第一章 4 『初めての討伐』

 ──やばい。これってピンチじゃないか。


 立川はヨロヨロと後ろへ下がる。今思えば無謀だったのだ。一本しかない矢でどうして立ち向かったのかと後悔の波が押し寄せる。


「……ごめんなさい……わざとじゃないんです」


 通じるはずもないと分かってはいたが、鍋男に許しを乞う。


「なベェ……フトさやッ……こロし……タい」


 ジリジリと近づいてくる鍋男は口からヨダレを垂らし、まるでご馳走を見ているような表情だった。

 間違いない。食べる気だ。獲物として自分を見ている。


「……あ……あの……僕……美味しくないですよ……?」


 考えてから逃げるか逃げてから考えるか。どちらにしても勝算はあるのか。立川は思考を巡らせる。

 もしも矢をもう一本作る事ができれば勝ち目はまだある。しかし、それは命中すればの話だ。

 万が一、命中しなければ次こそ殺される。身体中を食い荒らされる。

 確実に決めなければいけない。なにせ立川にはブランクがあった。

 先ほど頭に命中したのは運が良かった。次も上手くいくという保証はない。


 それもこれも矢を作れる前提の話だ。矢を作る事ができないなど論外。勝ち目はゼロ。


 しかし、残念な事に矢が作れない可能性の方が高いのだ。この危機的状況で矢を作るなど今の立川には無理な話である。


 必死に考え絞りに絞った結果。


 白い息を吐き出す。そして、走り出す準備をした。


「立川。逃げます」


 ──逃げた。


 夜の道で電灯もついていない。見えるのもせいぜい二メートルほど先だが気づけばひたすらに走っていた。後ろからは四本足で駆ける音が聞こえてくる。鍋男は一定の金属同士が擦れ合う音も身体から出しながら走っている。


「きっもーー! ゴキブリかよ!」


 四足歩行で近づく人間はこの夜道にマッチしてとてつもなく不気味で狂気じみていた。


 デジャヴ。圧倒的デジャヴ。


 いつぞやのスーツ男からもこんな風に逃げた覚えがある。

 しかし、今回の相手はスーツ男ほどの速さは兼ね備えていなかった。

 さすがに身体の重さで上手く走れないのか、すぐに鍋男は減速していった。


 やがて追うのをやめたのか姿は見えなくなった。


「……足の速さだけは……誰にも負けた事がないんだよ……」


 一時の安泰。立川は周りを見渡すといつの間にか住宅街を抜け両脇にビルのある四車線の大きな道路に出ていた。

 もちろん誰もいる気配はない。


 ここしかない。チャンスだ。立川は手を前に出して深呼吸をする。そして、二本目の矢を具現化していく。

 緊張と緩和のせいか今回の具現化は思ったよりも上手くいったようでものの一分で塵は矢の形を帯びていった。やがて二本目の矢を手に入れる。




「──ほう。具現化をもうあそこまで扱えるようになっているとはね。ここからどこまでやっていけるのか見ものだな」


 相変わらずビルの屋上で茂木は楽しむように立川を眺めていた。

 夏田も立川を見ている。しかし、茂木とは違い心配をしていた。

 もしも、立川が化け物に負けたら。一部を食われたら。

 そしたら化け物のように立川も──


「凛花。彼は勝てると思うか?」


 物思いにふけている夏田に茂木は質問をする。しばらく考えるが夏田はどう答えればいいか困っていた。

 現実的に考えれば負ける。だが、絶対というわけではない。勝機も確かに残されていた。

 しかし、それは僅かなものでしかなく確率的に言えば負ける。


「負けるかもしれませんが……勝って欲しいです」


 夏田の回答に茂木は吹き出す。


「いや、失敬。──君らしくない曖昧な回答だな。僕が見た限り彼はこのままでは負ける。自信の喪失。劣等感。そういったものが彼本来の強さを引き出せずにいるんだ。それを克服しない限り、鍋男に勝つ事はできない」


 夏田は何も言わなかった。何も言う事ができなかった。




 立川は弓と矢を力強く握りしめる。気休めにしかならないが矢があるとないでは心の余裕に大きな差が出来た。


「よし、再チャレンジだ」


 立川には思うところがあった。何も頭だけが急所じゃない。

 心臓や首元を狙えば頭を無理に狙う必要は無くなる。

 覚えている限りでは鍋男の首元は心臓に比べれば狙いやすい。狙うなら心臓よりも首。


 再び四車線もある道路の真ん中を歩き出した。



 ──鍋男との再会はそう長くはなかった。


 背後からする金属同士の擦れる音で気づく。鍋男は後方二十メートル程の位置で立川を見ていた。


 立川と同じように道の真ん中を這ってくる。


 ゆっくりゆっくりと。次は逃してはくれなさそうだ。


 先ほどよりも姿勢を低くし、こちらに走り出す。


 と、その時だ。


 立川は持っていた一本の矢を弓に交じわらせる。


 そして、漆黒の空へと矢を放った。




「え!?」


 思わず夏田は声を出してしまう。これには夏田と茂木は驚きを隠せなかった。


「放物線を描いて奴の首を上から射抜こうとしているのか──」


 茂木は虚を衝かれた事で見入ってしまっていた。




 それは鍋男も同じ事でその矢を目で追っていく。しかし、矢は夜空へと紛れどこにあるか見えなくなった。


 鍋男は必死に探すが矢は一向に見当たらない。


 いつか自分に命中してしまう。避けなければいけないと本能が囁く。


 鍋男はその場を離れようとしたが、視界の隅で何かがこちらにやってくるのが見えた。


 そちらを向く。


 立川だ。


 立川が弓を槍のように構えて突っ込んで来る。


 鍋男はそれも避けようとするが時すでに遅し。


 立川は拳三つ分ほどの距離までに近づいている。


 一瞬にして間合いを詰められたのだ。


「足だけは速いんでね」


 そのまま立川は弓を鍋男の首元へと捻り込むように刺した。


 鍋男は絶叫する。


 言葉はわからなかったが苦しんでいるのはわかった。


 さらに奥へと捻り込む。刺し込んだ首からは大量の血液が噴き出て来た。

 まともに返り血を目元に浴びた立川は視覚を奪われる。


 鍋男は巨大な手足を悶えさせ、ジタバタと暴れ出した。

 その手は立川の腹に直撃し、そのまま吹き飛ばされ電柱へと激突する。


「──ガハッ」


 背中を強打した立川は未だに開かぬ目を床に伏せたまま必死に拭う。


 この機会を逃してはいけない。


 立川は腹と背中の痛みに耐えながら立ち上がった。おそらくあばらの骨が折れている。


 だが、痛むあばらを抑えながら走り出した。


 そして、再び鍋男の首に刺さっている弓に手を掛ける。


 力を振り絞り、弓をさらにさらに奥へと捻り込んだ。


 奥へ。奥へ。奥へ。


 すると、貫通したのか感触が一気に軽くなった。


 同時に鍋男も声を出せなくなる。


「ウぎぃ……おナ……ガ……」


 声にならない声をあげながら痙攣し出す。

 立川が弓から手を離すと、ヨロヨロとしながら頭を振ったり、背中を地面に擦り付けたりし出した。


 それも長くは続かず鍋男は少しずつ動かなくなる。


「……ハァ……ハァ……やったの……かな……?」


 地に広がっていく赤い血は鍋男の死を物語っていた。


 力が抜けるようにへたれこむ。


 全身の筋肉は悲鳴を上げていた。緊張状態で張り詰めていた糸が緩む感覚に襲われる。自分でこれ以上は動けないとわかった。


「よくやったね」


 後ろから茂木と夏田が歩み寄ってきた。

 動けないとわかってるつもりだったが、最後の火事場のクソ力というものなのか。立川は素早く立ち上がり茂木に殴りかかる。

 そもそもの元凶は茂木だったからだ。


 しかし、茂木に拳が届く前に誰かに遮られた。そして、首に手を掛けられる。

 あまりにも急な事態に気づいたら足は地から離れ、首を絞められた状態で持ち上げられていた。


 ──なんだ!?


 立川は自分の首を持つ人物を見る。

 つり目に髪の毛は短髪で自分と同じくらいの年齢の少年だった。両腕には黒い義手のようなものをはめている。


「アガッ……誰……」


 締まる喉で必死に聞くがその男の表情は変わらない。怒りでもない。昔ながらの因縁の相手といった具合で睨みつけられている。


「慶。やめなさい」


 見兼ねた茂木が男に指示をした。男は指示を聞いてから大きく息をし立川を下ろす。

 むせる立川に夏田が駆け寄って来た。


「こんなビビリ野郎がウチに来たってなんの役にも立ちゃしませんよ。団長」


 男はなおも立川を睨み唾を吐く。


 そんな男の発言を無視し、茂木は立川に一歩前へ歩み寄り、深く頭を下げた。


「怖い思いをさせてすまない。ちゃんと説明もせずに君を試すような真似をした事、どうか許してほしい」


 いきなりの展開に立川はついていけず眉を寄せて見ることしかできない。


「無論、君に命の危険が訪れたと判断した場合は助けるつもりだった。そのために彼──昼神 慶くんにも陰ながら見守っていてもらったんだ」


 頭を下げ続ける茂木に嘘偽りの謝罪をしているとは到底思えなかった。


「──頭を上げてください。僕こそ、すみません。急に殴りかかってしまって……」


「いいや、私のした事から考えれば、感情的になるのも当たり前だ」


 頭をゆっくりと上げると茂木は真っ直ぐな瞳で立川を見た。


「それと立川くん。君に一つ聞きたいことがあるのだけれど──」


 茂木は表情を崩さず真剣な話し振りで聞いてきた。


「最後の……鍋男の首を射抜くために空に向かって矢を放つと見せかけたのは瞬時に閃いた事なのか?」


 立川は間の抜けた顔をする。そして、少し微笑んだ。


「いいえ。受け売りですよ。矢に集中させてから懐に入る。ただの簡単な意識操作ってな感じです」


 そう言いながら立川は自慢気に夏田を見る。

 夏田も少し微笑んだ。


 その様子を見た茂木も全てを察したかのようにフッと笑い出す。

 そして、自身のマントを風に翻しながら大声で宣言した。


「では改めて。──立川 響矢。本試験に合格。よって、我らが討伐団への入団を許可する」

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