陽炎の弟子/第五幕.ⅲ

 はっ! と日暮の意識が弾けるように覚醒した。


(ここは……)


 もちろん〝書庫〟ではない。ゆっくりと上体を起こす。

 あるのは、混凝土コンクリートの冷たい感触と燭台の温かい光。

 それが、日暮の意識を徐々にはっきりとさせた。

(そうだ! 能面の集団が突然やってきて。ちぃちゃんに薬をかがされて……)

 意識を失っている間に、この場所へと連れてこられたようだ。


「お目覚めになりましたか?」


「わぁ!」

 日暮は思わず飛び退いた。至近距離で迫力ある大鬼神だいきしんが現れたからだ。

「これは失礼。驚かせてしまいましたな」

 くつくつ、と大鬼神は笑った。対し、日暮は大鬼神の態度が気になった。なぜ自分に対して、こんなにもいるのだろう。

 彼だけではない。

 周囲にいる神楽舞で使用される能面をつけた連中も、日暮を崇拝するかのようにひざまずいている。

(な、なんで……)

 疑問には、すぐさま大鬼神が答えてくれた。


「あなたさまが現れるのを待ち望んでおりました。神子みこさま」


(え、えっ? 神子!? あたしが!?)

 たしかに、万象を視る力を持っているが……。

 だからって自分が地母神の末裔であり、滅んだ公都の統治者であるはずがない。きっと、なにかの間違いだ。

 おそるおそる日暮は口を開く。

「あ、あの……。な、なにかの間違いだと思いますが……?」

「あなたは、日暮ひぐらし夕子ゆうこさまの末娘でございましょう?」

「そ、そうですけど……」

 なぜ、母の名を知っているのだろう。

「ならば、あなたさまは神子の一族であらせられます」

「ちょ、ちょっと待ってください! 母は神子さまにお仕えする三人さんにん官女かんじょの一人を務めていたと聞いています! それがどうして、そうなるんですか!?」

 三人官女――神子に仕える三人の女性のことで、神子の優秀な右腕・左腕・両足であった。神子の世話はもちろん。万が一、神子になにかあった場合――もしくは、新しい神子をその一族から選定する場合のみ、神子としての権限を与えられる『代理人』としての役目も果たすのだ。彼女らは、〝時〟を与えられし聖獣の眷属と例えられることから、別名『運命を紡ぐ三女人さんにょにん』と呼ばれる。

「……お母さまが、そう仰られたのですか?」

「は、はい。く、くわしくは話してくれませんでしたが……」

 間違いない。生前の母はそう言っていた。

「つくづく、秘密主義を徹底されておられる。そういう点では、この軍隊も同じか……」

「どういうことですか?」

 日暮は尋ねる。

「失礼。こういう可能性があったかもしれないことを忘れておりました。神子を継ぐ女性は自身の兄弟姉妹けいていしまいはもちろん、己の子にさえ、自分が神子であることを隠す習慣があったそうです。例外として、神子に仕え、公都の貴族的存在である三人官女と五人囃子ごにんばやしは神子が誰であるのかを知っていました。もちろん、口外することは固く禁じられていましたがね」

「たとえ、そうだとしても。あたしが神子だなんて、なにかの間違いです!」

 信じられなかった。

 なんの根拠があって、自分を神子だと主張するのか……理解不能だ。

「あなたを神子と判断するのには、もうひとつ理由があります。あなたがお母さまから『お守り』として、ある首飾りをいただいているはずです」

 日暮は驚く。そのことは、親友とここで知り合ったリクしか知らないはずだ。

「あれは万象ばんしょうぎょくと申しまして、我らのくにでは、神子だけが持つことを許された至宝です」

 ますます、目を見開く。

 書庫番が言っていた。あのお守りは、ある者たちにとっては『至宝』だから、と。彼は『ある者たち』がなんなのか、わかっていたのだ。ということは、あの書庫番も彼らと同じく自分と同じ華宮出身なのだろうか。そんなことを日暮は考えた。

「万象理玉は万象――万物事象を操るために必要な装置なのです。それは、地母神――神子の力を発動させる動力源。あなたさまだけに許された崇高な力なのです」

「……仮にそれが事実だとして、あなたたちの目的はなんなんです?」


「公都・華宮の再興です」


 大鬼神は答え、続ける。

「我らは冤罪えんざいを受けし者。ですから、冤罪を与えし帝都――八色蟲隊に天罰を与えなければなりません。あなたさまが現れることを我々は待ち望んでいたのです。――神子さま」

 大鬼神が手を差し伸べた。

「その奇跡の力を以って、我らがくにを滅ぼした悪しき蟲を滅ぼしましょう。そして、我らがくにを再興させるのです! さあ、手を!」

 さあ、と大鬼神は手を差し出す。

 日暮は混乱した頭で考えた。


 公都が滅んだのは、四都暦一九三五年・三月一日。


 日暮がまだ十歳(満八歳)の時だ。なぜ、そうなってしまったのか。

 その時は、理解できなかったし、兄が義姉と共に、心労を患った母と病弱な実姉。さらには、生まれたばかりの息子を守るのに必死だったように、日暮も彼らを助けるのに必死だった。

 その最中さなかで見たいさかい、暴動。それが激しさを増し、同胞同士が殺し合う事態にまで発展したことを、彼女は知っている。

 ふと、日暮の脳裏にある光景が過ぎった。

 母は新聞を読むのが、日課だった。だが、その時だけはいつもと様子が違っていたのだ。

 ぽつり、母が呟いた。


 ――すべてを受け入れましょう。


(そうか……、だから……)

 途端に、日暮の疑問がすべて解けていく。

 あの戦争に誰よりも胸を痛めていたのは――他ならぬ母だったのだ。

(お母さんは、最後まで〝神子〟として、生きていたんだね……)

 敵を欺くには、まず味方から。というわけではないが、母はそれを実践していたのだろう。

 公都の最後の統治者――神子として、民を憂い、愛し、間違いを犯さぬように。

 自分の子らに、を受け入れさせようと努めていたのだ。

 帝都への恨みを持つ者たちに同調しないように。流されないように。

 そして、三年前。この世から去ったのだ。

 意を決した日暮は口を開いた。


「申し訳ありませんが、その手を取ることはできません」


「なぜです!?」

 大鬼神は激しく動揺し、周囲にいる彼らの同志たちも、ざわついた。

「それは、あたし自身が帝都を恨んでいないからです」

「なんと……!」

 彼は驚愕する。まさか、拒否されるなどと、夢にも思っていなかったのだろう。

「あ、あなたはここにいる蟲どもが、なにをしたのかをご存知ないのか!? 我が故郷を滅ぼしたのだぞ!? 宣戦布告もなく! 身に覚えのない罪状を突きつけて!」


 遡ること、四都暦一九三四年・九月十八日。


 帝都は、公都に宣戦布告なき軍事介入をした。公都が帝都にその理由を問いただしたところ、こう返答された。


 ――神子が、柱皇ちゅうおうの娘を殺した。


 公都側からすれば、身に覚えのないことである。よって、『侵略』と解釈した公都は、自警団である六華警団りっかけいだんで応戦。その後、事を知った武都の介入もあり、抵抗を続けたのだが、公都・華宮は滅亡。帝都の一部となった。攻防を続けていた帝都と武都は互いに兵力が疲弊し、以後は冷戦状態となる。


 この出来事は〝華宮はなのみや事変じへん〟と称され、歴史に刻まれた。


「それだけではない! 都を滅ぼされた我々に蟲どもがなにをしたのか! 我々に、華の誇りを捨てよと要求し、畜生のごとく貪る愚行を行ったのですよ!?」

 それ以後、帝都内では公都が崇拝する地母神崇拝者の弾圧が横行。それに反発し、暴徒化した旧公都の住民たちの苛烈さも相まって、帝都内は混乱を極めていた。しかし、柱皇族ちゅうおうぞく子爵家ししゃくけが滅亡したことにより、事態は沈静化している。


「ふざけるな!」


 日暮は怒鳴った。気迫ある怒号に、同志たちが「ひっ!」と悲鳴を上げ、怯む。

「華の誇り? あんたが、それを語るか!」

 大鬼神に対し、もはや敬語ではなかった。

「あんたの言っていることは間違いじゃないわ! けど、あんたのやろうとしていることは、あたしたちのくにを滅ぼした帝都くにと同じことをしようとしている! それがわからないの!?」

「なにぃ!?」

「侮辱だ!」

「我々の苦渋の日々を否定するのか!?」

 怯んでいた彼の同志たちが、口々に抗議する。

 あるまじき暴言に、慈愛の神子の末娘であっても許せないのだろう。

 しかし、そこで怯む日暮ではない。彼女は、たくましい少女であった。

「それは否定しないわ。苦しい日々があったのは事実だもの」

「ならば、なぜ!?」

 苦しい日々や蹂躙される屈辱を否定しないのであれば、大鬼神の考えに賛同するはずである。

 まして、彼女は神子の末娘であり、素質を持つ者。民たちの意を無下にはできないはずだ。


「あれから、七年だよ? いまや、ここで生まれた子どもたちは、自分たちのくに帝都ここだと思っている。――大人たちの前では、言わないけどね」


 七年という歳月は、人間の心を変化させるには充分すぎる。

 日暮と同世代の者たちですら、曖昧な出来事。彼女たちより、下の世代たちは、そんなことがあったことさえも知らない(覚えていない)はずだ。たとえ、肉親から聞かされたとしても、現実味を帯びず、遠い昔の話のように感じるだろう。

 ましてや、統治者である神子が公都の滅びを受け入れたのだ。華宮の者の中にも、彼女に倣う者は大勢いたことだろう。そもそも、ほとんどの住人は日常を生きるのに、精一杯のはずである。公都くにが滅んだとはいえ、〝日常〟が送れるのは、侵略者であるはずの帝都の恩恵があってこそだ。

 大鬼神がやろうとしていることは、その恩恵を仇で返すこと。絶対に賛成できない。


 パァンッ!


 乾いた音が室内に響き渡った。平手打ちの勢いで、日暮はその場に倒れ込む。

 その光景に周囲はどよめいた。

 ふー、ふー、と大鬼神は唸っている。

「ふざけるなよ……!」

 日暮は大鬼神をと睨みつけた。その反抗的な眼差しが気に食わなかったのだろう。彼は日暮の胸倉を掴んだ。

「俺がなぜ、この薄汚い蟲どもに下ったと思う!」

「……し、知らないわよ。そんなの……」

「それもこれも! 肆番隊のせいだ! お前を指名配属にしやがって!」

 そう言われても、困る。日暮が指名配属されたのは不可抗力によるものだ。

「お前もだ、小娘! 下手したてに出てりゃあ、いい気になりやがって! いいか! てめえはただの駒なんだよ! 神子の力を使って、クソ蟲どもに心を売り渡した穀つぶしどもを飼い慣らし、クソ蟲どもを蹂躙させ、新たな公都の統治者に、俺がなるためのなぁ!」

(やっぱ、そういう魂胆なわけね)

 なんとなく、そんな気はしていた。だから、彼の手を取らなかったのだ。

 そして、書庫番がお守りをなかなか返してくれなかった理由も。初対面時のあの言動がなにを意味していたのかも。今の日暮には身に沁みるほど理解できていた。彼がはっきりと告げなかったのは、日暮が――ということを、わかっていたからだろう。

 日暮の口角が自然と上がった。

 こんな危機的状況にも関わらず、神経の図太い自分に正直、呆れている。

「なにがおかしい!」

 大鬼神にはその笑みが癪に障ったようだ。

 それでも、日暮は笑みをうかべたままだ。大鬼神は忌々しげに舌打ちをする。

「まあいい。神子――万象理玉さえ手に入れば、こちらのものだ。お前を支配する手は、いくらでもあるからなぁ」

 ますます、日暮は笑んだ。


「ないよ」


 ぽつりと呟かれた一言に、大鬼神は耳を疑った。

「なんと言った!?」

「お守りはないって言ったの。拾った書庫番さんが、返してくれないんだもん」

「でたらめを抜かすな!」

「嘘じゃないよ」

 信じられない大鬼神は、怒号に近い声を上げた。

「俺は報告を受けたのだぞ! お守りが――万象理玉がお前の元に戻ってきた、と!」

 日暮が目を見開く。


 その時だった。


 大鬼神の体が右の側壁へと突き飛ばされたのである。彼は壁に激突し、気絶。おもてが欠け、左目が露となる。

 一瞬のことに、誰も声を発することができなかった。

 大鬼神を壁に激突させたのは、額に『こう』と書かれた狐の面を被っていた者。狐は大鬼神の懐へと入り、彼を渾身の力で突き飛ばしたのだ。

 しかし、誰も狐が大鬼神の懐にいつ入ったのか、――彼が大鬼神に近づいていることすらも……。

 と立ち込める煙に、日暮は激しく咳き込んだ。状況を把握する暇もない。息をするのに必死だ。

 突然、と手を掴まれた。掴まれた手の先を見る。

(この面、顔がない……)

 首をかしげる日暮をよそに、顔無の面を被った人物は、彼女を立ち上がらせた。

「あ、ありがと……」

 顔無は日暮の手首を掴んだまま、走り出す。

「うわっ! ちょ、ちょっと!」

 悲鳴のような日暮の声に、唖然としていた周囲の時が動いた。

「裏切り者を逃がすなぁ! 神子も逃がすなぁ!」

 額に『へい』と書かれた河童の面が、一同に指示を出す。

 他の同志たちも事態に気づき、まごつきながらも、その指示に従い、逃げる二人を阻んだ。

 だが、そんな二人に救いの手を差し伸べたのは、大鬼神を突き飛ばした狐だった。

 狐は軽やかな身のこなしで、二人を阻む面たちを一掃する。日暮と顔無は呆気にとられた。


(す、すごい)


 日暮は素直に感心する。衛生兵であり、実戦経験も皆無である自分が、戦闘能力を判断するのはおこがましいが、素人目から見ても、狐の技量はそんじょそこらの一兵卒とは違っていた。

 明らかに、戦い慣れをしている。


「ぐわぁ!」


 悲鳴と凄まじい音が聴こえた。

 狐の強烈な一撃で扉を守っていた扉番ごと、扉がふっ飛んだ。扉番の面は割れ、白目を剥いて気絶する。


「――こちらへ」


 狐が先頭となり、顔無と日暮は闇夜の中へと駆け出して行った。

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