陽炎の弟子/第三幕.ⅱ

 にゃろ丸に教えてもらった兵舎までの近道を使い、日暮は第一兵舎へとやってきた。

 貸出名簿を確認し、まず向かったのは穂樽小隊がいる事務室。

 事務室に着いた日暮は算盤を弾いている兵士に尋ねた。

「あの……眞太しんたさんはいらっしゃいますか?」

「今は所用で出かけていて、しばらくは戻って来ないよ」

「そう……ですか」

「なんだったら、伝えておこうか?」

「はい。二度延滞している『軍人記者の心得』を〝書庫〟にご返却くださいと」

「わかった。伝えておくよ」

「お願いします」

 次に、第二兵舎にある第一訓練室へと向かった。

 部屋に近づくにつれ、バシンッという竹刀の音と伝電の怒号が聴こえてくる。


(……相変わらず、厳しそうだなぁ)


 訓練室を覗き込むが、話しかけられる雰囲気ではない。

 ふと、脳裏に磯崎の顔が浮かぶ。

(ちぃちゃん、だいじょうぶかなぁ……)

 磯崎も心配だが、書庫番の行動も引っかかる。まるで、自分を追い出すかのようだった。

(ともかく、ちぃちゃんになにかしたら、許さないんだから!)


「ひぐらしさん?」


 声をかけられたことで、日暮は現実に返る。

「仙道くん!? ――なんで、ここにいるの?」

 思わず、日暮は尋ねる。

 明々小隊所属であるリクが、なぜ伝電小隊にいるのだろう。

「今日は一日、伝電小隊の所属です」

「そうなんだ」

 しかし、小隊長である明々の姿は見当たらない。なんと、無責任な小隊長であろうか。それともここは、さすが『自由小隊』と感心するべきところだろうか。――日暮は複雑な心境に駆られる。

「……よかった」

「え?」

 リクの呟きに、日暮は目を見張った。

「罰を受けたと聞いていたので、心配していたんです。お元気なお姿を拝見できて、安心しました」

「そ、そんな……。――けど、ごめんね。心配かけて……」

 自分を気にかけてくれることが嬉しい反面、申し訳ない気持ちになる。

「いいえ。ところで、お守りは見つかりましたか?」

 ぎくんっ! 日暮は体を強ばらせた。

「う、うん。書庫番さんが見つけてくれたの」

「そうですか。よかったですね」

 自分のことのように喜んでくれるリクに、日暮は複雑な気持ちを味わう。

 そこで、と気づいた。

「……邪魔、だよね?」

 伝電と所属兵たちは訓練に勤しんでいる。呼び止められたとはいえ、リクが叱られるのは我慢できない。

「いいえ。ぼくは休憩中ですので、大丈夫です」

 リクはにこやかに答える。その笑顔は日暮には痛いほど、眩しかった。

「ところで。ひぐらしさんは、なんのご用で?」

「あ、ああ。貸し出された本の回収! ええっと――」

 貸出名簿をめくり、『伝電小隊』と書かれた項目を見る。

清水しみず清吉きよきちさんはいるかな?」

「ああ。清水さんなら、借り出されていますよ」

「誰に?」

「明々さんに。だから、ぼくが伝電小隊にいるんです」

「ああ、そうなんだ……」

 それを聞いた日暮は納得した。

「お伝えしておきましょうか」

「……うん、お願い。――お邪魔しました」

「お気をつけて」

 リクに見送られ、日暮は第一訓練室を後にした。



「はあ……」

 日暮はため息をつく。

 肆番隊兵舎を駆けずり回ったというのに……本の返却は一冊だけ。

 骨折り損の気分だった。

 そろそろ帰ろう、日暮が第二兵舎から出て行こうとした時だった。

「きゃっ!」

 ドンッ! と誰かにぶつかった。

「ご、ごめんなさい!」

「だ、大丈夫です。そちらこそ、だいじょ……」

 日暮は思わず言葉を止める。なんと、ぶつかった相手は磯崎だった。

「ちぃちゃん!」

「ひ、ひぐらしちゃんっ!」

 磯崎は驚きに目を見開く。日暮は尋ねた。

「書庫番さんとの話は終わったの?」

「う、うん。なんとかなったよ」

「そう」

「……わたし、行かなきゃ」

 なぜか、足早に立ち去ろうとする磯崎。様子がおかしいと感じた日暮は、

「ま、待って! どうして逃げるの?」

 彼女の手を掴み、引き止める。

「ねえ、ちぃちゃん。なにがあったの?」

 と日暮は訊くが、磯崎はなにも答えない。

「書庫番さんに、なにか言われたの?」

 やはり、返答はない。

「そうだったら、あたしが書庫番さんにガツンって言ってあげる。――だから、なにがあったのか……話して?」

 言葉を促す日暮だが、磯崎はだんまりだ。

「ねえ、ちぃちゃ――」

「――ない」

 日暮の言葉を遮るように、磯崎が呟く。

 そして、彼女は顔だけを日暮に向け、


「ひぐらしちゃんには関係ないっ!」


 吐き捨てた。

 日暮は親友の言葉に耳を疑う。明らかな拒絶だ。

 磯崎は日暮の手を振り払い、振り返ることなく、第二兵舎へと行ってしまった。

(……急にどうしちゃったの?)

 日暮は磯崎の拒絶に衝撃を隠せない。だが、考えられる原因はひとつだ。

(あいつ……! ちぃちゃんに、なにを言った!)

 踵を返し、日暮は急いで〝書庫〟へと戻った。

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