陽炎の弟子/第四幕.ⅱ

 午前の軍務を終えたリクは、食堂で昼食の順番待ちをしていた。


(……なにか、あったのだろうか)


 考えていたのは〝書庫〟での日暮の態度。過ごした時間は短くとも、彼女にとって、磯崎がどんなに大事な存在であるかわかっているつもりだ。

 しかし、さっきの日暮は磯崎の名に対して、どこかよそよそしかった。わざと、彼女の話題を避けるかのようだった。しかも、自分に磯崎に伝言を頼んでいる。なにかあったのではないか、と勘繰るには充分だった。

 昼食を受け取り、空いている席を探す。

 入隊してから数日経ったこともあり、固まる人間が決まってきた。

 空いている席を探していると、


「仙道くん」


 と、女性兵に声をかけられた。砲兵科所属、伝電小隊の女性だ。他にも、輜重しちょう兵科――穂樽小隊の女性が二名いる。

「私たちと一緒に食べない?」

 誘う女性の後ろで、別の女性が頬を赤らめている。どうやら、女砲兵は後ろに隠れている彼女のために自分を誘ったらしい。

 それを察したリクが、

「申し訳ありませんが、ぼくは――」

 丁重に誘いを断ろうとしたその時、磯崎の姿が目に入った。

「磯崎さん!」

 大声でリクが呼ぶ。磯崎は驚いたように振り向いた。

「仙道くん!?」

 足早に、彼女の元へ駆け寄る。

「一人でお食事を?」

「え、ええ」

「なら、ぼくと一緒に食べませんか?」

「かまわないけど……」

「では、行きましょう」

 女性三人組から遠ざかるように、移動する。

 ある程度遠ざかったことを確認し、

「……すみません」

 と、リクは謝った。磯崎は首を横に振る。

「いいよ。困ってたんでしょ?」

「女性のお節介ほど、厄介なものはありませんから……」

 ついでに、男の嫉妬混じりな視線も。

 くすっ、と笑う磯崎。

「そうだよね。女の子だけに囲まれてる中で、なにを話していいか、わかんないもんね」

「それもあります」

 リクもつられて、笑みを零す。

 空いている席を見つけた二人は、向かい合うように座った。

 リクが口火を切る。

「竈馬小隊は、いかがですか?」

「怪我人が減ってきて、ひと息ついているところだよ。――仙道くんは?」

「ぼくは『自由小隊』ですから。あちこち行けて、毎日が楽しいですよ」

「そうなんだ」

「今日は〝書庫〟に行ってきました」

 リクが言うと、磯崎の表情が曇る。

「そうなんだ……」

「そこで、ひぐらしさんからあなたへの伝言を頼まれたんです」

「伝言?」

 磯崎は首をかしげる。

「お守りが見つかったこと、自分は元気にしている、と伝えてほしいと」

「そう……。よかった……」

 日暮の伝言を伝えても、磯崎の反応は微妙だ。思いきって、尋ねる。

「ひぐらしさんと、なにかあったんですか?」

「えっ、あ……。な、なんでもないよ!」

 ごまかすような磯崎の笑顔に、『なんでもない』わけがないと、リクは確信する。

「あ、ほら! さっさと食べないと、冷めちゃうよ。――いただきます!」

 わざとらしく、磯崎は箸を取る。「おいしそう!」と笑顔を取り繕い、食べ始めた彼女に、リクは肩をすくめる。しかたなく、手を合わせて「いただきます」と言い、昼食を食べ始めた。

 ひと足先に、食器を空っぽにした磯崎は膳を持って、立ち上がる。

「じゃあ、お先に。誘ってくれて、ありがとう」

「いえ。――磯崎さん」

「なに?」

 まるで逃げるかのような磯崎を引き止め、リクは言った。


。自分を追いつめないでください」


 磯崎の目が大きく見開かれる。

 しかし、そんな彼女よりも驚いていたのは、

(しまった! つい!)

 リク自身だった。

「――今の言葉、忘れてください」

「……うん、忘れる。――じゃあね」

「はい」

 磯崎を見送る。彼女の背中が見えなくなると、リクは深いため息をついた。


「秘密は誰にでもある、か。名言だね~」


 突然降ってきた声の主は、明々。

「明々さん」

 突如として現れた彼女に驚くこともなく、リクは苦笑した。明々は膳を置き、磯崎が座っていた席に腰を下ろす。

「なぁんで、磯崎と一緒にいたのかな~?」

「偶然お見かけして、昼食をご一緒してただけですよ」

「それだけ~?」

 かなわないなぁ、とリクは肩をすくめた。

「気になることがあったので、磯崎さんをお誘いしました」

「気になること~?」

「ええ。ひぐらしさんにお会いましてね」

 リクは飯椀にある米麦飯を一口、口に運ぶ。

「ひぐらし~? どうかしたの~?」

「ぼくに、磯崎さんへの伝言を頼んできたんです」

「だって~。あいつ、罰則中でしょ~」

 味噌汁をすする明々。

「ですが、〝書庫〟は兵士たちが使用する場所です。磯崎さんが来た時にでも、自分の口から言えばいいじゃないですか」

「たしかに~」

「それなのに、ぼくに頼んできたんです。なにかあったのではないかと思うでしょう?」

「だね~。あいつ、友だちになら、なんでも言いそうだもん」

「それに、磯崎さんの話題を避けているようにも見受けられたので……」

「ふ~ん」

 明々は菜の花の和え物を口に運んだ。ゆっくり咀嚼そしゃくし、飲み込む。

「――で? 磯崎は、どーだったの?」

「磯崎さんも、ひぐらしさんの話をしません」

 リクは米麦飯を一口含み、流し込むように味噌汁をすすった。

「むしろ、避けています」

「ふ~ん。じゃあさ~、あの一言は、なんで出てきたの~?」

 あの一言とは、さっきの『名言』のことだ。

「……自分でもよくわかりません。ただ――」

「ただ~?」

「磯崎さんは、なにか隠し事をしているのではないかと思うんです。これは、ぼくの推測と印象でしかありませんが……」

 使用人をしていたリクは、他人ひとの顔色を見る癖がある。磯崎はなにやら思い詰めているような気がした。だから、それとなく探ってみたのだが――。

「ま、あんたがそう思うなら、そうなんじゃない~?」

「ですが、確証も証拠もありません。あるとすれば、それは磯崎さんの心の内でしょう」

 リクは箸を置き、手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

 席を立ったリクは、

「お待ち!」

 明々に引きとめられた。

「はい?」

「菜の花、まだ残ってる」

 リクの膳には、菜の花の和え物だけが綺麗に残っている。

「……苦手なんですよ」

 リクは苦笑した。すると、明々が空っぽの器を差し出す。

「食べ物を粗末にするんじゃない! ほい、交換」

「……ありがとうございます」

 リクはその器と菜の花の和え物とを交換した。

「それでは」

「ん。あとでね~」



 兵士たちが昼食を終え、午後の軍務が始まろうとしている時刻。

 隊長室では、書類との睨み合いを終わらせた燈籠が椅子に背中を預けていた。


(あ~、腹減った……)


 天井を仰ぎながら、心の中でぼやく。ぐぅっ、と腹の虫がなっていた。

 コンコン。扉が叩かれる。

「どぞ~」

 燈籠は力なく許可した。扉が開かれると、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。

「メシ!」

 匂いに反応し、視線を上から正面に戻す。訪ねてきたのは、穂樽。彼の手には、醤油に染まった焼きおにぎりが三つ並んだ皿があった。

「そろそろ、腹が減る頃じゃないかと思ってな」

 穂樽は机の上に皿を置く。

「うまそう! ――いただきまーす!」

 焼きおにぎりを一つ手に取る。ふぅふぅと冷まし、かぶりつく。

「んまー!」

 醤油のしょっぱさと焼き加減が最高だ。焦げ加減も文句なし。手が止まらず、瞬く間に焼きおにぎりは燈籠の胃へとおさまった。

「ごちそうさま!」

 燈籠は手を合わせる。

「それぐらい、食堂うちのご飯も食べてほしいものだ」

 燈籠の見事な食べっぷりに、穂樽は苦笑する。

「だめだね。俺が行くと、女の子たちの目の色が変わるから」

「新兵を心配させるようなことはしないでくれ」

 穂樽は肩をすくめる。

「なんだよ。もしかして、女の子たちに言われて、持って来たのか?」

「それもある。だが、今日は偶然、彼に声をかけることができたからね。頼んだ」

「どうりで、ひさびさの味だと思ったぜ。あいつのメシを食うのは、半年ぶりだ」

「どうだい? 久方ぶりの味は」

「うん。やっぱ、うまい」

 燈籠は満足げな笑みを浮かべる。だが、それもほんのひとときだけだ。


「――で。メシだけを運びにきたってわけじゃねえだろ?」


 燈籠の声色は真剣そのものへと変わる。穂樽は観念したように、言った。

「……やはり、をこの隊に招き入れるべきではなかったのではないのか?」

「彼女って、?」

だ。彼女らが親しい間柄ならば、なおさら……。自分たちのやろうとしていることは――」


「――残酷かもな」


 燈籠は静かに言い放つ。

「――今さらだろ?」

「……そうだな。君とが決めたことに自分が口を挟むのは、お門違いだ」

「俺だって心が痛まないわけじゃない。けど、やるべきだと思う。結果がどうなろうとも、な。――それは、も承知しているはずだ」

「そうか」

 穂樽も腹をくくったようだ。机にある皿を下げる。

「それじゃあ。自分はこれで、失礼するよ」

「ああ。あいつに会ったら、うまかったって言っといてくれ」

「それは自分で言ってくれ」

 穂樽が部屋を出て行こうとした間際。慌ただしく扉が叩かれた。

「入れ」

 ただ事ではない様子に、燈籠は即座に入室を許可した。

「失礼します! 穂樽はいらっしゃいますか?」

「どうしたんだい? 眞太しんた

 入ってきたのは、赤みがかった髪の青年で、他に二人の輜重兵を伴っている。

「倉庫の狙撃銃と拳銃、その銃弾の数が合わないんです」

 穂樽は目を見張り、燈籠と顔を見合わせた。


「俺も行こう」


 燈籠は腰を上げ、穂樽と眞太たちとともに、第一兵舎三階にある倉庫へと向かう。

 倉庫では、倉庫番たちが貯蔵名簿に目を通している真っ最中だった。

「数が合わないのは?」

 穂樽が尋ねた。

紅炎改式ぐえんかいし六.五ミリ狙撃銃、七.七ミリ狙撃銃、八ミリ大型拳銃が数挺ちょう。その銃弾もです」

零式ぜろしきのほうは?」

「確認中ですが、紅炎零式はすべて副隊長の管轄です。副隊長に確認をとらないと……」

「そうか」

 穂樽は手短に答え、次の指示を出す。

「眞太、副隊長への確認を急いでくれ」

「了解」

 眞太は指示に従い、この場を離れた。

「貯蔵名簿は自分が確認する。君たちはここ数日、倉庫当番になった者にも声をかけてくれ」

「はっ!」

 倉庫番たちも指示に従い、倉庫から立ち去る。


「――どう思う?」


 穂樽は燈籠に尋ねる。

「見たまんまだ」

 燈籠は頭を掻きつつ、答えた。

「……真面目に答えてくれ」

 穂樽は鋭く睨みつける。燈籠はため息をつき、口を開いた。

「敵は思いのほか、焦ってるな」

「肆番隊に対する当てつけ、という可能性は?」

「なきにしもあらず、だ」

 まるで、他人事のように燈籠は言った。

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