第 漆 輪【道半ば歩き疲れて一休憩】


 刀の重みを体で感じ取る度に染々と思う。


 生前の母もきっと生きたのだろうな……と少しだけ物思いにふける桜香だった。


 自らが育ったこの地は幾度となく歩き慣れた道だったが、目の前に映る今日の景色は、桜香の瞳には違って見えた。


 まるで体が見えない糸で引っ張られる様に、勝手に動かされている。


 元から決まっている道の上を、独りでに歩いている様な感覚があった。


 自らの意思であって実はそうではない様に。


 例えるならば水面に浮いている葉っぱの様に、自然に任せた不思議な気分だった。


 地を踏みつける足取りは軽く、背負った刀はその存在を証明するかの様に重い。


「まだ空に陽がある内に、出来るだけ遠くまで進みたいな……」


 それから歩く事、幾時いくときが過ぎたか定かではなかったが、桜香は再び危機を目の当たりにする事になる。


 体長は両手よりやや大きめ。

 数本の黒い脚を暴れさせている。

 背中を地面へと密着させて、道端みちばたに転がっていた。


 そして、中々起き上がれない素振りをしている様で、桜香には一体何だか理解が出来ていなかった。


 エサを誘き寄せる罠なのか、自然を巧みに駆使する知恵なのか?。


 深く考える事に底無し沼にまるが如く理解に苦しんでいく。


 この数日で生存している植魔虫に会うのは極めて稀である。


 危害を加える種は殆どがによって討伐されている。


 きしむ体を無理矢理動かす桜香は、祖父が亡くなった時の事を思い出す。


 警戒と共に背にある刀を右手で掴む。

 互いの距離は、およそ3M弱。


 人である桜香と植魔虫である迂闊うかつには攻撃出来ない筈だ。


 力を入れて刀に手を掛けてはいるが、この前の様に軽く抜ける事は無く、1mmも刀身が出ずにいた。


 冷や汗と鼓動の高鳴りで頭がおかしくなりそうになりながらも、その視線を外すことはなく対象を見据える。


 だが、そんな桜香を嘲笑うかの如く、そいつは、対峙してから同じ格好で、手足をジタバタとさせるだけだった。


 小鳥のさえずり、風は木々を抜け、一心不乱に起き上がろうと暴れる謎の生き物と、自らの激しい心音で耳が痛い。


 その状況は、桜香にとってむしろ好都合であり、刀が抜けず斬れない今……選択肢はただ一つ。


 、この場から逃げればいいだけだ。


 (考えて見れば単純な話なんだよね……少しだけ迂回して、〝花の都〟へ向かえば良いんだ。そうすれば事もなく、無事にたどり着け――)


 思考の途中で理性が緊急停止を掛けている気がした。


「いや、それじゃ駄目なんだ。目の前で気づいた事は、!!」


 危険予知とは予め危険箇所に思考を先回りし、〝把握〟〝認識〟と、それに伴う〝対策〟をする事だ。


 今、逃せば他の誰かが傷付き悲しむかもしれない……そう思ったら、足は植魔虫しょくまちゅうの元へと前進していた。


 ゆっくりだが一歩ずつ近付く度に、は微塵も感じず、無意識の内に手で触れられる距離まで近づいていた。


 思考する頭では、体が勝手に動き腰を下ろしてしゃがんでいた。


 それはまるで自分の意思ではないかの如く、遠いの空の彼方かなたから全体の風景を眺めている感覚だ。


 植魔虫を目の前にしても、不思議と怖くない。


 否、まるでみつの様に、桜香の指先は見知らぬ物体へと引き寄せられていた。


 (触っちゃ駄目だ。触っちゃ――)頭の中で渦巻いてる内に、迷っていた少女の指は、忌むべき存在に躊躇ちゅうちょなく触れてしまった。


 平坦な人生を歩んできた桜香から、沢山の思い出や家族を奪い、苦しめてきた〝異形〟植魔虫。


 幼子おさなごが、地団駄を踏んでいる様子に酷似していた筈の異形。


 その見た目とは裏腹に、まるで藁を掴む様に力強く桜香の手に自らの足を絡めた。


 手の平程の小さな体は地面に転がっていたせいで、全体像が見えなかったがやっと見ることができた。 


 桜桃さくらんぼに似た赤く丸い身体。


 まるで熟練工が監修でもしたのか、星空の様に散りばめられた7小さな黒星模様。


 愛くるしいその見た目と細身の右腕をまるで小枝に登るが如く。

 ゆっくりと進むさまに思わず心を射たれていた。


 やっとの事で肘辺りまで進んみ始めた頃。

 どうやら腕の角度が厳しいのか、滑る様に手首まで下がっていった。


 幾度となく挑戦し奮闘する姿は、まるで己自身と闘っているようだった。


 食される人間と狩られる植魔虫。


 決して解り合えないと思っていたが、今この時の


 手助けをせず見守る桜香は、思わず応援の言葉を口にしていた。


「頑張って! 先ずは一歩ずつ確実にだよ!!」と、いつのまにか応援していた。


 それに答える様にめげずに挑み続けている。


 我が子に送る様に何度も何度も声をかけ続ける事。


 ――およそ数分が経過した頃。


 双方の努力と声援も相まってか、ついに桜香の右肩いただきへと辿り着いた。


 立つとが落下した時に危ないので、ずっとしゃがみこんでいた桜香。


 さすがに足も疲れたので、小さなを肩に乗せたまま、背筋を伸ばすように腰を持ち上げる。


 緊張し互いに息が届きそうな程の距離の中、肩に温もりを感じながら恐る恐る横目で見る。

 は襲う素振りもなければ、むしろ居心地良さそうに、身長160cm程の桜香の肩に居座っていた。


(あれっ? 思ったより可愛いなこの子……でも油断しちゃ駄目だ私……きっと何かの罠かも――)


 しかし、冷静さを取り戻した様に今頃気づいた桜香だが、そんな疑いの思考は呆気なく砕け散る事になる。


 登り切った時から数分経つ。


〝息を吹く〟〝指で小突く〟〝凝視する〟を幾度となく繰り返したが、未だに微動だにしない。


 その光景が意味するものとは……。


 あろうことか


 桜色の瞳は他所を向きつつ、悩ましい表情を浮かべながら口を開いた。


「疲れちゃったみたいだし、仕方ない……。起こさない様に歩こうかな」


 陽はいつの間にか頭上付近に昇り、桜香はが振動で落ちない様に、気を配りながら前へと進んだ。






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