陽炎の弟子/第二幕.ⅲ
「……ん」
目を覚ますなり、見慣れた顔が目に飛び込んできた。
「ひぐらしちゃん!」
「よかった」
磯崎とリク。二人の心配そうな表情が安堵のそれへと変わる。
だが、まだ意識がはっきりしていない日暮は、二人の姿が見えていても、認識できていない。
自分は形見のお守りを探している途中、それを持っている珍妙な白猫と遭遇。お守りを猫が返してくれないから、追いかけた。猫を追いかけているうちに、本がたくさんある館を発見。そこで、とても綺麗な男の人に出会った。それから――。
「お守りを返して!」
と叫んで、勢いよく飛び起きた。
そこでようやく、日暮は磯崎とリクを認識する。
「ちぃちゃん、仙道くん。なんで……?」
周囲を見渡すと、外ではなかった。ここは、第二兵舎の二階にある医務室だ。
「どうして、ここに……?」
「仙道くんが運んできてくれたんだ」
現れたのは、竈馬。日暮の声を聞き、見に来たのだ。
「仙道くんが君をお姫さま抱っこして、医務室に来たから驚いたよ」
くくっ、と笑う竈馬。日暮とリクの顔が羞恥心で真っ赤になる。
「青いねぇ。――ところで、日暮くん」
「は、はい」
「仙道くんの話によると、急に倒れたらしいね」
「そ、それは……」
日暮は言葉を濁す。自分の想像で勝手に倒れました、などと口が裂けても言えない。だが、想像したものを思い出した途端、今度は真っ青になった。
「あ、あのっ! あたしっ、脱走兵じゃありませんから!」
「それはわかっているよ。燈籠には私と磯崎くん、仙道くんが伝えておいた」
「そう……ですか……」
体の力が抜ける。安堵からくるものだった。
「ただ――」
竈馬の言葉に、日暮の脱力した体が強ばる。
「――起きたら、隊長室に顔を見せてほしいんだそうだ」
一難去って、また一難。その
第二兵舎の三階に位置する隊長室までの足取りは、重かった。
嫌な想像ばかりしてしまう。
とうとう、黒のプレートに白字で『隊長室』と書かれた文字が目に入ってきた。
それを見た途端、深いため息をつく。だが、もう逃げられない。
(ええい、ままよ!)
己を鼓舞し、日暮は扉を叩いた。
「日暮 空です」
扉の向こうから、「どうぞ」と燈籠の声が返ってくる。
「失礼します」
挨拶をし、隊長室の中へと入った。
「やぁ、おはよう。――昼だけど」
机に乗っている山積みの書類と格闘していた燈籠は顔を上げ、日暮を歓迎すらしているようだ。怒った様子は微塵もない。
燈籠は穏やかな口調で話を切り出した。
「――さっそくだけど、話してくれる?」
「……はい」
日暮は事のあらましを伝え始める。燈籠は相槌を打ちながら、日暮の話に耳を傾けていた。
日暮も自身が脱走兵ではないことを特に強調し、
正直、あの男の言葉をどれほど信じればいいのかはわからない。が、意味がないことを言うとは思えなかった。だから、試してみる価値はある。これでなにもならなかったら、あの女男を恨んでやろう。――そう決意を固めつつ、
「――以上です」
と話を締め括った。
「うん。よくわかった」
燈籠はひと息つき、背もたれに背中を預け、天井を仰ぐ。
しばらく沈黙が続いた。
その間、日暮は燈籠の次の出方をずっと窺っていた。正直、気が気でない。
「……ひぐらしちゃん」
「はい……!」
来た! 体に力が入る。
「事情がどうであれ、君は集合時間に作戦室に現れなかった。これは明らかな軍務違反および命令違反だ。くわえて、君は兵舎から許可なく出ている。脱走兵と思われても、しかたがない」
「はい」
「これらを考慮すれば、それ相応の罰則を与えなければならない。――わかるね?」
「……はい」
日暮は顔を俯けた。
受け入れる覚悟はあっても、やはり不安だ。
手の平に爪が食い込むほど、力が入っているのがわかった。
「肆番隊指名配属、衛生兵・日暮 空」
「はっ!」
顔を上げ、返事をする。
「〝書庫〟への謹慎および書庫番の世話係を命ずる」
しばらく、二人の間に微妙な空気が流れる。
だが、それは長くは続かなかった。
「あ、あの……」
「ん?」
「しょ、〝書庫〟とは……?」
「君が迷い込んだ館さ。本がたくさん、あったでしょ?」
たしかに、あった。
「しょ、書庫番とは……」
「その館に住む美人ちゃんのこと」
あの銀髪の男のことだ。たしかに、彼は美しかったが……。
「君に脱走する意思がなかったことはわかってる。でも、軍だからね。それなりに、罰は与えないといけないんだ」
「世話係になることが、罰……なんでありますか?」
「君が本当にしたいことを鑑みれば、充分すぎる罰だと思うけど」
日暮は目を見開いた。
そんな日暮にかまわず、燈籠は話を切り上げる。
「――これで、君への罰は確定したわけだから。さっそくだけど、荷物をまとめて〝書庫〟に行って」
日暮はまだ混乱していた。このような処遇が罰なのか。
「ほら、ボサっとしないで! さっさと行く!」
「は、はいっ! ――し、失礼します」
燈籠に急かされた日暮は、慌てて隊長室を後にする。
扉を閉めた後。体から力が抜け、ずるずるとその場に座り込む。
「……なんなの……一体……」
ひとまず、脱走兵とみなされずに済んだのは喜ばしいことである。
ほっとしたのも束の間、
(ん? 待てよ……)
燈籠の命令と、一連の会話を
(あの女男の世話をしろと!?)
途端に、日暮は憂鬱になった。
だが、こうなってしまっては、しかたがない。
諦めの境地に立たされた日暮は、深いため息をつく。
(どうにでもなれ!)
半ばやけくそになって、日暮は立ち上がった。
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