陽炎の弟子/第六幕.ⅲ

 竈馬は山中を走っていた。

 日暮が放った眩い光にうろたえていたが、幻光蝶の群れに連中が魅入られている隙に逃げ出したのだ。

(くそっ! こんなはずじゃなかったのに!)

 どこから狂い始めたのか――、予期していなかったことが多すぎる。


(……あいつら!)


 忌々しいのは、肆番隊の連中だ。

 まず、日暮を指名配属したこと。燈籠と肆番隊副隊長がどういう意図で彼女を指名配属したのかは不明だが、そのおかげで二度手間となった。

 次に、偶然か必然か、三人官女の一族である〝仙道〟を名乗る少年が現れたこと。彼のことは、あわよくば利用できると踏んでいた。


 しかし、それは甘かった。


 あの少年を利用するどころか、裏切り者が出てしまった。万象理玉が他の者へ渡っていたことも計算外だ。まして、日暮を懐柔することもできなかった。

(くそ! くそ! くそぉ!)

 苛立ちが募る。

 すると、目の前に光が飛び込んできた。

(なんだ?)

 思わず、足を止める。光の中に人影が現れ、その姿が露になる。

 その姿を目にした途端、竈馬は驚愕した。


「……なぜ、そこにいる」


 いるはずがない。彼女はすでにこの世にいないはずだ。

 背中まで流れている夕焼けの髪。赤みがかった穏やかな瞳、少女のようなあどけない顔。白装束と緋袴――神子の正式衣装に身を包んでいる。

 最後の神子にして、慈愛の神子――日暮夕子が、そこにいた。

(……そうだ。そもそもの元凶は……!)

 目の前の女は公都を守るだけに留まり、侵略されれば、あっさりと公都を死に追いやった。


 この女こそ最大の国賊だ。


 竈馬はそう思っている。

 せっかくだ。恨み言のひとつでも言ってやろう。

「てめえのせいだ。神子」

 夕子は表情を曇らせる。

「てめえのせいで大勢の血が流れた。それだけじゃねえ。同胞同士の諍いも起きた。あんたは責任を果たすどころか、ただ逃げた」

 夕子はただ黙って、こちらの話に耳を傾けている。

「親父の言葉を受け入れていれば……こんなことにはならなかったんだ!」

 竈馬の父親は公都の専守防衛体勢を危惧していた。何度も神子と三人官女、五人囃子に訴え続けていたのだが……結果、誰も聞く耳を持たなかった。

「あんたは事変の立役者を知っていたはずだ。そいつは、あんたと同じ地母神の末裔! 俺たちは蟲に下った同胞に殺されたんだ!」

「……避けられない運命だったのです」

 夕子が口を開く。

「あなたのお父さまの言葉が、公都を思うがゆえのものであったことは承知しています。ですが、それでは四都の均衡が崩れ、地獄が到来したことでしょう。なにより、地母神崇拝に反します」

「なにを甘っちょろいことを!」

 竈馬は吐き捨てる。

「その結果が、これだ!」

「たしかに。理不尽な扱いを受け、民が苦しんでいたことを否定はいたしません。――ですが、あなたはそれを歓迎したのではありませんか?」

「なに!?」

「結果的に、『公都の復興』という大義名分を利用できました。万象もどきという研究も。公都があれば、できなかったことができたというのに。――あなたはこれ以上、なにを望むのですか?」

「――れ」

「仙道の遺児と思しき少年を利用することですか?」

「――まれ」

「空を自分の意のままに操ること?」

「黙れっ!」

「あなたの行いは、自意識過剰かつ自己中心的で幼稚です。ゆえに、この状況を作り出したのは、あなた自身。この結果は自業自得なのですよ」


「黙れえぇぇぇぇっ!」


 竈馬は夕子を押し倒し、馬乗りになる。

 護身用に持っていたナイフを取り出し、夕子の体を突いた。

「お前が! お前がいけないんだ!」

 何度も何度も彼女を突き、夕子と自身を血に染めていく。

「俺の親父は生き延びた己を恥じ、死んでいった!」

 竈馬の脳裏に浮かんだのは、父の最後。彼は遺書を残して、首を吊って、この世を去った。


「俺は亡き父のため! 父が間違っていなかったことを証明するために生きてきた! 芥蟲ごみむし同然となった奴らに! なにも知らないやつらに知らしめたかったのだ! それを、あいつらぁぁぁっ!」


 三人官女の家系である宮司みやじ――大紫は復讐することをやめてしまっていた。三人官女のもう一人であるゆみあずさ、羽竈田を除く五人囃子たちに至っては復讐する気など毛頭ないと言う。そんな腑抜け共の代わりに、公都を導こうとしただけだ。だのに、それを間違っていると。あまつさえ、幼稚だと言う。――許せなかった。

 竈馬は息を乱しながら、夕子を見下ろした。

「く……っ」

 たまらず、笑いが込み上げた。

 夕子の白装束は血を吸い込み、赤く染まっている。目の焦点も合っていない。

「く……くくっ……」

 竈馬は笑った。すでにこの世にないはずの彼女に、『もう一度死ぬ』という現象が起こっていること。自分がそれを行ったこと。そこからくる笑いだった。

「は、はははっ……!」

 笑いが止まらない。

「あははははははっ!」

 とうとう、高笑いになる。

 だから、気づかなかった。彼の傍でメキメキ、と不吉な音。

 やがて――、バキッ!


「は……」


 竈馬は霧散していく夕子とともに暗黒へと落ちていった。



「なんなんだ、一体」

 燈籠は理解できなかった。

 逃げ出した竈馬を追ってきたのだが、彼は唐突に足を止め、木に向かって話をし始めたのだ。

 木の裏に隠れ、しばし様子を窺っていたのだが……さっぱりわからない。突然、木に馬乗りになったかと思うと、いきなりナイフを突き立てた。重みに耐えきれなくなった木は、メキメキと不吉な音を立て、彼もろとも崖下へと落ちて行ったのだ。

「さあな」

 燈籠とともに竈馬を追って来た書庫番が答える。

「ひぐらしちゃんのせい?」

「わからん」

「そっか」

 燈籠は穴を覗き込んだ。

 角灯ランタンの灯りさえも届かないほどの暗黒が広がっている。

 竈馬を回収するのは不可能だ。

 しかたなく、燈籠と書庫番は踵を返した。

「……あいつ、なにがしたかったんだ?」

 燈籠は呟くように書庫番に疑問を投げかけた。

「知るか」

 沈黙が流れる。

 燈籠は木に話しかけていた時の竈馬の会話を思い出す。

 途端、ある結論が導き出された。


「華宮――神子への八つ当たり」


 沈黙が破られるのと同時に、頃合よく二人の声が重なった。

 燈籠は書庫番と目を合わせ、

「……すげぇ、くだらねえ」

 笑った。

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