第11話 大商人の娘たち 2
アグレウスの豪奢な馬車に揺られて、エールデンフォートをはしることしばらく。
私たちは彼の屋敷に到着した。
アグレウスの馬車が到着するなり、屋敷の門は勝手に開いて、私たちを迎えいれた。
噴水のある庭をうかいして、屋敷の玄関にたどり着いくと、護衛3人ほどが一礼してさがっていった。
私服護衛たちのなかでも、特に奇特な服装をした2人の護衛に警護されながら廊下をあるく。
「すごい、まるで貴族のようだ」
「そこいらの三流貴族より、よっぽど稼いでいるさ。このアグレウス・フラッツヴェルヴが1代でここまで家を、商会をおおきくしたんだ」
アグレウスは廊下に掛けられた絵画をさして、高らかな笑い声を響かせる。
たまにろうそく立てやら、彫像の知識をひけらかしてとてもご機嫌だ。
微塵の興味もなく聞き流していると、廊下のむこうから、ひとりの少女が走ってきた。
紫の髪に、紫紺の瞳。
アグレウスとは似ても似つかない少女だ。
「お父様ー、ネフィがお父様の部屋に入ってたよー」
三姉妹のだれか売りわたす少女。
ヘマしたやつは足切りしろ、とでも教えられてるんだろうか。
「エイミー、よく言った。ネフィイイ! ネフィイイ!」
アグレウスは紫髪の少女ーーエイミーの言葉を聞いた途端、名前をさけびながら走りだした。
私も小走りで、彼のあとを追いかける。
「ッ!? ネフィィイ! なにやってる! だめだ、それに触るんじゃねぇ!」
40歳後半の叫び声の聞こえた曲がり角。
豪華な部屋の入り口で、アグレウスは頭をおさえたり、口元をおさえたりして慌しい。
何をそんなに動揺してるか、私も部屋をのぞきこもうとしたその時。
ーーガシャン
部屋のなかから何かが壊れる音がした。
息を大きくすいこみ、アグレウスはゆっくりとこちらを見てくる。
瞳に映るのは破損したオブジェ。
それは私の作品「隠匿する少女」そのものだった。
「あぁ……なんていう……」
「す、すまない、先生、ネフィが勝手に……ッ、ネフィ、こっちにこい!」
「っ、いやだ、はなせ、くそじじいっ!」
アグレウスはきめ細かい金髪のネフィを細腕をひき、部屋のまえに連れだした。
振りあげられる手。
ーーパチンッ
「ぅぅ、いた、い、やめ……っ、いやぁっ!」
「てめぇは、いつもいつも言うこと聞かず、ふざけやがって!」
何度も振りおろされる分厚い手。
やがて、抵抗していたネフィは、顔中アザだらけになると、ぐったりして静かになった。
ふと、足元の絨毯が湯気をだしてることにきづく。
じっとり濡れいる。
恐怖に小便をもらしているのか。
私は濡れる絨毯から一歩後ずさった。
アグレウスは抵抗力のなくなった、きたない少女の手をひいて、魚のようにつるして見せてくる。
「先生、本当にすまねぇ。気まぐれで女に産ませた俺の子だが、恐ろしく出来がわるいんだ」
「……すぅーはぁー」
血と涙、鼻水と小便でよごれる少女を見おろす。
深く、深く、深呼吸をする。
清心がおかしくなりそう……落ち着くんだ、私。
「いいでしょう。作品が壊れては仕方ありません。やったのは幼い少女ですし、許しますよ」
「ッ、あ、ありがとう、先生! 世間じゃあんたを頭のおかしい奴って罵るやつもいるが、こんなに深い度量をもっていたなんてな!
ああ、そうだ、もし過去の作品が必要なら、このアグレウスの人脈をつたって、散らばった作品を探させよう!」
身振り手振りで提案をしてくるアグレウス。
すぐ横で整列する、立たされたネフィと、傍観していたエイミーに視線をおとす。
「アグレウスさん」
「ん、どうしたんだ、先生、なにかご要望でも?」
「アグレウスさんには3人娘がいるんですよね。ぜひ会わせてはくれませんか、最後のひとり」
アグレウスは不思議そうな顔をし、近くの奇特な服装をした護衛に耳打ちをした。
護衛はうなづくやいなや、どこかへ行ってしまぅた。
すぐに、廊下の向こうから護衛が帰ってくる。
そばに少女を引き連れている。
「お嬢様をお連れしました」
「ご苦労……。先生、こいつが娘たちのなかで一番出来のいいパスです。母親の美貌をしっかり受け継いでるんだ。それに
やってきた白髪少女ーーパスの蒼瞳をのぞき込む。
パスは、一瞬ギョッとしたが、すぐに冷めた瞳になると、私の目を、まっすぐに見かえしてきた。
いいぞ、素晴らしい。
まったく光が宿っていない。
今度はエイミーの紫紺の瞳だ。
エイミーもまたビクッとしたが、すぐに光のなくなった目で見つめかえして来てくれた。
このアグレウスの娘たちは最高だ。
みんな目が死んでいる。
いったいどれだけ酷い教育をほどこしたら、ここまで、自分の人生に絶望した、生きる芸術ができあがるのか。
皮を剥いだ者のみ、最高の芸術へいたれると考えていたが、どうやら私は間違っていたらしい。
「全員もらおう」
私は一言そういった。
「……ぇ、先生、それはどういう意味だ?」
「わからないですか。パス、エイミー、ネフィ、全員もらうと言ったんですよ」
「いいや、違う。こいつらは、このアグレウスの娘たちだ。それをどうして先生が……お前がもらうなどと戯言をぬかしてるのかって聞いてんだよ」
ドスの効いた低音が廊下に響く。
目を見張り、約束された怒号に息をのむ少女たち。
アグレウスの背後にひかえる護衛者は、スッと目を細め、わずかに腰を低くかまえた。
さきほどまでは私のファンだった男。
今では「いつだって殺せる」と額に青筋を浮かべている。
これだから人は恐ろしい。
表面ではどれだけ仲良く取り繕っても、その皮の一枚したでは、行動次第でいつでも消すと決意をする。
「アグレウスさん、あなたの娘が、私の作品を壊した。壊れた物はしかたない。けれど、それでは私の気がおさまりそうにない。
だから、あなたの持つ生きる芸術品をください。彼女のうちから、もっとも私の作品に適した者をふわけするために」
「……なるほど、噂どおりのイカれ具合だ」
アグレウスは、私に背をむけて歩きだす。
娘たちは一瞬戸惑い、父の背中を追いはじめる。
何度も振り返ってくるボロボロのネフィと、チラチラと目があった。
「お、お父さま、あのひとは、だ、だれなんですか?」
ネフィは殴られるのを恐れてか、手で顔を隠しながらアグレウスにたずねている。
「あぁ、奴は……もう死人だよ」
こちらへと振りかえる大商人。
宿すのは氷のように冷たい瞳。
「それが答え、ですか……メークスフィア、殺せ」
かすむ人影。
姿をかき消す速さで突っ込んでくるのは護衛者。
足の裏で、うごめく影たち。
意思を持って高速の剣閃を、黒影がブロックする。
「ッ、なんだこれはーー」
足元からの
あたたかい鮮血が、壁に、天井に飛散する。
絨毯がじっとりぬれて、奇特な服装をしていた護衛者がひとり事切れた。
「ッ! イカれてるとは思ったが、まさか悪魔を、したがえていやがるとは……ラストマン、やれるか?」
「…………努力しよう、はやく逃げておけ」
アグレウスは逃げだした。
背の高い護衛者に、あとを任せるようだ。
生きる芸術たちが、あの男に連れさらわれてしまう……そうはさせない。
「それじゃあな、先生。このアグレウスの護衛者たちのなかでも最強の男、ラストマン相手にせいぜい頑張ってくれ」
「ご心配どうも」
ひらひらと手をふって、廊下の角に消えていく少女たちにやわらかく微笑んでおく。
「よし。メークスフィア、さっさと殺していい」
2メートルの巨体をほこる黒のゴム人間たちが、姿を完全にあらわす。
上背だけならこの護衛者ーーラストマンも負けてはいない。
が、どうせいつものように軽く殺せる。
気にすることではない。
そう思った瞬間。
「俺の負けだ」
ラストマンは腰から剣すらぬかず降伏していた。
この男はなにをしている。
私の最初の疑問はそれだった。
「俺の負けだ、降参しよう」
ラストマンはそう言って、一歩横にずれて道を開けてくれた。
なにかの作戦か。
わからない、裏があるのか。
とりあえず殺しておこう。
それが安泰だ。
影たちが、私の思念に敏感に反応して、物凄い速さでラストマンへと、突っ込んでいく。
怪力、体格、鋭い爪、流動する実像。
どれをとっても厄介なメークスフィアに、ラストマンはどうあがくのか……。
そう思っていた瞬間が私にもあった。
ーーギィインッ
「っ」
流れるひと振り。
響く金属音と、散る火花。
メークスフィアの鋭利な死を凌いだラストマン。
気がついたとき、彼はいつ抜いたのかわからないレイピアを、ふたたび鞘におさめるところだった。
「俺を試しているのか。残念だが、スキンコレクター、お前に勝てる勝てないじゃなく、
悪魔とはやらないと決めているんだ。アグレウスには、私を殺したと伝えておいてくれ。俺は雇い主を乗り換える」
ラストマンはそう言うと、長い足で、歩幅を広くとって歩きながら、私の横をぬけていってしまった。
やれやれ、世の中には薄情な用心棒もいたものだ。
気を取り直していこう。
「メークスフィア、アグレウスを追跡、抹消しろ。娘たちは殺すな、私のものだ」
指で空中の輪郭をなぞる。
ゴム人間は実体のまま、走りだし角のむこうへ消えていった。
追跡に1体向かわせたのち、足元からもう2体のゴム人間を呼びだして屋敷内へ散らしていく。
スキンコレクターの襲撃から私の正体にたどり着くとは思えない。
だが、後顧の憂いは絶っておくべきだろう。
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