陽炎の弟子/第一幕.ⅰ
この世界には、三つの
大陸の南西に位置し、帝都に並ぶ軍事国家――
大陸の真北に位置し、海に囲まれた海上国家――
そして、大陸の北東に位置し、世界の中心である――
そして、この三つの都はそれぞれ、軍を所有している。
日暮と磯崎が入隊する
ただし、一隊に配属される兵科には偏りある。例えば、衛生部ならば
(うう~、行くのやだな~)
日暮の足取りは重い。
上を向くと、雲ひとつない青空が広がっている。その清々しさが、今の日暮には憎々しい。
横目で親友を見た。
「やっぱり、士官学校とは違うなぁ」
彼女は辺りを見回しながら、呟く。
(しっかりしろ! ちぃちゃんもいるんだから!)
日暮は必死に己を鼓舞するが、
(……やっぱ、やだよぅ)
無駄だった。
「あ! ――ひぐらしちゃん、見えてきたよ!」
磯崎が指し示す方向を見ると、日暮の目が建物の一部を捉えた。
法律の判定なども会議される場所、
二人は地図を片手に、肆番隊までの道筋を確認する。兵舎は蟲隊の初代隊長および副隊長たちが好き勝手に建てたため、入隊書とともに地図も配布されるのだ。
「今いる場所が、監視詰め所周辺だから……」
玄関口とも言える監視詰め所を確認した後、日暮は地図上で赤い○印までの経路を目で辿る。
「意外と近いね」
「五分もかからないでしょ。――行こう、ちぃちゃん」
目的地へと歩き出した。
――が。
目的地と思しき場所に辿り着いた日暮と磯崎は、目の前の光景に愕然とする。
「ねえ、ひぐらしちゃん」
「なに? ちぃちゃん」
「この場所で合ってるよ……ね?」
「うん……。そのはずだよ」
眼前には建物はおろか、なにもない
「か、確認してみようか」
「そ、そうだね」
お互いの地図を交換し合い、場所を確認する。そんなことをしても、現実が覆ることはない。
互いの地図は同じ箇所に赤い○があり、その近くには漆番隊兵舎が存在している。地図上では間違ってはいない。
「なんで!?」
「おかしい!」
二人は地図を凝視する。
「ん? ――ねえ、ちぃちゃん」
「どうしたの?」
「これ、どう思う?」
日暮はある箇所を示す。そこには『玖』と書かれていた。
「……たぶん、大字表記の『九』だと思う」
「ちぃちゃんも、そう思う?」
「でも、
もちろん、日暮も聞いたことがない。
存在しているものがなくて、存在していないものが存在している――謎を呼ぶ地図。
「……うーん」
二人が唸っていると、急に目の前が陰った。
なんだろう? 思わず、振り返る。
「うぉうっ!」
「ひゃあっ!」
突然降ってきた声に、二人は悲鳴を上げた。
そこにいたのは、六尺(約一八一センチ)を越えた長身の男。黒髪、黒の襟詰め軍衣(襟と袖には兵科を表す線がない)と黒マント――全身黒ずくめの中、吊り上がった橙色の瞳がやけに印象に残る。
「びっくりしたぁ。声をかけようと思ったら、急に振り返るんだもん」
「す、すみません。急に暗くなったから……」
「あ、そっか。お嬢さんたちの背丈じゃ、俺が近づくと陰っちまうわな」
ごめん、ごめんと男も詫びた。
「ところで、こんなところでなにをしてたのかな?」
どうやら、男は困っていた二人を見かねて、近づいて来てくれたらしい。
二人に尋ねる。
「あ、あたしたち、肆番隊の兵舎に行きたいんですけど……。地図がおかしくて……」
「どれどれ?」
差し出された地図を受け取った男は、それを見るなり、
「……まったく。隊長め、悪戯もほどほどにしろよな~」
肩をすくめる。やはり、この地図は違うらしい。
「あの……肆番隊の方ですか?」
日暮が思い切って尋ねると、
「うん。――ほら」
男は二人に左腕を見せる。そこには白字で『肆』と書かれた腕章が。
「ごめんね。うちの隊長の悪い癖に巻きこんじゃって」
「わ、悪い癖?」
「うちの隊長って士官の選り好みが激しいんだ。だから、入隊書を送り届ける時に昔の地図やら、適当な地図を紛れ込ませるんだよ」
それは、悪戯で済まされるものではないような気がする。
「まっ。隊長の悪癖はともかく、俺が肆番隊兵舎まで案内してあげるよ。――ついておいで」
男が踵を返す。二人は彼の後についていった。
三人の向かう方向は、他の隊の兵舎からどんどん離れていく。建物もなにひとつない。
やがて、風景は桜色に染まった。
(ほんとうに、こんな奥地に兵舎があるの?)
「こんな奥地に兵舎があるのかって、思ってない?」
日暮はぎくりとした。――当たってる。
「まあ、そう思うのも無理はないよね」
男は苦笑し、続けた。
「だけど、十年ほど前までは、さっき通ってきた場所に兵舎があったんだよ」
「どうして、こんな奥地に行くことになったんですか?」
磯崎が尋ねる。
「事情は色々あるけど。一番は、うちの副隊長の意向だよ。騒がしいところが嫌いなんだ」
「へえぇ」
男の返答に、日暮はまだ見ぬ副隊長に感心した。血生臭い隊を率いているのだから、粗暴な男なのだろうと勝手に想像していたからだ。
ふと、なにかが横切った。
それは、光り輝く(そう視えているだけで、実際は発光していない)蝶――
反射的に、日暮はそれを目で追ってしまう。
「ひぐらしちゃん?」
「え、あっ! なんでもない!」
わざとらしい声を上げる。
物心つく頃から、日暮は幻光蝶など普通の人には見えないものが視え、それに触れることができた。それだけではない。ごく稀にだが、動物や植物の言葉――人ならざるものの声を聞くことができるのだ。この特異な力のことを知るのは、家族だけ。磯崎は知らない。知らせるつもりもないし、知られたくもない。
「――着いたよ」
場所が開け、
(ほんと、こんなところに……)
兵舎があることにも驚きだが、こんな奥地に開けた場所があることにも驚きである。
議事堂周囲に点在する兵舎と遜色ない建物。すでに、入隊書を持った様々な兵科の兵卒――新兵たちが受付に並んでいる。彼らは正規の地図を配布され、なんの問題もなく、ここに辿り着いたのだろう。
「ようこそ、肆番隊へ」
歓迎の挨拶なのだろう。男が握手を求めてきた。
日暮はおずおずと握手を交わす。磯崎とも「ようこそ」と男は握手を交わした。
「じゃあ。俺はここで失礼するよ」
「あ、ありがとうございました」
日暮は男に頭を下げる。磯崎も日暮に倣った。
「どういたしまして。――じゃあ、入隊式で会おうね。ひぐらしちゃん、磯崎ちゃん」
「ふえっ!?」
驚く日暮にかまわず、男はその場を風のように立ち去った。
たまらず、日暮と磯崎は互いに顔を見合わせる。
「……名前、言ったっけ?」
ふるふる、磯崎は首を横に振った。
「だよね……」
「あの人、実は隊長の右腕とか……?」
「……かもね」
彼は肆番隊を熟知しているようだった。ならば、二人の名前を知っていてもおかしくはない。
すると受付の、
「まもなく入隊式のため、受付を締切らせていただきます。まだ受付を済ませていない新兵は速やかに受付を済ませてください」
という告知が日暮と磯崎の耳に入る。
軍人は、常に『五分前の精神』。入隊式五分前で遅刻扱い。受付を済ませなければ、無断欠勤扱いにされてしまう。指名配属の身の上で無断欠勤となれば、隊長と副隊長の顔に泥を塗ってしまう。
「待ってください! ――ちぃちゃん、行こう!」
「う、うんっ!」
慌てて受付を済ませた二人は、次に入隊式が始まる作戦室へと向かった。
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