陽炎の弟子/第一幕.ⅳ
明々にひっぱられるがまま、日暮たちがやってきたのは、第二兵舎の二階にある医務室。
「うぅ……」と新兵たちが呻いており、白衣を着た衛生兵たちからの治療を受けていた。
この光景に呆気にとられている三人をよそに、明々は部屋の奥へと向かった。
そこでは、白衣を着た男が顔の腫れた兵卒に消毒薬を塗り、手際よく包帯を巻いていた。巻き終った包帯に
ひと息つき、ようやく彼は明々たちのほうを向いた。
撫でつけられた髪。優しげな表情をしているが『優男』という雰囲気でもなく、伝電のように眉間に皺を寄せた――神経質そうなというわけでもない。燈籠に近いが、彼とも違う。男は、まさしく『医療に携わるべき者』にふさわしい。
だが、男の爽やかな表情は明々を捉えるなり、渋い表情を浮かべる。
「そんな顔しないでよ~。ご要望どおり、連れてきたよん」
明々は日暮と磯崎、リクを指した。
「ひ、日暮 空と申します。彼女は磯崎千鶴子。あと、彼は……」
「仙道リクです。燈籠より、力仕事を命じられました」
「私は、
自己紹介をし合った後、竈馬は明々に言う。
「明々先輩。もう結構ですので、お引き取りを……」
「え~、ちゃんとアタシも責任を取ろうって思ったのに~」
ぶ~、と頬を膨らませる明々。竈馬が肩をすくめる。
「応急処置しかできない人がいても無意味です。それに、気づきませんか?」
「なにが~?」
「みんなが怯えているんですよ」
竈馬の指摘どおり、医務室にいる兵卒たちが明々に怯えている。まるで、命乞いをしているかのようだった。
「そっか~。じゃあ、アタシは第一訓練室に戻るよ~。今頃、新米たちは伝電と燈籠に、しごかれてると思うから~」
「……待ってください」
聞き捨てならない言葉に、竈馬は立ち去ろうとする明々を引き止めた。
「なんと仰いましたか?」
「だから~、第一訓練室に戻るんだって~」
「私が言っているのは、その後です!」
「ん~。新米たちは伝電と燈籠にしごかれてるって~」
竈馬の顔が青ざめる。やがて、やむを得ないと言わんばかりのため息をついた。
「……ここにいてください」
「応急処置しかできない人はいらないんでしょ~?」
「前言撤回します。手伝ってください」
「え~、どーしよっかな~?」
「明々先輩!」
竈馬の必死な叫びに、
「最初からそう言いなよ~。素直じゃないんだからさ~」
茶目っ気たっぷりに明々は答えた。竈馬は複雑そうな表情を浮かべる。
「あ、あの……」
状況を飲み込めていない日暮が、竈馬に声をかける。
「ん? なにかな、日暮くん」
「どういうことなんでしょうか? いったい、なにが……?」
「第一訓練室に行ったなら、察してくれると思うが……。肆番隊の実技訓練はちと厳しくてね」
「はぁ……」
竈馬の言葉に、日暮はひっかかりを覚える。第一訓練室で山のように気絶していた一斑の兵卒たちを思い浮かべる。あれが『ちと』で済んでしまうことだろうか。
「でも、隊長自らの訓練なら、厳しいのは当然なのでは?」
むしろ、隊長自ら訓練をつけてくれることなど誉れ高いことなのではないか。特に、歩兵科・騎兵科・砲兵科などの戦闘兵たちは大喜びしていそうだ。
「そういう意味じゃないよ~」
「え?」
口を挟む明々に、日暮は首をかしげる。
「燈籠はね~、生半可な覚悟を持ってる奴が大嫌いなの~。今頃、残された子たちは地獄を見ていることだろうね~」
竈馬が口を開く。
「大げさに聞こえるかもしれないが、あながち嘘ではないんだよ」
「そうなんですか!?」
驚く日暮に、竈馬はうなずく。
「私も陸番隊から肆番隊に異動してきて、半年しか経っていないが……。燈籠は必ず怪我人を作って、ここに運んでくるんだ」
信じられない。あの燈籠が!?
たしかに、軍人とは、戦地に赴けば常に生と死の狭間に置かれる。
今日を生き抜けるかどうか、わからない。同じ釜の飯を食べた仲間がもの言わぬ屍になる。
時には、究極の選択を強いられることもあるだろう。
最前線の隊を率いるのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。
日暮は燈籠の意外な面を見たような気がした。
(もしかして、この人も……)
思わず、日暮は明々に目を向ける。おそらく、明々も燈籠と同じ考えの持ち主なのだろう。でなければ、ここにいる兵士たちが怯えているはずがない。
突然、医務室の扉が勢いよく開いた。
「た、たすけ……て……。こ、殺される……」
「なにが殺される、だ。あれぐらいで死なねぇよ!」
威勢よく背後からした燈籠の声に、「ひやぁぁぁっ!」と慄く新兵たち。燈籠は負傷した(させた?)新兵数名を米俵のように、担ぎ込んできた。
「よっこらせ」
担ぎ込んできた兵卒を下ろすなり、燈籠は踵を返して行ってしまった。おそらく、第一訓練室にまだいる負傷者を迎えに行ったのだろう。
一方、運び込まれた兵卒たちの顔に生気はなく、「死にたくない、死にたくない……」と念仏のように唱えている。
異常な光景に、ベテラン衛生兵も思わず手を止めてしまっている。
「ぼさっとしてないで! 負傷者はまだまだやってくるぞ! ――日暮くんと磯崎くんは手当ての準備を! 仙道くんは歩けない負傷者の手助けを頼む! 明々先輩は軽傷者たちを!」
竈馬の的確な指示で、止まっていた時が動き出した。日暮と磯崎は「消毒薬と包帯はどこですか!?」と、治療の準備に取りかかる。
リクは動けない負傷者に肩を貸し、彼らの移動を手伝う。ここに運ばれてきた連中の「この隊、辞めたい……」、「う、噂と違う……」、「さすが、八色蟲隊の棺桶……」という呟きは、止むことがない。軽傷者は「みっひゃひゃひゃ~」と鼻歌混じりに笑う明々から、消毒薬をたっぷり塗られていた。見かねた衛生兵が「やりすぎです!」と注意する。
さすがに、リクだけでは運ぶのに手が足りなくなり、明々や軽傷者たちが率先して負傷者を竈馬や日暮、磯崎と竈馬配下の衛生兵のもとへと連れて行く。
医務室はあっという間に人でいっぱいになった。外にも負傷者が列をなしていく。男性に比べれば、軽傷(なぜか顔はまったくの無傷)の女性負傷者の中には、「怖いよ……」、「毎日がこうなの? やだぁ……」と泣き崩れる者までいた。
「ふぅ……」
最後の負傷者が運び込まれ、やっとすべての治療を終えた。
日暮はようやくひと息つく。――と。
「お疲れさまー、ひぐらしちゃん」
「わああっ!」
いつの間にやら戻ってきた燈籠に声をかけられ、驚きのあまり悲鳴を上げた。
「驚かれたの、二度目だね」
その反応に、燈籠はくつくつと笑う。
「さて、零斑の諸君――」
「ひっ!」
負傷した零斑は恐怖で体を強ばらせる。よほど、彼の訓練が骨身に堪えたらしい。
「――第一兵舎の三階に行こう。それで、午前の軍務は終了だ」
言われて、気づく。
「まだ一日、終わっていないんだ……」
日暮の呟きに、零斑の面々は絶望の表情を浮かべた。
重傷者だけを医務室に残し、日暮たち零斑は燈籠とともに、第一兵舎へと向かった。
三階の事務室に着くなり、燈籠は叩きもせず、いきなり扉を開ける。
中は閑散としており、人が少ない。
部屋の一番奥にひとつ独立した事務机。そこに右目に眼帯をつけ、両手には黒革手袋をつけた男が座っていた。
「よぉ、遅くなって悪いな」
「まったくだよ」
燈籠の言葉に、男は嘆息する。
「人が少ねえけど……。みんな、食堂か?」
「ああ。――それにしても、随分と派手にやったな」
男は怪我人だらけの零斑を見て、呆れる。
「いやぁ、やりすぎたとは思ってるよ?」
頭を掻く燈籠に対して、
「思ってないくせに……」
男は肩をすくめた。
「新兵のみんな、乱暴な隊長を許してくれ。自分は、
「肆番隊では地味小隊。ついでに名前だけ聞いたら、女と間違われる小隊長でもある」
横やりを入れる燈籠を睨む穂樽。対し、燈籠はあさっての方向を見やり、わざとらしく口笛を吹いている。穂樽は「やれやれ」と肩をすくめ、新兵たちに言う。
「新兵諸君。ここまで来るのに、随分と疲れただろう。燈籠に代わり、自分が食堂までの案内係を務めさせてもらう」
「おい、ちょっと待て。なに勝手に決めてんだよ」
「ならば、意見具申する。午前の軍務は、兵舎案内および説明だけのはずだ。断じて、訓練で怪我人を作ることではない。よって、あなたには任せられない」
ぴしゃりと言いきる穂樽に対し、燈籠はぐうの音も出なかった。
(す、すごい……)
全員が心の中で拍手喝采した。燈籠を抑え込んでしまう穂樽に感心する日暮。また、第一訓練室で燈籠に地獄を見せられ、負傷した兵卒たちは彼に尊敬の眼差しを向けていた。
たまらず、燈籠は肩をすくめる。
「……わかった。後は任せるよ」
「ああ」
「ん、頼んだぜ。――じゃあな」
燈籠は事務室から出て行ってしまった。
「わぁぁぁっ!」
零斑の面々が歓喜の声を上げた。
「危機は去った!」
「ううっ。俺、まだ生きていけるっ!」
「わたしも! もうやだって思ったけど……!」
「入るなら、穂樽小隊にするわ!」
「おれも!」
万歳三唱を始める零斑の面々。まるで、宴でも始まりそうな勢いだった。
「……なんなの?」
「なんなんだろう……ね」
日暮と磯崎は唖然とし、リクは苦笑を浮かべる。
「……心中、お察しするよ」
彼らの気持ちを理解したのか、苦々しげに穂樽は呟いた。
案内係が穂樽に代わるなり、穏やかな時が流れ始めた。
事務室の隣にあるのは、第一・第二・第三まである倉庫部屋だった。穂樽は第一倉庫の鍵と南京錠を外す。そこには、銃火器と銃弾、手榴弾や軍刀。医療道具と毛布、天幕や保存食をまとめた雑嚢がたくさん置かれていた。
「ぜひとも、手に取ってみてくれ。――くれぐれも慎重に取り扱うように」
「うわぁ、すげぇ!
「たしか、
嬉々とする歩兵科と砲兵科は怪我のことなど忘れて、長銃と拳銃、狙撃銃に夢中だった。
「そーいや。紅炎零式は
「炎斎の弟子じゃなかったっけ?」
「え。けど炎斎って、八色蟲隊の隊長かなんか、やってたんだろ?」
もともとは名だたる刀鍛冶の名であったが、武士の時代が終わり、文明の発達とともに武器職人へと転身し、やがて八色蟲隊専属の武器職人となった。そうして生み出されたのが、八色蟲隊最初の銃火器――紅炎零式と呼ばれる銃火器類である。しかし、紅炎零式は当時の材料のせいもあって銃自体が重く、扱いが容易ではなく、熟練者向きだった。それを改良したものが紅炎改式である。
「たしか、
「ばか! 『
「いやいや! 噂によると、玖番隊は実在したらしいぜ」
「都市伝説だろ、それ」
「俺のじいちゃんが言ってたんだけど、昔は
その会話を聞いた日暮と磯崎は自分たちが持っていた地図のことを思い出す。
――コホン、コホン。
穂樽のわざとらしい咳払いが聴こえた。
「……見学は許可したが、私語は許可していないぞ」
「す、すみません!」
新兵たちは長銃や拳銃、狙撃銃を元に戻し、穂樽に敬礼した。
「それに、銃火器を見るなり、興奮するのは感心しないな。ここにあるのは、武器だ。扱いを誤れば、仲間を――自分を危険に晒すことになるぞ」
厳しい言葉に、それまではしゃいでいた兵卒たちが、しゅんとなる。
ふっ、と穂樽は表情を緩めた。
「そんな顔をしないでくれ。そうだ、腹が減ったな。食堂へ行こう」
落ち込んでいた兵卒たちが「はい!」と元気よく返事をした。
穂樽は鍵を元のように二重にかけ、鍵がかかっているかを念入りに確認すると、兵卒たちに言った。
「自分が案内するのは、食堂までだ。今は
食堂は第二兵舎の奥に位置している。近づくにつれ、おいしそうな匂いが立ち込め、来る者の鼻孔をくすぐる。
零斑の面々は「飯だ、飯!」、「お腹すいたねぇ」と口々に言った。
食堂は兵舎に比べ、閉塞感がなく、開放感に満ちている――吹き抜けのおかげだ。長机がまんべんなく置かれていた。奥は調理場。割烹着を着た兵士たちが、ご飯・汁物・おかずなどを順番に配膳していた。
「この食堂も、我が穂樽小隊の管轄だ。新兵諸君、存分に食べてくれ」
「はいっ!」
零斑は敬意のこもった返事をする。
「膳を持って、あの列に並び、各自、食事を受け取ってくれ。――じゃあ、自分はこれで失礼するよ」
「ありがとうございました!」
敬礼のままで穂樽を見送り、彼らは列に向かう。
食事を受け取った日暮と磯崎は、空いた席がないかと探す。
席はすでに大半が埋まっている。
「ちぃちゃん、あそこに座ろう!」
二人並んで腰を下ろす。
「ご一緒して、よろしいでしょうか?」
そんな二人にリクが声をかけてきた。
「どうぞ。――いいよね、ちぃちゃん」
「うん」
日暮の向かいにリクは腰を下ろす。
「ねえ、仙道くん」
日暮がリクに声をかける。
「なんでしょう?」
「仙道くんの刀って、お母さんの形見なんだよね?」
実はちょっと、気になっていたのだ。
「ええ。顔は知りませんが……」
「顔を知らない?」
「覚えていないんです。物心つく前に、ある富豪のところへ奉公に出されましたから。剣技は、そのご子息から教わりました。まさか剣技の才が認められ、軍人になるとは夢にも思いませんでしたけど……」
「あ……ごめん」
日暮は顔を曇らせた。気軽に立ち入ってはいけない話だった。ついでに、彼が士官学校の修了生ではなく、外からやってきたのだと確信する。
軍に入隊するのは、なにも士官学校に通っている者たちだけではない。
稀有なことではあるが、一般社会にいる武芸に秀でた者たちをスカウトして、軍に入れる場合があり、彼らは
「気になさらないでください」
リクから優しい言葉が返ってきた。日暮の心情を察したのだろう。
「よかったこともあるんですから」
「よかったこと?」
「ええ。これが価値ある刀かもしれないと、わかったことです」
(それは、伝電さんが勝手に言っているだけかもしんないけど……)
伝電の目利きを疑っているわけではないが、その可能性はなきにしもあらずだ。
「ところで、この刀がどうかしましたか?」
今度はリクが尋ねる。
「あ、いや。その刀がお母さんの形見って聞いた瞬間、ちょっと親近感湧いちゃって……」
「親近感?」
「うん。あたしも三年前に、お母さんを亡くしてね」
「……すみません」
リクの表情が曇る。
「そんな顔しないで。――あ、あたしもね、仙道くんみたいにお母さんの形見を持ってるんだ。肌身離さず……」
ズボンのポケットに手を入れた瞬間、日暮は言葉を止めた。
(あれ? ない?)
反対側のポケットも探ってみるが、やはり、ない。
(ど、どこかで落とした!?)
日暮の顔から血の気が引いていく。
「ひぐらしちゃん?」
「どうかしましたか?」
「……ない」
ぽつりと呟く日暮に、磯崎とリクは「えっ?」と小首をかしげる。
「形見のお守りが、ない……」
「ええっ!?」
声を上げたのは、磯崎だった。
「いつも、首につけてたんじゃないの!?」
「そ、装飾品禁止だから……」
「上着を着てたら、バレないよ」
「そ、そうなんだけど。い、一応、規則は規則だし。そう考えたら、ポケットに入れるしかなくて……」
日暮も最初はそうするつもりだったが、『上着越しにお守りの形が浮いたら、どうしよう』と考えた結果、ポケットに入れておくことにしたのだ。
「と、とにかく探そう! もしかしたら、誰かが拾ってくれているかもしれないよ!」
「磯崎さんの言うとおりです。ぼくも協力します」
「うん、ありがと……。ちぃちゃん、仙道くん……」
「まず、いつ落としたかが問題ですよね」
「落としたのはこの敷地内だよ。伝電さんの時には、あったから」
あの緊迫した状況に耐え切れたのは、あのお守りを握ったからだ。
「じゃあ、明々さんが現れてからだね」
「うん……。たぶん、その後で落としたんだと思う」
「とりあえず、食堂までの行動を振り返りながら、探して行ったほうがいいですね」
「そうだね」
「おや、どうしたんだい?」
と声をかけてきたのは、竈馬だった。
「竈馬さん。お昼ですか?」
「ああ。ようやく、一段落ついたのでね。――なにかあったのかい?」
「あ、いえ……。たいしたことはないんです。すみません」
こんなことで、小隊長の手を煩わせてはいけない。
「そうかい。――そうそう、磯崎くん」
どうやら、もともと磯崎に用があったらしい。
「はい」
「まだ休憩中なのに申し訳ないが、私に少し付き合ってもらえないか?」
「え、ですが……」
磯崎は申し訳なさそうに、日暮を見る。
「大丈夫だよ。
「ごめんね、ひぐらしちゃん。――仙道くん、お願いね」
「はい」
リクはうなずき、日暮とともに手早く食事を済ませる。
「行きましょうか、ひぐらしさん」
「うん。――じゃあね、ちぃちゃん。竈馬さんも」
「ああ」
「あとでね」
竈馬と磯崎と別れた日暮は、リクとともに形見のお守りを探しに向かった。
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