陽炎の弟子/第一幕.ⅱ

 作戦室は兵舎の中でもっとも広い面積を占め、建物の中心に位置し、式典の際には『講堂』にもなる。これは八色蟲隊すべての兵舎共通である。普段は机と椅子が並ぶ部屋を、入隊する新兵たちが五人ずつ並び、列を成し、部屋を占拠していた。

「これで、おれらも安泰だな」

「あ、なんで? むしろ『最悪!』じゃねえのか? ここ、〝棺桶〟なんだぜ?」

「知らねえの? 肆番隊は〝非番隊ひばんたい〟とも呼ばれてんだぜ?」

「今は、軍縮ぐんしゅく――大きな争いもないから、気楽に過ごせるよ」

らくができて、かねがもらえて、出世もできる! さしずめ、〝楽金世がっきんせ〟ってとこだな」

「おいおい、安近あんきんたんみてえなこと言うなよ」

 私語で騒がしく、まるで社交会のようだ。

 教壇の前には、肆番隊の所属兵たちがいた。

 彼らの胸元には『一』から『四』までの番号札が。特に、『四』の番号札をつけている所属兵は、ぶつぶつ文句を言っている。『二』の所属兵は嘆息し、『一』と『三』の所属兵は苦笑した。


「間に合った!」


 作戦室に日暮と磯崎が入ってくる。

水を打ったように静まりかえり、一斉に、日暮に視線が集まった。

「おい、あの髪――」

「例の子か」

「学校長をキレさせたっていう……」

「頭、わるそ~」

 ヒソヒソ、ヒソヒソ――陰口で、ざわめき始める。

(ここでも、また……)

 日暮は目を伏せ、唇を噛み締めた。

 傍にいる磯崎は不安げな表情を浮かべる。


「お前ら、言いたいことがあるなら堂々と言えよ」


 その一言で、再び水を打ったように場が静かになった。

(この声……)

 聞き覚えのある声に日暮は顔を上げた。

 教壇へと向かう一人の男が、この場にいる注目を一斉に集める。

 黒い襟詰めの軍衣と黒のマント、頭には軍帽。軍帽の下から黒髪と橙色の吊り目が覗く。軍衣には、金の飾り緒が二本つけられていた。それは、八色蟲隊の隊長である証。

「――じゃあ、気を取り直して」

 わざとらしい咳払いをして、男は改めて挨拶をした。


「新兵諸君、入隊おめでとう。俺は、八色蟲隊・肆番隊〝黒剣〟隊長、燈籠とうろう。――君たちを心より歓迎する」


 入隊式はその後、八色蟲隊の理念などの話で終了した。

 厳粛な雰囲気だった作戦室は、

「ご苦労さん」

 燈籠の一言で、一気に緩んでいく。

「これから、君たちは肆番隊の一員だ。そのためにも、肆番隊のことを知ってもらう必要がある。それが本日の軍務である。通常入隊の者は、受付で『零』から『四』までの番号を引かされたと思うが、それは斑の番号だ」

 燈籠は並んでいる四人の所属兵を指す。

「それぞれ、一から四までの番号札をつけている兵――彼らが班長だ。今日はその斑で行動し、兵舎および小隊長たちによる訓練を見学してもらう。なお、指名配属と『零』の紙を引いた者たちは、零斑――この燈籠が案内する。以上、解散!」

 燈籠の指示で、新兵たちは移動を開始する。

 日暮と磯崎は燈籠のもとへと向かった。

 一班から四斑は数十人単位であるのに対し、零斑はざっと見積もっても、十数人ぐらいだ。

 隊長自らが案内するのだから、当然なのかもしれない。

 日暮を見るなり、同じ斑である新兵たちが不愉快極まりない表情を浮かべる。

 さらに、彼らが気に食わないのは、


「や、また会ったね」


 燈籠が日暮に声をかけたことだろう。

「あ、あの時は隊長とは知らず……とんだご無礼を……」

 日暮は頭を下げる。

「いいよ、そんなの」

 気にしていない様子に、日暮と傍にいる磯崎は安堵する。そういうことに頓着しない性格のようだ。

 燈籠は零斑の面々をまんべんなく見回した後、

「あれ?」

 小首をかしげる。

「おーい。指名配属された、もう一人。どこだ?」

 燈籠は呼びかける。それを聞いた日暮は、

(あたしとちぃちゃん以外にもいたんだ!)

 指名配属が自分と磯崎以外にもいたことに驚く。磯崎もだ。


「ここにいます」


 現れたのは、柔和そうな顔立ちと優しい眼差し。甘い雰囲気(さしずめ『白馬の王子様』と言ったところか)を持った少年。

「みなさま、はじめまして。仙道せんどうリクと申します」

 名乗りを上げた彼に対する反応は様々だ。

「――なあ。あんな奴、士官学校にいたか?」

「いや、騎兵科と歩兵科では見たことないよ」

「……経理部でも見たことないな」

 そんな男性新兵たちに対して、日暮と磯崎を除く女性新兵たちは思わず、「燈籠もかっこいいけど、彼もかっこいい!」と黄色い声を上げた。

「よし、これで全員揃ったな。――じゃあ、行こうか」

 燈籠の号令で、零斑は作戦室を後にした。



「兵舎は両方とも三階建て。第一兵舎の一階は、作戦室兼講堂を含め、訓練室が二個。小隊長たちの私室兼作業場で使用している。二階は、君たちの『家』となる部屋がある。あ、もちろん男女別だから、安心して。三階は物置。経理部と輜重兵科を受け持つ小隊が主に行くことになると思う」

 燈籠は兵舎の概要を歩きながら説明する。

「他の隊と肆番隊の兵舎の違いは、第一兵舎正面からは見えないけど、兵舎が二個連なっていて、兵舎と兵舎の間に中庭があること。まあ、兵舎が二個あるのは、患者を収容するための病棟舎がある陸番隊、俺らと同じく戦闘のかなめである漆番隊と捌番隊もだけどな。あと、ここは他の隊と議事堂からかなり外れたところにあるから、食堂があることかな」

「喫茶食堂は使用できないんですか」

 日暮は尋ねる。

 食事は隊内で決められた時間に、伍番隊〝桃斎とうとき″に所属する女たちが営む喫茶食堂『女郎花おみなえし』ですることが義務づけられているはずだ。そこでは、陸番隊の栄養管理に基づいた食事が提供されている。

「使えないことはないけど、おすすめはできないね。ここからじゃあ『女郎花』は遠くて、徒歩で往復するのは困難だ。休憩時間なんて余裕で過ぎちゃうよ。近道はあるにはあるんだけど……」

「ほんとですか!?」

「けど、それは『地図上』での話。実際はまったく道が整備されていない危険区域だから」

 それはもはや、死への近道である。

「く、車は?」

「軍用車で行ければいいけど、毎日のことだから、いちいち許可申請をするわけにもいかないからね。ついでに、車の運転ができる騎兵科と砲兵科はあんまり取ってないから、所属兵の送迎を毎日なんてできないよ」

 そもそも、軍用車はそういうことに使う物でもない。

「う、馬とかは?」

「衛生面の関係上、動物厳禁だよ」

 当然である。

「まあ。罰則を受ける覚悟か、除隊する覚悟があるなら、好きにすればいいよ」

 罰則はともかく、除隊はいやだ!

「そ、そうですか……」

 日暮は心の中で叫んだ。

(間接的にでもいいから、陸番隊と接触したかったのに~)

 あからさまに落胆する親友を見た磯崎は、

(あきらめてないんだね……)

 思わず苦笑する。

(……なんなんだ、あいつ)

 他の面々は、日暮の食いつきぶりと落胆ぶりに呆れ果てた。


「――あの」


 今度は、リクが燈籠に声をかける。

「んー? なーに?」

「どこへ行くんですか?」

 燈籠は足を止め、

「第二兵舎にある第一訓練室だ! 肆番隊の本領を見せないとね!」

 満面の笑顔で答えた。

 なんなんですか!? その笑みは! と全員は思った。

「さぁ、行くぞ! 目的地はすぐそこだ!」

 燈籠は鼻歌を歌いながら、足取り軽く目的地へと向かう。


 そんな燈籠に対し、一抹の不安を抱く新兵たちなのであった。

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