第36話 初授業
息を切らせて廊下を走ってくるファナを伸也は目で追いつつ不思議と顔をほころばせていた。
「ごめんなさい・・・朝ごはんがおいしくてつい・・・食べ過ぎちゃって」
そう息を切らしながら教室に入ってくるファナに不思議とクラスは冷たかった。教師というかギルド職員は、ファナをじっと見るだけで何も言わなかった。誰かが隣の席の人に話したのだろう、クスクスという笑い声とわずかな音が教室を抜けていった。
ファナは深呼吸をしながら教室を見まわし、空いている席を見かけるとそこに座る。
この一連の動作を見ていた伸也は気持ちが沈んでいくのを感じた。何もそれはファナが自分隣に座らなかったからとかではない。
言葉では言い表せないなにかもやもやとした感情が心の中で生まれたからだ。
ギルド職員はファナが席に座るのを確認する前にクルリと体を反転させ、黒板の方を向きチョークで何かを書いていた。まるで、何も気にしていないかのように感じた。
2時間程度でガイダンスのようなものは終了し、休憩という形で解散となった。次は1時間後に中庭に集合だからなとだけ言い残しギルド職員は去っていった。
クラス内はわいわいとにぎわいを見せていた。
その中で伸也はただ一人ぼーっと身じろぎ一つせず、椅子の上で固まっていた。
正直ギルド職員が何を言っていたのか、半分も思い出すことはできなかったしもっと言えば理解もできなかった。
元の世界でやることがなかった伸也はよく本を読んでいた。それは、友達いないから本を読んでいるのか、本を読んでいるから友達がいないのかはよくわからない。一時期は本は友達だと本気で思っていたことだってある。国語の成績もそれに乗じてなのかはわからないが低くはなかったように思う。
しかしこの2時間はというと、別だった。
一つ言い訳をさせてくれるなら、なんか集中できなかった。耳から入った情報が脊髄を信号として脳に送られる過程で何かにジャミングされたみたいに、すっと体に言葉が入っていかないのだ。
問題はもう一つあった。どうやら伸也はこの世界の文字を読めないらしい。いや少し訂正しよう。文字を文字として認識できていないのだ。
感覚としては草書というより3歳児がクレヨンで画用紙に書いた、それこそ点と線でしかないもの(文字もそうだと言われればその通りなのだが。)を見せられてこれは文字だといわれているようなものだ。
まるで、伸也という脳みその中にはもとよりその文字を認識する機関が備わっていないように。
要するにわからん。
伸也は今まさに脳みそパンク中である。意識としては、第三惑星を彷徨う星である。
「ーx ーいしんやぁ おーい」
ふと自分の名前が呼ばれたような気がして意識が現実世界に戻ってくる。あたりを見回せば教室だった。今まで気絶していたみたいにキョロキョロあたりを見回す伸也を不思議に思ったのか声の主は、どうしたの?なんて声をかけてくる。
コスモスのようにかわいらしく凛とした声だった。この声音で伸也の名前を知っている人物は伸也は、一人しか知らない。
声がする方を向くとそこにはファナがいた。
「ごめんごめん。思ったよりも話が難しくて理解に苦しんでてさ。」
そう伝えるとファナはちょっと得意げな顔をして、幼いその体をめいいっぱいそらせて、私が教えてあげる!
そう言った。発育途中らしいその体らしく、どんなに胸を張ろうとも膨らみなんて何も感じなかった。
要約すると、この世界には10、100、1000という値段の硬貨が存在し、それぞれ値段が高くなるにつれ形が楕円に変わり、大きさが大きくなるってなにがガイダンスやねん。
誰も机の上に教科書なんて広げてなかったし、教師もそんな素振りはなかった。第一今日初日だよ?まず初めはガイダンスじゃないんかい。前言撤回。ギルド職員が言ってること一言も覚えてないわ。
脳内での戦争をひとしきり終えた後、教えてくれたファナに感謝を言った頃には、教室には伸也とファナ以外はだれも残っていなかった。
あまりの閑散具合に、そしてこんな初日に伸也はクスクス笑った。それにつられてかファナも笑った。
しばらくの間二人して顔を見合わせクスクス笑っていた。傍から見たらなぜ笑ったのか、笑っているのかわからないかもしれない。
そればかりか、伸也とファナは同じ事で笑っているのかすらも定かではない。でもこの場所で2人で笑った。それが一番大事に思える気がした。
お互いひとしきり笑った後でファナがポツリと言った。
「それで、この後どこに行けばいいんだっけ。」
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