあぁぁ!!」
桜香の髪や、体に巻いてある包帯が、空に向かって
(えっ。こんな所で私、死んじゃうの?お祖父ちゃんとの約束は?お母さんの刀は?)
この場においての最善と呼べる解決策を、瞬時に複数程思い浮かべ頭の中を巡らす。
だが――時に現実とは、感情もなければ無慈悲で非情だ。
「どう考えても無理なもんは無理だぁぁぁあ!!」
死を覚悟し地面まで残り僅かと言う所で、数々の思い出が走馬灯となって頭の中を駆け巡る。
祖父と過ごした幼少期から現在に至るまでの過程が、鮮明な映像の様に甦ってきた。
「あっ……これ本当に死ぬやつだ」と、思い半ばに諦めかけたその時、奇跡が桜香を包み込んだ。
草花が生い茂る硬固な地面へ、可愛らしい顔面から激突の手前。
落下する勢いを吸収する様に体が宙へと浮いた気がした。
桜香は不思議な力が働いた事に驚く。
又、自身が勢い良く尻もちをつき、痛がった事に対して二度目の驚きが来た。
「痛てててっ……って、あれ? 私ってまだ生きてる!?」
落下した所を下から見上げるが、さっきまでいた所は、高さのせいかボヤけていて良く見えなかった。
とてもじゃないが、人があの高さから落ちて平気な訳がない。
そう考えた桜香は「きっと羽のある天使や母が私を迎えに来るだろう……」と思い、地べたに座りながら暫く待ってみた。
桜香は夢幻でも見ている様な感覚に
大粒の桜色が美しい瞳には、柔らかなそよぐ風が吹き付け、桜香の瞳を無惨にも乾かしていく……。
視界が溢れでる涙で歪み始め、痛みで耐えきれなくなったのか四つん這いになる。
色どり豊かな草木に恵みの
「生きてる、生きてる、生きてるっ! 私、生きてるじゃん!」
数ある分岐点がある運命が桜香を生かす。
又、あまりの喜びに思わず、両手を天上へと向けながら笑み溢した。
流れる時は人々へ平等に刻み、数分程座り込んだ。
しかし、待てども暮らせども誰も来なかったので、ようやくそこで
辺りを見渡したが先程の様にひっくり返っている事はなく、何やらむず痒い感触が左肩から伝わる。
「そういえば、
桜香は共に行動をして愛着が沸いてしまったのか、大人しく肩に乗る
由来は至極単純、背中に黒星が7つあるから〝なな〟。
理由はそれだけだが、有ると無いとでは愛着の湧き方が天と地ほど違う。
どうやら右肩から落下中の風圧で一度飛ばされたが、運良く左肩に着地したみたいだ。
羽が有るとは言えさすがに動揺したのか、肩の上で時計回りに動いている
少しでも安心させようと、指で優しく背中を撫でながら言った。
「あなたも怖かったでしょ? 私はすっごく怖かったんだ」
自らも死ぬ思いをしたが、
怯えた行動や震えは止まり、機嫌を良くしたのか、両の羽を使い桜香の周りを
(
桜香は自分の力で空を駆け回る光景を目の当たりにして、思わず笑みを浮かべながら口を開いた。
「良いなぁ……いつでも自由に飛べるって何だか素敵だね?」
羽ばたく〝ななちゃん〟に魅了され、思わず見とれていたら
「ふぉっほっほ!!」と、軽快に手足を動かしながら近づいてくる腰の曲がった老人が現れた。
老人は前が見えているのか分からない程の、白髪一色になっている眉の毛量と、口が隠れる位の髭。
それに何だか暑苦しさを思わせるような、陽気過ぎる格好をしている。
桜香でなくとも、誰がどう見たって怪しい人物。
初対面で申し訳ない気持ちになりながらも、第一印象はそう思っていた。
突然の出来事に
「お嬢ちゃん、こんな所で座り込んでどうしたんだい?」
「あっ、えっと……」
桜香は思わず口篭ってしまった。
流石に、
「私、たまたまこの辺りを散歩してて、足元の小石に
老人は無言で
「おーそうかそうか。おにぎりの具は塩辛い鮭が好きじゃと……それにしてもやっぱり自宅で浸けた梅干しは最高じゃわい!!」
桜色の目を見開き、口が乾くほど開けながら桜香は思った。
このおじいちゃん、話聞かない系統の人だ……と。
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