第16話 なにかお困りですか

 

 馬車に揺られること3日間。

 エールデンフォート近郊の、のどかな草原地帯はどこへやら、私たちの馬車は深き森に差しかかっていた。


 背の高い針葉樹がおいしげり、それにともなって、小窓から吹きこむ風はよりつめたく、乾燥したものにかわっていく。


 まだ2月も半ば。

 エールデンフォートでもコートは必須だったのに、さらに北上してきたのだから、気温が寒くなっていくのは当然の帰結ではある。


 だが、それにしてもーー。


「ねーエイデンさーん、寒いぃー、窓しめてー」

「ああ、ごめんよ、エイミー」


 私の膝上で足をバタつかせる少女をひとなで。

 側面の小窓をしめて、今度は御者台につうずる、馬車正面の小窓をあける。


「さむいー! なんで開けるのぉー!?」


 ぽこぽこ叩いてくるエイミー。

 しかたないので紫の髪の毛のうえに杖の先端をおいて、火属性式魔術をかけてやる。


「わぁー、温かいー」


 大人しくなったエイミーを抱きなおして、私は冷風吹きこむ小窓に顔をちかづけた。

 フード付きの赤コートを着込んだ、クリスの背中がそこに見える。


「クリス、平気か。この寒さはやや異常なように思える。こんなところで素材に死なれては困るから、私が御者をかわろう」


 話しかけると、クリスは小窓に顔をちかづけて、赤色のフードをとり、愛らしい笑顔を見せてくれた。


「へっちゃらですよ、これくらい! 私は火属性の魔術は大得意なので、むしろ今はポカポカさせすぎて暑いくらいです。

 それに、先生は痩せっぽっちで体力ないんですから、格好つけなくてもいいですよ、えへへ」


「別にそういう意味では、なかったのだがな。大丈夫ならそれでいい。こちらも最後のエイミーが寝込むまで、やや手間とりそうと考えていたところだからな」


 私はそういって小窓をとじるべく、取っ手に指をかける。


「あの、先生」

「ん、なんだ」


 小窓をしめようとした瞬間、クリスはやんわりとほそい白指を、あいだに挟みこんできた。


 のぞく緋瞳をじっと見つめる。


「……あたしにもポカポカするやつ掛けてくれませんか? エイミーたちだけずるいです」


「おかしなことを言う。この子たちはまだ魔法を使えない、だから私が魔法をかけた。

 クリス、君は火属性式魔術が得意なのだろう。暑いくらいだって、自分でいってたじゃないか」

「うぅ……いいから魔法をかけてくださいよ。先生のがいいんです」


 わからんな。

 クリスは、たまにこういった非合理的なことを、私に要求してくる。


 いったいこれになんの意味があるという。

 誰が唱えても、火属性一式魔術≪だん≫は変わらないのに。


「……≪だん≫」

「わぁ、温かいです。ありがとうございますっ!」


 小窓の隙間から、先端だけだしていた杖をひっこめる。


「この針葉樹海まできたということは、セイ・オーリアも遠くはない。引き続き馬車をたのんだ」

「えらいですよ、先生。人に何かをお願いするときは、そういう態度でないといけません。

 けして以前のように、『勇者なのだから馬車ひくのはあたりまえ』みたいな不遜な態度ではだめですよ〜」


 ここ数日で幾度となく指摘された記憶がよみがえる。


 説教くさくなってきたクリスに、半顔をむけて私はそっと小窓をとじた。


「ん、先生!」


 またしても阻止される窓閉じ。


「あれ、誰か倒れてますよ!」

「ほう」


 緊迫したクリスの声。

 だんだんと速度をおとして、ついには停車した馬車。


 側面の窓をあけてあたまを出してみると、道脇の針葉樹の根本に、ひとりの男がもたれかかっていた。


 分厚いローブ……もとは灰色だったのだろうか。

 今は見る影もなく、その布地をまっかに染めている。

 すぐよこに安置される、魔法を使うための大杖だいじょうは、なかばで折れて、使用不可能な状態。


 特に目をひく、血のしたたる男の右肩には、大きな爪痕があり、およそ人以外のなにかと戦闘をおこなったことが推測された。


「よし、クリス、馬車をだすんだ」

「何言ってるんですか、助けますよ!」


 御者台から飛び降りたクリスに、窓からだしていた首根っこをつかまれて、強制的に馬車から引きずりおろされる。


「痛っ……ぐっ、やれやれ、仕方がない。そこの男、私たちの声が聞こえるか?」


 すれたコートとぶつけた膝を気にしつつ、片手間に満身創痍の魔術師へ診断をはじめる。


「ぁ、あぁ、だれか、だれか、いるの、か……?」


 男はこちらをしっかり見ながら、空を掴むように手を伸ばしてくる。


 視覚が効いていないようだ。


「安心してください! もう大丈夫です! さあ、これを飲んでください!」

「あ、ぅ、ぅ、うぅ……」


 クリスは男のフードをはずし、その口へ美しい色の液体がはいった小瓶をかたむけ、わずかに粘性のある液体を飲ませようとしている。


 透明度の高い、黄緑色をしたポーション。

 熟達した錬金術師に精製されただろう高価な品だ。


 こんな道端の死体に、つかってやる意味がわからない。


 だが、きっと助けるつもりなのだろう。

 彼女はまがうことなき勇者なんだから。


「ほら、飲んでください! 必ず助かりますから!」

「あぅ、ぁ、ッ、ゲホッ」


 男の口からポーションが吐きだされる。

 もはや自力で飲む体力すら、残っていないようだ。


 この寒さ……黄金街道のルートとはいえ、何時間も放置されれば人なんて簡単に死ぬ。


 それが手負いならば、尚更なおさらというものだ。


「クリス、なにをしている、それを貸せ」

「っ、先生」


 もたもたしてるクリスの手から、ポーション小瓶を奪いとり、腰のホルダーからは杖を抜く。


「≪だん≫……ほら、よく傷口をみせろ」


 男へ魔法をかけ、杖をふって体をごういんに浮遊させる。


「うがぁぁあッ、ぁあ……ッ」

「先生ッ! なにしてるんですか!」

「黙っていろ」


 痛みにうめく男を、腰ほどの高さで浮かし、目のまえに持ってくる。

 横に転がし、不衛生な灰色ローブをいちぶ魔法で引き裂いて、上半身を露出させていく。


 肩の裂傷……傷は深く、筋繊維は断裂を起こしている。極めて不衛生だが、皮肉にもこの寒さが、腐食と寄生虫のたぐいから守ってくれたらしい。


 まだまだポーション単体の治療範囲だ。


「幸運だね、君は。それではポーションをかける。やや痛むかもしれないが、我慢するんだよ」


 男の肩口へ、クリスの黄緑色のポーションをかけていく。傷口によく染みこむようにゆっくりと。


 ーージュワァァァア……


「ぁぁああッ、ぁ、ぁあ、ッ、ァァアアッ!」

「やかましい奴め。すこし黙っていろ」


 ポーションを傷口に注ぎきり、瓶を逆手にもって男の頭へたたきつける。


 小瓶は音をたてて、心地いいくらい綺麗にわれる……男の叫び声はピタリとやみ、

 クリスが口元を押さえ、目を見張り、私と静かになった男を交互に見つめてきた。


「う、ぅぅ……先生、また、ひと、を殺して……っ」

「冗談はよしなさい。気絶しているだげだ」


 勝手に殺されるあわれな男を、魔法で浮かしたまま馬車のなかへ。

 出血した人間など、創作活動でもないかぎり、絶対にさわりたくない。

 よって、男の監視はうちの娘たちにやらせる。


「クリス、馬車を脇によせるんだ。関わってしまった以上、この男に相応の礼をしてもらわなければ、私の精神衛生のバランスが保てないからな」


 馬車にきたない男を乗せおえて、私は男の血つづく森の深きへと視線をむけた。


 それに気になることもある。


 この男には、はやく起きて喋ってもらわねば。

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