陽炎の弟子/第一幕.ⅲ

 第二兵舎は、第一兵舎と造りは同じだ。

 違うところがあるとすれば、その一階に位置する第一訓練室からは、怒号と断末魔の悲鳴しか聞こえてこないことだろうか。

「おぉっ! 相変わらずだなぁ」

 嬉々とした表情を浮かべる燈籠と顔をひきつらせた零斑一同。

「おーい! 今日も、しごいてるかぁ!」

 燈籠の声に、怒号を発している男が振り向く。


「おう、燈籠」


 その男が近づいてくる。零斑一同は驚愕した。

 燈籠も背が高いほうだが、そんな彼が『標準』に見えてしまうほどの大男。日に焼けた浅黒い肌と服越しからでもよくわかるほど、盛り上がっている筋肉。額には×印のような刀傷があった。

「こいつは伝立つだたち電介でんすけ伝電でんでん小隊の長だ」

「デンデン?」

「かたつむり……?」

「二つ名みたいだね」

 と、零班の面々は口々に言う。

 二つ名――八色蟲隊の隊長と副隊長に虫の名を冠する『もう一つの名前』。公で個人を特定されない為の暗号名および通称号としての役割を持つ。『隊長』と『副隊長』という名詞の代わりにもなり、ほとんどがこの二つ名で呼ばれる。二つ名に関しては千差万別だが、参番隊隊長・きのえのように、代々受け継がれている二つ名も存在する。

「俺たち肆番隊は、それぞれ小隊ごとに区分しててね。小隊長を務める奴には、隊長と副隊長同様、二つ名を与えているんだ。――まあ。この体制が定着したのは、俺が隊長になってからなんだけどな」

 燈籠の説明に、零斑の中から「へえぇ~」と感嘆の声が上がる。


「燈籠っ!」


 ひょろ長い背丈、片眼鏡モノクル。『学者』のような雰囲気を持った、『一』の番号札を胸元につけている所属兵が懇願する。

「やめさせてあげてください。このままでは……!」

「なにを言うか、清水しみず! そもそも、あやつらが腑抜けなのが悪い!」

「そういうことじゃない! まだ、回らなきゃいけないっていうのに!」

 清水と呼ばれた男の指先には、目を回している新兵たちが積み上げられていた。かろうじて立っている者もいるにはいるが、竹刀で体を支えているのが、という状況である。

「……相変わらず、容赦ねえな」

 燈籠は頭を掻き、ぼやく。

「ふん! これぐらいで折れていて、八色蟲隊の矛が務まると思うか!」

「うん、そのとおりだな」

「感心している場合ですか!」

 怒鳴る清水。

「そもそも、隊長がそんな調子だから、腑抜けどもの受け皿にされてしまうんだろうが!」

 伝電は竹刀を床に叩きつける。

 パァァン! と乾いた音が訓練室に響き渡った。

「まあ、そう怒んなって」

 このままでは説教が長くなりそうだ。そう踏んだ燈籠は伝電に提案する。

「とりあえず、指名配属の奴を連れてきたから。揉んでやってくれや」

「指名配属? 三名だけという奴らか」

「ああ。一番前にいるのが、そうだよ。――俺が選んだから、満足していただけるかと」

 伝電の視線が指名配属――日暮と磯崎に向けられる。その視線(睨み?)に、日暮は磯崎と抱き合い「ひぃぃ……」と悲鳴を上げる。伝電のような屈強な兵を前に、後方支援に特化している衛生部(戦闘に関しては素人もいいとこ)では、手も足も出ないことは明白だ。

 それは、さすがの伝電にもわかるようで、

「……燈籠。我に、と戦えと申すのか?」

 燈籠たいちょうを白眼視する。

「ちげーよ! 襟と袖の三本線、見ろや! あの子たちが衛生兵なのはわかるだろ! ――俺が言ってるのは、野郎のほうだよ!」

 一斉に、零斑内の視線がある人物に集中した。


「へ!?」


 リクだ。

「ほぉ……」

 白眼視から一転、好戦的な目を向ける伝電。完全にリクを標的とみなしている。

 日暮と磯崎――他の零斑の面々も、リクに対し「ご愁傷様」と言わんばかりの表情。しかも、彼の後ろにいる三人の兵士が、彼を後退させないように背中を押している。

 だが、伝電の興味はリクだけではなかったらしい。


「その刀、どこで手に入れた?」


 興味の矛先は、リクが腰に差している刀であった。

 軍刀にしては鞘の装飾が細かく艶やかで、美しい。


「我の見立てによると、紅鳳院こうほういん炎斎えんさいが打った名だたる刀のひとつと見受ける」


 その言葉に、歩兵科・騎兵科・砲兵科所属の新兵たちがどよめく。そんな彼らに対し、


(炎斎……って、誰?)


 小首をかしげる日暮。その表情を察した磯崎がこっそり耳打ちする。

「八色蟲隊の武器開発および改良に携わった人だよ。授業で習ったでしょ?」

「ああ、そういえば……!」

(わかってない!)

 日暮の反応の薄さに、磯崎は頭を抱えた。

 一方。当の持ち主であるリクも、


「――そうなんですか?」


 初めて聞きました、と言わんばかりの声色だ。

 燈籠は「ぶふっ!」と吹き出し、伝電は驚愕した。

「知らないのか!?」

「はい。亡くなった母がぼくに渡すように頼んだ物だと、聞いておりますが……」

(……あの刀、お母さんの形見なのか)

 日暮はリクに対し、親近感を持った。ポケットにあるお守りをぎゅっと握り締める。

「むうぅ……」

 伝電は唸った。

 炎斎の刀とあらば、軍人――まして男なら、一度は手にしてみたい。しかし、それが母の形見となれば……。だが、諦めることもできない。

 散々葛藤した後、伝電は言う。

「お前。その刀を賭けて、我と勝負せい」

「申し訳ありませんが、お断りいたします」

 ご丁寧かつ即答だった。

「なぜだ!」

「なぜって……。戦う道理がありません」

「お前の刀を賭けて、と言っているのだぞ?」

「それは、あなたが勝手に言っていることですから」

 的を射た反論だ。伝電は言葉に詰まってしまう。

(よく言った!)

 清水が心の中で拍手を送る。

 しかし、諦めきれないらしい伝電は最終手段に打って出た。


「燈籠! 我らに命じろ!」


(それって、ずるくない?)

 清水と零斑一同は思う。

 燈籠は「う~ん」と頭を掻き、しばし悩んだ後、

「わかった。お前ら、刀を賭けて勝負しろ」

 と言った。リクは目を丸くし、伝電はにやり、と笑う。

 リクは観念し、

「……隊長命令ならば、しかたないですね」

 刀帯から刀を抜いて、燈籠に預けた。

「しっかり、やんな」

「……はい」

 燈籠は満足げにうなずく。リクは軍靴を脱ぎ、 訓練室へと上がった。

 神聖なこの場所は、土足厳禁である。

「どうぞ」

 伝電小隊兵がリクに竹刀を渡す。

「ありがとうございます」

 リクと向かい合った伝電は眉間に皺を寄せ、その体から発する気で彼を威嚇する。


(すごい気迫……)


「勝負は一本先取。それでよいな」

「はい」

 互いに構えた。

 見守る零斑。真っ先に伝電が仕掛けると思いきや――二人はまったく動かない。

「ど、どうしたんだよ?」

「なんで、動かないんだ?」

「……動きたくても、動けないんだよ」

 燈籠の返答に、一同は固唾を呑む。今の彼からは、気さくな雰囲気が微塵も感じられない。その眼差しは獲物を狙う猛禽類のように鋭い。

 静寂と緊張による重圧感が第一訓練室を包み込む。


 向かい合う二人は、まだ動かない。


 伝電の顔からは、と大量の汗が噴き出している。床へと滴り落ち、水たまりを作っている。息をするのも忘れるほどの静寂は続く。それでも、動く気配はない。

(お願い、はやく終わって!)

 日暮の祈りは、零斑全員の心の叫びだった。

この極限状態、経験の乏しい新兵たちには耐え難い。

(止めてください!)

 日暮は燈籠を一瞥し、目で訴える。


 彼が一言「そこまで!」と止めてくれれば――。


 だが、それを懇願する者はいない。そんな輩がいようものなら、この世から永遠に葬り去られるだろう。だから、誰も口にしない。

 手に汗握る静寂と緊張は、なおも続いた。

 やがて――、


「うおぉぉぉぉっ!」


 伝電の気迫ある掛け声で均衡が崩れ、時が動き出す。

 その剛腕から放たれた勢いある竹刀は、リクの脳天目がけて振り下ろされる。

 リクはそれを素早く避けた。振り下ろされた竹刀が床に着地し、穴を穿つ。その瞬間、彼は空きになった伝電の脇にまわり、姿勢――重心を低く保ち、竹刀を刀のように見立て、構える。


 ――死ぬ。


 伝電は確信した。それは命を絶たれる確信。

 彼の喉元目がけてリクの一撃が加わろうとした瞬間、黒い影が横切った。

 刹那。リクが突きの姿勢のまま、と止まる。

 竹刀の先には、預けたはずの刀があった。


「はーい、そこまで」


 燈籠の軽い声が響いた。彼が二人の間合いに割り込んだのだ。

 リクは我に返ったのか、竹刀を引き、姿勢を正し、燈籠に黙礼した。

 燈籠は満足げにうなずき、伝電へと体を向ける。

「悪いな、真剣勝負に水差して。ついでに、神聖な訓練室に土足で上がりこんじまった」

「かまわん」

 止めてくれなければ、伝電の喉は潰されていただろう。


「ほら、返す」


 燈籠は預かっていた刀をリクに向かって放り投げた。

 それを見た伝電はさっと青ざめたのもつかの間、今度は真っ赤になった。

「き、貴様! 炎斎が丹精込めて打った名刀を……!」

 刀を粗末に扱ったことが許せないらしい。

 しかし仮にも、上司を『貴様』扱いするのはどうかと思うが、言われた本人は気にしていないようだ。

「よかった……」

 と胸を撫で下ろした日暮の呟きは、磯崎をはじめ清水、零斑全員の気持ちだ。


「なにがよかったのかな~?」


「うわぁぁっ!」

 突然降ってきた声に日暮だけでなく、零斑全員が悲鳴を上げた。

 首に黒い襟巻をし、袖の無い軍服に身を包み、襟巻と服と同色の籠手。髪は乱雑に切られた断髪。瓶底眼鏡をかけた怪しげな、日暮よりも背が低い小柄な女性(少女?)がそこにいた。

「ど、どこから!?」

「みっひゃひゃ、おかしなこと訊くねえ~。君たちが第一訓練室に入ったあたりから、ずっといたよ~?」

(あれ?)

(これ……どこかで)

 日暮と磯崎は既視感を抱いた。

「ありゃ、ミンちゃん」

「来ていたのか」

「やほ~、燈籠に伝電」

 明々と呼ばれた女性は、燈籠と伝電に気兼ねなく挨拶をする。

 この二人を前にすると、彼女はまさしく『小人』そのもの。

 明々の強烈な登場で茫然としている面々に、燈籠は強引に紹介を始めた。

「あー、紹介するよ。彼女は明寺みょうじあかり――明々みんみん。伝電と同じく小隊長だ」

 彼女が小隊長であることは、なんとなく予想できた。だが、日暮を含め零斑は信じられない。どこからどう見ても、怪しげな人物にしか見えないからだ。

「ミンちゃんの隊は『自由小隊』でね。肆番隊でも小回りが利くんだよ」

「自由小隊ってなんですか?」

 日暮は燈籠に尋ねる。

「ぶっちゃけ部下がいない――『一人小隊』だ」

(それ、『小隊』じゃない)

 日暮のみならず、零斑全員が思った。

 思わず、燈籠は苦笑する。

「……みんなの言いたいことはわかるけどね」

「当然だ」

 伝電はうなずく。彼も新兵たちの反応に同意見のようだ。

「ちょっと~、アタシはちゃ~んと仕事してるよ~? ついでに~誤解のないように言っとくけど、アタシの部下は半年前から武者修行中で、ここにはいないだけだもん」

(その人、武者修行じゃなくて脱走したんじゃ……)

 日暮は思わず、不謹慎極まりないことを心の中で呟く。

「思うんだが。そやつは武者修行ではなく、脱走したのではないのか?」

 頃合よく、伝電が日暮の心の中を代弁する形となる。

 明々の反論がやってくると思いきや、なんと、燈籠が伝電の脹脛ふくらはぎを蹴り上げた。

「な、なにをする!」

 伝電は目に涙を浮かべながら、訴える。軍靴で蹴られたのだから、相当痛いはずだ。

「お前が余計なこと、言うからだろ」

「わ、我は思ったことを言っただけだ。なぜ、お前が怒る!」

「うるさい」

「まあまあ! 新兵たちの前だよ!」

 清水が間に入り、二人を諌めた。

 置いてけぼりをくらわされている零斑一同。

「あ、そーだ」

 明々がなにか思い出したかのように、突然と口を開く。

「アタシ、お使いで来たんだよね~」

「お使い?」

 燈籠は首をかしげた。

「うん、そー。竈馬かまどうまがね~、衛生部ちゃんと男手をご所望なの~」

「……またなんかやったの?」

 嫌な予感がする、と言わんばかりに燈籠は眉をひそめた。

「失礼だな~、自分のことは棚にあげて~」

 明々は頬を膨らませる。

「四斑に実技指導をしたら、みんな伸びちゃっただけだよ~?」

「ミンちゃ~ん!」

 予感的中。燈籠は深いため息をつく。

「ひぐらしちゃん、磯崎ちゃん」

「は、はい!」

 燈籠の声で、我に返る日暮と磯崎。

「それから、リク」

「はい」

 指名され、返事をするリク。

「悪いけど、ミンちゃんと一緒に医務室に行って来て」

 燈籠は三人に指示を下す。

「ミンちゃん、三人を案内してあげて」

「りょ~か~い。――さぁさぁ、行くよん」

 明々は日暮と磯崎の手を握り、駆け出した。体勢が崩れかかった二人は、彼女の手を離すまいと必死だ。リクは彼女たちの後を追う。

 それを見送った燈籠は満面の笑みを浮かべ、優しく零斑に告げた。


「残った零斑諸君は、ここで実技訓練を受けてもらう。――覚悟しろよ?」

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