陽炎の弟子/幕間.三

 隊長室では燈籠が事務机に向かって、書類にはんを押していた。

 彼がにらめっこしているのは、すべて除隊届だ。

 人質をとられて、いやいや従っていた者は言うに及ばず。昨夜ので、精神的外傷を負った者。また、銃撃で踵骨アキレスけんをやられてしまい、歩けなくなってしまった者もいる。当然といえば当然だが――。

 燈籠は機械のように、判を押し続ける。


 ズンズンズン。


 扉越しからでもわかる足音に、燈籠の手が止まった。相手はわかっている。

「邪魔するぞ、燈籠!」

 返事をする間もなく、扉を開かれた。

 やってきたのは、険しい表情の伝電。が悪そうな表情を浮かべる清水、彼らの付き添いでやってきた穂樽だった。

 清水が口を開く。

「……すまない。伝電に問い詰められて……」

「いいさ。全部終わったんだから」

 燈籠は判を置き、肩をすくめる。三人――主に、伝電と向き合う。

 伝電は今回のことについては、完全に部外者である。清水と穂樽の役目は、任務完遂まで彼を足止めしておくことだった。


「なぜ、我に話さなかったのだ!」


 伝電は怒鳴った。小隊長として新参者とはいえ、仲間はずれにされたことが許せないらしい。

「……純粋にお前は、適任じゃなかっただけさ」

 話さなかったのは、伝電が日暮と同様に素直すぎる性格をしているからだ。隠し事に向く人間ではない。もし、彼にすべてを伝えていたら、どこかでが出てしまっていたことだろう。そうなれば、竈馬に気づかれていたかもしれない。それを危惧してのことだった。

「……計画の立案者は、お前か?」

 尋ねる伝電。

「まさか。うちの副隊長の立案だよ。あいつは適材適所を振り分けるのが、うまいからな。お前の性格を把握した結果だよ」

「そのくだんの副隊長、我は一度も会ったことがないぞ」

「そりゃそうだ。この計画が完遂されるまで、なるべく姿を見せないっていう約束だかんな」

「もとより、彼は引きこもりがちなんだ」

「どんな副隊長だ!」

 伝電は清水に突っ込んだ。

(うん、ごもっとも)

 燈籠は心の中で伝電に拍手を送った後、穂樽に訊く。

「――瑞穂みずほ。新兵たちは作戦室か?」

「ああ。みんな、集まってるよ」

「そうか。――伝電」

 燈籠は立ち上がり、伝電に言う。

「会わせてやるよ、うちの副隊長に」



 一方、その頃。

 磯崎は〝書庫〟にいた。書庫番に宛がわれた部屋で眠る日暮をただ見守っている。

 ――慣れない力を使ったから、気絶しただけだ。命に別状はない。

 というのが、書庫番の見立てだ。

 それを聞いた磯崎は、不思議と「そうなのだろう」と思った。

 彼女の頬を撫でてみるが、起きる気配はない。時折、規則正しい寝息が耳に届く。それを聞くたび、磯崎は安堵する。


(……そろそろ、行かなくちゃ)


 磯崎は眠る日暮に背を向け、部屋を出て行く。

 本棚に囲まれた玄関先へと向かおうとその扉を開けた先には、


「もう、行ってしまうのですか?」


 リクがいた。

「目覚めるまで、いてあげないんですか?」

「うん。そうしたいんだけど……。あの人の勧めで、ね」

 あの人、とは書庫番のことだ。磯崎は日暮から――八色蟲隊から去る決意をしていた。

 燈籠も書庫番も、それを勧めるつもりだったらしい。磯崎と日暮――二人の精神面を考慮してのことだった(それはもはや、杞憂に終わったが)。

 ――決意したならば、即実行しろ。先送りにすればするほど、別れが辛くなる。

 と、書庫番に諭されたのだ。

「そうですか」

 リクはすでにわかっていた。彼女の足元には、風呂敷や雑嚢ざつのうがあったからだ。

「……訊いてもいいかな。――本当に、『仙道』って本名なの?」

 彼は答えた。

「ええ、本名です。ついでに申しますと、ぼくは生まれも育ちも帝都ですよ」

「……そっか」

 反応からして、嘘ではないらしい。

 磯崎自身、少し期待していた。

 彼が、三人官女・仙道の遺児であったならば、公都の再興が実現したかもしれない。

 しかし、それは都合のいい夢物語だ。ようやく、気が楽になった。

「……仙道くん。お願いがあるんだけど、頼めるかな」

「なんでしょうか?」

 磯崎は懐から手紙を出す。表書きは――空ちゃんへ、だ。

「起きたら、渡してくれない?」

「わかりました」

 リクが手紙を受け取る。

「それと。もうひとつ、いい?」


「――どうぞ」

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